023
玄関口を入ると、右横に長い廊下があり、オジさんが待っていた。
廊下のすぐ目の前に両開きの扉があった。両扉は開いていて、薄暗い部屋が見える。玄関扉から差し込んでいる夕日で、部屋の中に長椅子が数脚並べられているのがわかった。中から線香のような香りが漂ってくるから、多分、ここは礼拝堂なのだろう。
「こちらです」
玄関扉が頑固な音をたてて閉まり、オラクルさんは長い廊下の先を、しとしとと歩いていく。
「今、あの方、横を通り過ぎる時気配ありました?」
まだ腕に張り付いているラジエルが耳元で囁く。言われてみれば、いつの間にか前にいた気がするが、礼拝堂を観察していたので注意が散漫して気がつかなかっただけであろう。
「そうかな?」
「そうですよ。それにあの方は明日さんに一目惚れしたに違いありません。お気をつけください」
「そうかなぁ?」
「絶対にそうですっ」
ラジエルはなんでこんなにムキになっているのか。そもそも僕は異性に一目惚れされたことなんてないし、あんな年上女性が僕なんかに一目惚れするわけがない。
おお、僕は異性に一目惚れされたことがないらしい。悲しい記憶を思い出したぞ。
思い出した記憶を反証に、ラジエルの断言をまともに受け止めず、僕達はオラクルの後をついていく。
木製の長い廊下の突き当たりで左へ曲がると、また長い廊下を歩くことになった。礼拝堂の外側を歩いているのだろう。そう頭の中で間取りを考えた。
廊下は白い漆喰の壁で覆われて、等間隔に蝋燭が右側にかけられている。そのせいか、ずっと同じ場所を歩いている感覚になってきた。
ようやく突き当たりの扉までくると、オラクルは建て付けの悪い扉をギギギと鳴らして開いた。室内が薄暗くなってきているので、お化け屋敷を彷彿とさせ、苦手意識があるので、唾を飲んだ。
「どうぞ」
オラクルに促されて入ると、線香の香りが鼻腔をくすぐった。部屋は、長方形を横にしたような形で、僕達の寝泊まりしている部屋よりも広く見える。入り口は右端にあって、真ん中にクロスが布かれたテーブルに、それを挟むように丸椅子が八脚。奥の壁には食器棚が二つあり、入り口から反対のテーブル端からすぐそばに、背の高い木製のパーティションがたてかけられていた。天井が続いているので、奥にも何かがあるに違いない。
「ここは教会の者が使う休憩室のような部屋です。どうぞ、おかけになってください」
オラクルが微笑みながら手で促してきたので、僕達は入り口近くの丸椅子に並んで腰を下ろした。
「お紅茶でよろしいでしょうか?」
「はい」
答えると、オラクルは食器棚を開けて、高い位置にある高級感溢れる茶器を取り出し、パーティションの向こう側へ行ってしまった。
手持ち無沙汰になってしまったので、二人を観察した。左にいるオジさんは首を動かして部屋の中を観察している。右にいるラジエルは、ようやく僕の腕から離れるも、警戒心強くパーティションの向こうを注視していた。
「毒とか、入れるんじゃないんですか」
「ちょっ、ラジエル」
不敬な発言に僕はラジエルを諌めるために顔を近づける。
「だって、話を聞く限りじゃ、そーいう人達じゃないですか」
「自分で見聞きしていないのに、そんなこと言っちゃダメだよ」
ラジエルは渋面になる。
「か、庇うんですか」
「庇うとかじゃないけど……」
ラジエルの眉間のしわが濃くなった。
「明日さんはフグ毒に当たって、意識が薄れゆく様に、フグ毒って本当だったんだ、って思いながら逝きたいんですか?」
「それは嫌だけど、ハクの知り合いだよ?」
「ハクさんは確かに正直正路のような人でしたが、だからと言って知り合いの方がそうだとは限りません。ていうか、私、ハクさんもあまり信用していませんからね。むしろ明日さんが、どうしてそこまでハクさんをご信頼なさっているのかが、ずっと疑問です」
ラジエルが警戒心を強めるのは理解できる。だけど、教会の人が全員悪人なのか。僕達が悪人と思っているだけで、その人が悪人かどうかなんて分からない。少なくとも、ハクは悪人ではなかった。
そんなハクを侮辱されてムカついた。
「ラジエルには秘密」
ハクとの間でそういうことになっている。ハクは、僕達が不審者であろうとも、追求してこなかった。それは自分に都合が悪いからじゃなくて、自分の中にある信義がしっかりしているからだ。僕はハクのそれを感じたからこそ、ハクを信頼している。
「んなっ、なんですかそれっ、不健全ですっ!」
と、ラジエルが言い切ったところで、オラクルが赤いお盆に茶器を乗せて戻ってきた。
「あら? どうぞお話しを続けてくださっても構いませんよ?」
「いえ、大した話じゃありません」
ラジエルが頬を膨らませながら、そっぽを向いた。拗ねてしまった。ここ数日で、ラジエルに対する知恵の天使のメッキが剥がれていく音が聞こえる。でも、知恵の天使をやっている時よりかは人間味が増して嫌いじゃない。説明している時のラジエルは業務的で仲良くなれる気がしないのだ。
「オジさんと、アケビさんと、ラジエルさん」
僕達の前に湯気の立つ、湯が入ったカップを並べるオラクル。
