026
翌朝、僕達は宿をでて教会に向かった。あれからとくに災いごとは無かったが、朝起きたらラジエルが隣で寝ていて吃驚はした。
それを見たオジさんが、青春だね、と生暖かい目で微笑んでいて、よからぬ勘違いをされたのは、災いごとかもしれない。
「おはようございます」
夜を忘れた青空の下、教会の前ではオラクルと、馬を引いたシークが待っていて、僕達が足を止めると朝の挨拶を交わした。
「あれ?この馬達は?」
シークが引いている馬は、僕達の馬の他に二頭連なっている。僕の問いに答えたのはオラクルだった。
「ご迷惑でなければ、シークを同行させてもらってもよろしいでしょうか?」
昨日の監視者のこともあり、僕の身体は緊張する。そんなこともいざ知らず、オラクルは続けた。
「ハクの元へ向かうのならば、教会の者が随者としていれば、何事も滞りなくいくはずです。もちろん、その間の事も出来る限り面倒をみさせてもらいます」
これは僕単独で決めていい事柄じゃないので、オジさんを見やる。オジさんはオラクルへニコリと微笑んだ。
「それは悪いです。私達の分は私達でなんとかします」
「では」
「はい。シークさんの同行を認めます」
「てなわけ、よろしくねアケビ」
シークさんが手を差し出してきたので、僕は握った。彼女はラジエルやオジさんと握手したが、ブラディが鼻を鳴らして拒否したので、しなかった。
新たにシークという教会のシスターを同行者として、僕達は嵌唐の町を旅立った。
「そういえば、この馬ってなんて名前なの?」
嵌唐を出て数十分、全方向、蒼穹の縁になる小高い山々を望める街道を、縦列しながら歩いていると、隣にいたシークが徐に話しかけてきた。
「えっと、馬?」
馬の名前など気にしたことがなかったので、正直に答えるとシークは吹き出して笑った。
「馬って、そのままじゃない」
「いや、本当に知らないんです。そもそもオジさんの馬ですし」
隣で手綱を引く馬は、馬としか呼んでいない。オジさんの馬だと分かっても、オジさんが馬のことを名前で呼んでいた試しがないのだ。馬の名前よりも、もっと知らなければならないことが積み重なりすぎて、知りたいとも思わなかった。
チラリと馬に視線を合わせると、馬は首を寄せて頬ずりを求めてくる。こんなにも懐かれているのに、名前を知ろうとしないのは、確かに軽薄すぎるかもしれない。
「オジさん、この馬はなんて名前なの?」
シークは一番後ろにいるオジさんに向かって声を上げた。縦列の順番は僕とシーク、ブラディ、オジさんとラジエルである。この配置にラジエルはかなりの不満を述べたが、僕が宥め、落ち着かせた。おそらく、教会にラジエルの素性を知られないためであろうし、なにかがあっても、僕とオジさんで前後は対処できるからでもあろう。
「バサラだー」
背後から声が返ってくる。
「バサラ、へえそんな名前だったんだね」
未だに顔を寄せてきて、僕の撫でる手を休ませてくれないバサラ。なんともまあ甘え上手なのか、好意を寄せてくれているのか。どちらにしても悪い気はしない。
「無頼漢な名前を貰ったんだねえ」
シークの言葉の意味がよく分からなかったが、追求する気はなかった。それよりもシークに尋ねたいことがあったからだ。
「あのシークさん、本当に剣岳砦へ直行しなくても良かったんですか?」
町を出た矢先のことだ。外の街道より整備され、ひび割れもなくて歩きやすく、人通りも疎にある。そんな目新しい旅の始まりに、僕が高揚している時、オジさんがシークに今後の行き先を説明したのだ。
シークは説明を聞いた時は眼を見張ったが、直ぐに微笑みをつくり承諾した。
地理上では聾丹は北北東にあり、剣岳砦は南南東にある。同じ東に位置するが、聾丹と砦の間には妙山という険しい山で隔たれており、どちらかに向かうにしても、妙山を迂回しなければいけない。つまり、距離が離れすぎており、遠回りをすることになるのだ。
シークはそれでも逡巡を見せずに同行の意思を示した。そこに明確な教会の意思が見えて、僕は警戒色を濃くさせた。
彼女もまだ、仲間ではない。でも、悪い人でもない。二つの思念が僕を悩ませている。これは誰にも相談できることではなかった。
「かなり遠回りになるよね。だけど、元々ハクには追いつけないし、それにもし魔物が剣岳砦を襲うなら、呂樹の国主が兵を出すし、あたし達が向かっても猫の手にもならないよ」
呂樹とはノルン国の属国、この地域全体の名前だ。昨晩、記憶が活性化したラジエルに、ここらへんの地理を叩き込まれて、受験並みに苦しかったのを思い出す。そう、僕は受験生であったのだ。だがその記憶は役には立たない。僕はどうやら四苦八苦した受験生だったようだからだ。
「でも、その……」
ハクを助けると言った手前で、この進路変更は些か義に欠ける。なんとなく卑怯であり、心の中にささくれ立ってしまっていた。
「あたし達が同行を願いでたんだ。アケビ達が進路を変えようが、最終目的地は剣岳砦なんだろう?」
「……はい」
聾丹で竜騎士を探し出して説得し、スキルを返還した後に仲間として剣岳砦へ向かう。この手筈は一切説明していない。シークには、聾丹に傭兵仲間がいるので合流する、としか説明していないのだ。
「だったら問題ないさ。ハクは強いよ。魔物と対抗する手段も持っているし、引き際も理解している。だから遅参してハクを驚かせてやろう」
シークは歯を見せて笑った。
「そうですね。仲間を集ってハクを驚かせましょう」
理想的な未来を口にすると、肩に乗った暗澹たる気持ちが軽くなった。シークの笑顔には、そういう力があるのかもしれない。
「アケビはハクのどこが好きなの?」
「えっ、好き?」
「あら? ハクにお熱っぽいから、そうなんじゃないかって思っていたわ」
悪戯っぽくシークはニヤける。僕はハクに恋愛感情を抱いてはいない。しかし、改めて考えると、最初に出会った現地人以外で、ハクを意識してしまうのは、なぜたろうか。
大きな雲を見るともなく見ながら、考えた。そして乾いた口を開いた。
「ハクは、何というか、ほっとけない? 違うな、一緒にいたい? のかな。多分、そんな感じです」
曖昧な答えだが、なんとなくが現状で、どうしてそこまで惹かれるかが判然としない。言語化が難しい。
「あー、わかる。あの子見てると構っちゃうよね」
だが、腹の底に溜まっている不安の重さは変わらない。その重さを抱えながら、聾丹への道程を縮めていった。




