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不正者執行されるべし  作者: 菅田原道則


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027

 聾丹へ向かい始めて三日目、初めて家の中で寝ることが適った。


 小さな集落の、老婆一人暮らしの家にご厚意で泊めてもらえることになったのだ。


 お金を渡そうとしても、老婆は断ったので、代わりに僕達は掃除洗濯料理、家の補修と身体で返せることを沢山した。


 その夜、茣蓙を布団にして寝ていたら、トイレに行きたくなり起きた。シークとラジエルに挟まれており、二人を起こさずに外へと向かう。


 夜半で少し寒い。なるべく人気のないところへ移動して、用を済ませた。


 町にはトイレがあったが、村になると、トイレという存在が桶に変わるようだ。しかも、小は貯める意味がないので外でするしかない。これだけはまだ慣れなかった。


 寒さのせいか、目が冴えてしまった。月と星明かりで輝く澄んだ夜空のおかげで、物陰に行かなければ、不安なことはない。なので、ちょっと散歩することにした。


 家の裏手に大きな池があるらしいので、そこへ行ってみることにした。切り開かれた道を進むと、空を鏡写しにする水面が見えてくる。夜空を吸い込んだ水面の岸辺で、オジさんが座っていた。


「ん? どうした少年、眠れないのか? だったらこっちにおいで」


 オジさんは振り向いてから僕を認めると、手招きをする。僕は頷いて、オジさんの隣に腰を下ろすことにした。


 オジさんは他愛無い話をしてきた。体調は大丈夫か、心配事はないかなど、まるで久々に出会う子供に語りかける父親のようで、それが日常的に感じ、僕は安心していつものように、大丈夫です、何もありません、と答えた。


「でも、ちょっとトイレは慣れないですね」

「そうだな。そこは清潔な現代社会に戻りたくなるよな」


 はい、と頷く。しばらく、なんの鳥かわからない鳴き声と、蛙の鳴き声が身に沁みた。


「少年は、全てを忘れてしまったのだな?」

「え?」


 水面に映る変な星々を見ていた僕は、オジさんの顔に視線を移した。オジさんは見るともなくみるように、池の奥の林へと視線を向けていた。


 簡易的な説明をしたラジエルは、僕が一時的な記憶喪失になっているとしか説明していない。全て忘れたとは言ってはいないのだ。


「ど、どうしてそう思うんですか?」


 オジさんの顔がゆっくりと僕へと向く。


「少年には覚悟がない」

「かく、ご?」


 怒られる覚悟はしていたが、僕自身の事を言われて、戸惑ってしまう。


「この世界にやってきた者が、最初から宿している覚悟が少年から感じられない。この世界に来た者はあちらの世界に帰るために本気になる」

「ぼ、僕だって帰れるなら帰りたいです」

「本気か?」


 オジさんの目には覚悟宿っているのか、力強く感じる。その目に気圧されそうになった。


「本気……です」


 即答はできなかったが声には出せた。


「そうか、すまん。尺度は人それぞれだ…………意思は目に宿り、歴史は手に宿る。俺の師匠の言葉だ。少年の目には強い意思が見えない。これは非難しているんじゃない、心配なんだ。これから起こりうるであろう出来事に少年の心が壊れてしまわないかが心配なんだよ」

「強い意思がないと、僕の心は壊れるんですか?」

「ああ、多くの人がそうなるのを目にしてきたよ」


 オジさんの眉が下がって出会ってから初めてみせた憂いのある眼だった。


「少年はラジ子を守る事を目的にしているな?」

「は、はい」

「尊ぶ意思だ。ラジ子は非力であるし、庇護するべきだ。だが囚われすぎてはいけない。彼女は少年とは違う。少年の命は一度しかないんだ」

「でも、ラジエルにも痛みがあります」

「それが彼女の覚悟だ」


 オジさんの語気が強まって身体が跳ねる。


「人間と同様の肉体に精神を宿し、象徴である羽と輪を捨て、俺達執行者の担い手になると覚悟して、ここにいる。見捨てろとは言わない、だが前のように俺が毎回間に合うかどうかは分からない。中途半端な態度は必ず過ちを犯す。少年はラジ子と心中がしたいがために、この世界にいるわけじゃないだろ。家に帰るのだろう?」


 家には帰りたい。死にたくない。ラジエルが傷つくところを見たくない。ラジエルを守りたいなんて言っているけど、本当はすべて自分のためだ。僕が傷つきたくないんだ。それを都合良く記憶とともに失っているのは、分かっていた。


