第五章
壟丹は数ヶ月前までは、建築物は廃れ、街の道には野犬が野良猫を追いかけ回せるほど寂れ、山間の町という不便な立地も合間って観光客も寄りつかず、観光資源も尽きた町ともいえなくなっていた場所であった。それが、活気を取り戻したのだ。理由は新たに石炭鉱脈が発見されたからである。しかも、一つ、二つではない。五つの鉱脈が見つかった。
住民達は歓喜した。どうして、なぜ、そんな疑問よりも、また活気のある町になるほうが断然喜ばしかった。全盛期のような炭鉱町に戻るのだと夢想できるのが嬉しかった。
炭鉱夫を募り、掘削作業が始まると、人がごった返した。近くの村や町から出稼ぎに来た人間が増えた。そんな人間が増えると、どこから聞きつけたか商人も増えた。人の熱気に当てられて観光客も増えた。町は息を吹き返したのだ。
「いくらだ?」
ペドロ・ヤオはカウンターの上に、骨付き肉や大量の日用品を入れた籠を置き、ぶっきらぼうな声を出した女を見上げた。
女は砂漠超えでもするのかと勘違いさせるほどにフードを深く被って、口許を隠している。座っていたペドロからは、フードから覗く琥珀色の瞳が光っていた。
身長は百八十は超え、フードローブを纏って身体のラインははっきりさせないが、肩幅が隆起するようにあることからがっちりしたガタイなのだろうと、布の下を予想した。
「三ペル」
「あ? 高いぞ」
つららで人を突き刺すような声質にペドロは怯みそうになった。確かに相場の値段よりかは高い。それは商売人としては当たり前にやる手口だ。この女は町で見たこともない一見さんで、そんな一見さんに信頼関係を築くのは阿保のやることである。ペドロは、観光客相手にはその商売術が上手くいくことを知っていた。
「この町ではどこもこんな値段だよ。景気がいいからね」
「そうか、では別のとこで買う」
女は踵を返して出て行こうとすると、ペドロは慌てて腰を浮かせた。
「ああ、待って待って、値引き交渉するなら安くするよ」
女は足を止め、店の扉に手にかけながら、ペドロの方へと顔を向けた。
「二ペル、それ以上もそれ以下もない」
ペドロは女の身体を下から上へと選定するように見た。やはり、好みであった。身長があり、がたいが良く、更には声と気配から滲み出ている気の強さがペドロの趣向を唆りたてた。ペドロは膨れた唇を口の中で舐めた。幸い、店に客はこの女しかいない。
「二ペルね。それもいいけど、もっと安くしてやってもいい」
「……なにが望みだ」
女はまだ扉に手をかけている。焦るな焦るな、とペドロは内にある肉の芽の発芽を抑えた。
「ケツを触らせてくれ」
逸った。感情よりも欲望が先走ってしまった。後悔しても遅い、言ってしまったものは取り消せない。両の口角をあげて苦し紛れの笑顔を作ってみせた。
「……それでいくらになるんだ?」
「へ?」
「ケツを触らせればいくらになるんだ?」
ようやく意味を理解したペドロは、緊張した笑顔を崩さず指を一本立てた。これが本来の値段であることを女は知らない。
ペドロの期待値が上がっていく。この女は金のためになら何でもする女だ。もしかしたら最終的に身を預けてくるかもしれない。この女はカモだ。この地に避難してきて、現地の妻をもらい、十五年商売人としてやってきた勘が告げていた。
「いいだろう」
女は扉から手を離してカウンター前まで戻ってくる。そして背後を向いた。
「あとからいちゃもんはなしだぜ?」
「ああ、契約だ。そちらも難癖はなしだがいいな?」
「ああ」
雰囲気も台無しもいいところな発言だったが、いざ言葉にして交わすと、密事のようでペドロの興奮は昂まった。
形の良さそうながっちりとした肉感を持っているはずの、ローブの端に隠れた臀部へと手を伸ばす。その過程で服に張り付いた筋肉質な太腿が目に入って、ペドロは己の想像を超えるものがあるのだと唾を飲み込んだ。
