第四章 ②
教会の裏手には厩があった。馬は下級教会員の主な長距離移動手段であるため、馬は常備されている。オラクルはそこへ三人を案内した。
小体育館程の広さの厩は、八頭ほど馬を収容できるようになっている。屋根がついて、一室一室に牧草がひかれ、逃避防止策には水の入った桶が吊るされていた。
使用しているのは三房で、その一つから顔を出している馬の顔をブラシで撫でつけていた、褪せた金髪の女、シークが、四人の来訪に気がついて手を止めた。
「あれ、お客さん?」
彼女達は、ハクが報告してから、明日達を要警戒人物として、この町に入った時から監視していた。
シークは知らぬふりをして訊ねる。
「ええ、ハクの命の恩人です。お預かりしている馬を見学しにきたのです」
シークは、三人が少なくとも現在は邪魔者ではないと判断したオラクルを信じて、三人へ身体を向けた。
「私はシスター、シーク。よろしくね」
無骨で浅黒い肌の男がオジと名乗り、ひ弱で腰の低い男子がアケビと名乗り、良い所のお嬢様の中でも抜きん出た見た目をしている銀髪の女子がラジエルと名乗った。
オジは甚平をゆったりと着こなして、アケビとラジエルはおそろいの庶民着を着用しているのをシークは値踏みするようにみてから、傭兵兼旅人かな、と判別した。
「うわわっ」
いきなり馬が防止柵の前で首を上下させたので、シークは本当に驚いた声を上げる。
ハクから任せられたこの馬は、この厩にいるどの馬よりも扱いづらく、厩に入れるのも苦労した。落ち着かせるために水をあげた後に、ブラシで撫でていたものの、不機嫌であり、挙げ句の果てには噛まれそうになった。
「駄目だよ、落ち着いて」
「危ないよっ」
明日が駆け寄ってきて馬に手を伸ばしたのを見て、シークは肩を掴んで止めた。だがシークの不安とは反対に、馬は落ち着きを取り戻し、明日の伸ばした手に鼻を当てて唇を動かしている。その様にシークは呆気に取られていた。
「この馬、僕だと大人しいみたいなんです」
投げたら外れそうな肩をしている明日が、馬を慈しむように撫でながら言う。馬の面倒を長年みてきたシークの尊厳が少し傷ついたが、そのような難儀な個体は実際にいるから傷は浅かった。
「おお、少年、実は俺にも大人しいんだぞ」
英雄も手を伸ばして、目と目の間を大きく撫でる。馬は二人に撫でられて心地良さそうに目を細めていた。
「すぐにお引き取りになるのですか?」
「いやあ、それがね。今日はここで泊まる予定で、教会さんがよろしければ、もう少し面倒をみてもらってもよろしいですか?」
英雄は二割程度の申し訳なさを含みつつ、砕けた笑顔をシークに向けた。シークはおずおずと頷き、明日の肩から手を離す。シークは、もう片方の手で明日の肩を邪念で掴んでいたら、不吉なことが起こっていた気がしてならなかった。それは目の前の男の前情報が、そう思わせているのかは計り知れない。
オジ・ヒデオは、教会の教義に極めて反する人間であり、幾人の刺客を撃退してきた強者。刺客に慈悲を持っているので、捕縛、殺害ではなく、自主的に協力させたい。それが教会上部での英雄の評価であった。
もちろん教会と信念が違う英雄は、協力要請を何度も断りを入れている。
「泊まっているお宿に届けさせましょうか?」
「いやいや、そこまでのご厚意に甘えられませんよ。明日、受け取りに伺わせてもらいます」
オラクルが寝ぐらを突き止めようとしたのを、するりと返されたのを見て、シークは英雄に話しかけるのを躊躇った。
「このシスターさん達を困らせないでね」
明日がべとべとになった手で再度撫でると、馬が鼻息で返事をする。こちらの子供の方が手懐けやすそうだな、とシークは邪な思いで声をかけることにした。
「手、洗うかい?」
シークが訊ねると、明日は下手くそな笑顔で頷く。シークは厩の奥にある水道へ手招きすると、明日とラジエルがついてきた。
「ねえねえ、アケビ、後ろの娘は彼女?」
お姉さんぶりたがるシークは悪戯な笑みを作って、少し後ろにいる明日に歩調を合わせてから、耳打ちをする。
「えっ、いや、違います」
目を見開いてから否定したあとに、耳の先を赤くする明日を見て、可愛らしい子だこと、と心の中でシークはほくそ笑んだ。
「私は明日さんの家族ですっ」
ラジエルが強引にシークと明日の間に身体を捩じ込んで、警戒心むき出しの顔でシークを睨んだ。こっちの子も可愛らしいのか、ときょとんとした顔でシークは納得した。
「ごめんごめん。お兄ちゃんを取らないよ」
ハクとの過去を思い出し、英雄がいることを忘れて、純粋な笑みが溢してしまう。
「い、妹ぉ?」
「し、シークさんは、馬のお世話をなさって長いんですか?」
ラジエルが不服そうな声を出しているのを制するように、明日は訊ねてきた。厩の裏手にある細長い水道に辿り着いて、シークは置いてあった桶を水道につけた。
「長いよ、物心ついた時から馬の世話をしているからね」
教会内の馬番の家系に生まれたシークは、馬の飼育、世話を物心つく前から叩き込まれた。教会の家系は生まれた時から、職が決まっている。それが教義の一つであった。
別に馬を飼育するのは苦ではない。むしろ自分にはこれしかない、とシークは誇っていた。
「凄いですね。馬が好きなんですか?」
「ありがと。馬、好きだよ。うん。好きだね」
シークは胸の内を確認する。生まれてから強いられてきた仕事だが、好きなものを仕事にできているのは、恵まれている。ただ、元々教会の人間ではない明日のような子供には、選択の余地を与えられる未来がある方がいい。シークはまた頬を緩めた。
「アケビも馬が好き?」
「初めて接したんですけど、可愛いとは思えるので、好きになれそうです」
「へえ、そうなんだ。よかった」
明日は不思議そうに目を瞬かせる。
「馬を好きになる人は、良い人。私の持論だけどね」
シークは明日へ、腰に巻いていたタオルを渡す。明日はタオルで手を拭くと、礼を言って返してきた。
「じゃあシークさんも良い人ですね」
明日は不器用な笑顔を作って、張りのない声で照れた。シークはその仕草が途轍もなく愛らしく感じ、胸の奥から熱い塊が込み上げてきて、鼻がつんとした。それは忘れかけていた郷愁だったのかもしれない。
「ありがとう。戻ろっか」
明日は頷いて、嫌疑な目線を向けてきているラジエルと共に、オラクルと英雄の元へ戻った。
「明日の朝に取りに来ることになったぞ少年」
英雄はオラクルと話したことを伝えた。明日の朝、出発の前に馬を引き取る、それだけの寂しく緊迫した会話。
「分かりました。シークさん、この馬のことをよろしくお願いします」
明日は律儀に深く頭を下げた。シークはそのもしゃっとした髪の毛を掻き乱してやりたくなったが、耐える。代わりに破顔した。
「ああ、任せておきな」