「僕は……なんのためにここにいるんですか?」


 本当に思い出せない、この世界にやってきた自分の存在意義。それを知るのは、ラジエルとオジさんだけ。そして、オジさんは同じ使命を持つ執行者だ。そんなオジさんは苦い顔をする。


「……少なくとも、不正者を執行するためだな。ここに来る前に天使に説明されるが、来る理由は人それぞれだ。俺はとにかく死にたくなかったからだよ」


 オジさんは事故で死ぬ直前にやってきたのだった。僕は? 事故にあった記憶はない。ここへ来る直前に残っている記憶は、顔も名前も思い出せない、あいつ。


「僕、誰かを忘れているんです。母さんのことは覚えているのに、その誰かはぼんやりとしか思い出せないんです」


 僕の頭の中に虫が這うようなぞわりとした感覚が駆け抜けて、痛みが発生する。


「すまない、無理をさせた。知らないおっさんの説教じみた世迷言だと思ってくれ」


 オジさんは僕を気遣ってくれたのか、目を伏せて会釈した。


 ぱしゃん、と魚が跳ねて黒のキャンバスに波が発生する。痛みが治ってくると、腹の奥底にあった不安を口にした。


「僕、戦うのが怖いです」


 パージのおかげで恐怖感は薄れるものの、いつか、あのナイフで生きている人を刺してしまうのではないかと想像してしまうのだ。ここ二日は、そんな悪夢を見ている。


「俺も怖い」

「オジさんも?」


 そんな言葉が返ってくるとは思わず、目を見開いた。オジさんは僕を見て自嘲気味に笑う。


「そりゃあ怖いさ。俺は根っからの武闘家でもないし、殺し屋でもないからな」

「じゃあ、どうしてあんなに戦えるんですか?」

「そうだな……怖がっているだけじゃ前には進まないからだな。俺は十歳でこちらに来て、家庭科の授業でしか持ったことのない刃物を扱って、肉と骨切って、変な色の血を浴びるしかなかった。怖がっていたら、その感情のまま死んでいた。生きたいから、恐怖を押し殺して前に進んだ」


 無我夢中になるしかなかったんだな。しみじみと語るオジさんは遠い目をしていた。


 オジさんでもそんなことがあったのか。十歳なんて僕より若いじゃないか。それに比べて僕なんて。


「それに比べて、なんて考えるなよ?」


 心を読まれた僕は、目を丸くさせた。


「尺度は人それぞれって言ったろ、他人と自分を比べても測りや量が違う。思いやるのは大事だが、それで自分を傷つけていたら様ないじゃないか。同じ悩みを持つが、解決方法は同じじゃないかもしれないだろう。少年は少年。俺は俺だ」

「それはそうですけど……オジさんはどうやって、恐怖を克服したんですか?」

「してない。今も戦うことに恐怖することがある。だが押し殺している」

「それを……」

「使命と、少年とラジ子がいるからだ」

「僕と、ラジエル?」

「大切な人間がいるから、俺は前に進める。譲れない自我があるから、怖さを押し込められる」


 大切な、と僕は口を動かす。僕にとって大切な人。母さんや、あいつ、ラジエル、オジさん、ハク、シーク。この世界で出会った人々の為に恐怖を押し殺し、戦う。できるのだろうか。


「自分を大事にしろと説教しておいて、この言い草はちょっと矛盾しているがな」


 オジさんは照れた風に笑った。


「い、いえ、勉強になりました。ありがとうございます」

「さて、身体が冷えてもいけないし、戻ろうか」


 オジさんが臀部を払いながら立ち上がり、僕も同様に立ち上がる。すると、頭が少し痛んで眉間に皺を寄せてしまった。それをオジさんに見られた。


「おぶろうか?」

「いえ」

「遠慮するな、倒れて怪我をされると、ラジ子がうるさくしそうだ。遠慮するな、ほれ」


 僕の前に来て屈んで背中を差し出してくれる。確かに倒れる可能性も無いこともない。


「……お願いします」


 筋肉質な背中に乗ると、オジさんはふらつきもしなかった。僕の視界がオジさんの見ている視界に重なると、安定して動き出した。


「しかし、ラジ子はなぜ少年と俺とで態度が違うのだろうな?」

「さあ、若い人間の身体が好きなんじゃないんですか?」

「天使のくせに欲があるとはな」


 からからと笑うオジさんの大きな背中に身体を預けて目を瞑った。オジさんの背中は陽射しの中にいるくらい暖かく、安心した。


 この感覚は、記憶の中にある父親の背中と類似していた。


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