女は抵抗しそうな気配を見せない。このまま抱きしめても許されるきがしてならないが、今度こそ逸る気持ちを抑えて、目の前の山に集中した。
ペドロの手は山に触れた。掌から伝わってきたのは硬く、石のような冷たさ。それは紛れもなく、鉄であった。
「触ったな?」
顔を上げると、女は首だけでペドロを見下ろしていた。その目が最初に見た時より剣呑になっているのに気がついてペドロは、自身の肌が粟立つのを実感した。
「い、いや、これじゃあ詐欺だ」
それでも、ペドロは引けなかった。男としての尊厳が引かせなかった。それがどんなにちっぽけであろうとも。
「なら、撫で回せばいい。ケツを触っているのとは変わりない」
「そ、そういう意味じゃ」
「商人が契約を破るのか?」
女の身体が正面を向いた。琥珀色の瞳は射殺すようにペドロの視点と交わう。ペドロは女の逆鱗に触れたのではないかと錯覚して、悲鳴をあげて飛び退くように尻餅をついた。
「足りないなら熱いキスでもサービスしてやろうか?」
女は拳をかかげてみせる。ローブの隙間からは銀甲冑が鈍く光を反射していた。ペドロは首を何度も振って、止まらない冷や汗を飛ばした。
「では契約成立だな」
女は規定の値段をカウンターに置き、籠を持って出ていってしまった。
「あんた、なにやってんの?」
入れ替わりに妻が帰ってきて、カウンターの奥で震えているペドロを怪訝そうに訊ねると、ペドロは妻の胸に飛び込んで、謝罪の言葉を繰り返して泣きじゃくった。
「ファフ、戻ったぞ」
買い物を終えたディーオン・デュパルは、壟丹から徒歩二時間で辿り着ける洞穴へ帰還した。
入り口からは堆肥と小便が混じったような臭いが風に乗って流れで出てきて、ディーオンはむせそうになった。
『ああ、ああ帰ったのかい』
相棒のドラゴンであるファフニールは、横たわらせた身体を動かさず、瞑っていた眼を開けて答えた。それから、鼻を鳴らした。
『なんか臭いね。ディーオン、おまえ漏らしたのかい?』
「お前が漏らしてんだよ」
『おや、まあ、これは失礼。寝しょんべんなんていつ以来かね』
「動けるなら外へ行け、掃除する」
ディーオンの言葉で、手の爪と足の爪を動かすファフニール。自身の身体が立ち上がらないことを理解すると動きを止めた。
『うーん。どうもまだ調子が悪いね』
「……そうか、肉は食えるのか?」
『さっき食べたじゃないか』
「そのさっきは昨日だよボケドラゴン」
『あら、そうかい。じゃあ食べようかね。それよりも、ここ臭いよ? 掃除しているかい?』
返事をせずにディーオンは買ってきた骨付き肉をファフニールの口まで持っていくと、ファフニールは口を開ける。放り込むと、骨ごと咀嚼して、言葉にならない鳴き声で鳴いた。
「ボケドラゴン……」
近くの川で桶に水を入れながらディーオンは呟いた。それは自己嫌悪に似ていたので、思考を変えた。
全てはあの男が齎した災禍なのは明らかである。おそらくファフは、もう長くない。ずっと付き合ってきたからこそ判る。
憂いているのか? 別れを? 畜生でしかないドラゴンとの別れをか?
情などとうに捨てたものだと思っていたが、年月はそれを育むようだな。そう自身を嘲笑した。
また、感傷に浸っている自分がらしくないと思い、ディーオンは腰を上げた。
産みの親である自分でファフに引導を渡すべきか。それとも、もう一度あの男とやりあって、互いに決着をつけるべきか。
「俺達なら後者だろ」
考えつつ洞窟に戻ってくると、ファフニールは寝入っていた。一通り掃除を終えてから、眼を瞑っているファフニールの頬を撫でる。
「そうだろ、ファフ」
ディーオンの声に答えるものはいなかった。