「ハクとどんなお話をしましたか?」
茶器を持って、円を描くように回しつつ、オラクルは訊ねてくる。優しい口調なのに、僕の背筋は伸びて、肩が上がった。
「えっと、二天一心流の話しとか?」
「まあ、ハクが流派のお話を?」
オラクルは、まるで自分のことかのように、嬉しそうに目を開いた。それがなんとなく嘘っぽく感じたのは、ラジエルのせいで警戒しているからかもしれない。
「ええ、入らないかって誘われました」
「あらあらまあまあ、あの子、アケビさんのことが相当気に入ったみたいですね。あの子、本来は無口で、友人と呼べる人もいないんですよ。だから、アケビさんさえ良ければ、あの子と仲良くしてあげてくださいね」
オラクルは茶器を置いて、僕らのカップに入っているお湯をもう一つの茶器に入れた。なんだかオラクルから、実家の母親を感じる。母さんもよく、僕の要らない情報を人前で話しすぎるところがあった。
「はい」
僕は力強く答える。ハクと、また会えるとはあまり思えない。だけど、また会いたい。思えば、ハクがこの世界で出会った初めての人間だ。もしかして、僕はそこらへんも特別に感じているのかもしれない。
オラクルは茶器を再び持って、カップに濃いオレンジ色の紅茶を注いでいく。
「オラクルさんはここに来て長いのかな?」
今まで行動を見守っていたオジさんが口を開いた。
「いえ、一ヶ月も経っていませんよ」
「ここはお一人で?」
ラジエルのカップに紅茶を入れ終えたオラクルの手が止まる。
「いいえ、私を含めて三人で運営しています」
「そうですか、他の方は出払っていらっしゃるんで?」
「一人はそうですが、一人は裏の馬舎で作業をしていますよ。それがどうかなされましたか?」
オラクルはオジさんと会話しながら、僕達の前に受け皿に乗ったカップを移動させた。
「粗茶ですが、どうぞ」
柔和な笑みを作るオラクル。湯気立つ紅茶から甘くて爽やかな香りが鼻をくすぐる。口の中が渇いているから、飲んだらスッキリするはずだ。だけど、僕は手をつけられずにいた。それは、二人も同じであった。
「紅茶、お嫌いでしたか?」
オラクルは眉をハの字にする。
「あ、いえ」
苦笑いを取り繕いながら、腕を伸ばそうとすると、ラジエルに袖を引っ張られた。どうやら彼女はこれがフグ毒だと断固として譲らないらしい。
「いやー、参りますよね。少年とラジ子はお茶請けがないと紅茶が飲めないんですよ」
「あらあ、そうなのですか。これは気が回らず申し訳ありません。炒り豆の砂糖漬けがあったはず。少々お待ちを」
オラクルは席を立って、またパーティションの奥へと姿を隠す。そこでオジさんがカップに指を通して、紅茶を飲んだ。
「なっ、なにやってるんですか?!」
小さい声で叫ぶという器用なことをするラジエル。僕もなぜ今手をつけたのか理解できずに、口を開けていた。
「あら、どうです、お味は?」
小皿を二つ持って戻ってきたオラクルは驚きもしなかった。
「ええ、美味しいです。爽やかで飲みやすく、いつまでも香りが口の中に残っている感じがしますね」
「でしょう。じわじわと体に浸透するような美味しさで、私もこの紅茶が好きなんです」
二人はハハハと、談笑している。オジさんが苦しみ出さないということは、毒ではない?
「はい、炒り豆の砂糖漬け。この紅茶と合いますよ」
オラクルは小皿に入れた炒り豆の砂糖漬けを僕達の前に差し出した。茶色い豆の表面に砂糖がまぶされている。甘納豆みたいなものなのかな。
「ハク少年は剣岳砦へ向かったのですよね」
オラクルの戻っていく手の筋が浮いた。
「ええ。ハクからお聞きになって?」
「又聞きですけどね。おかわりいただいても?」
「ええ、もちろん」
カップを受け取ってオラクルは紅茶を淹れる。
「それでね、私達も剣岳砦に向かおうかと思うんですよ」
おかわりを入れている手が完全に止まった。カップに置いていたオラクルの視線がオジさんへ向く。
「なにをしに行かれるんですか? あそこは軍事施設ですよ?」
「そりゃあハク少年を手助けにですよ」
「は、え?」
間髪入れずに答えたオジさんへと、オラクルが目を大きくさせて、心底驚いた表情をしている。僕達も初耳なので、オジさんへと視線を集中させた。
「俺は傭兵でね、外でハク少年と共に、決して出会うはずのないものと出会った。ハク少年はそこで負傷し、俺が逃したんだ。聞いていないか?」
「あ、ええ、聞き及んでいます」
「その後に少年とラジ子に助けられたってのが顛末だな。で、だ。あれは教会の教義として、存在してはならないものだろ? だから俺と少年は相談して、馬を返してもらったら、ハク少年の手助けをしようと決めたんだ。だよな、少年」
屈託のない笑顔でオジさんは僕の肩を叩いた。とりあえず僕は小刻みに頷いた。
オラクルは情報を咀嚼するように瞬きをしている。その表情はさっきまでの優しが消え、固かった。
オラクルの視線が下へ向いたかと思ったら、ふっ、と表情を柔らげた。
「この紅茶に、このエタポの実を入れると、もっと美味しくなるんですよ」
オラクルは茶器の陰から、乾燥したラズベリーのような実を、僕らの紅茶に一粒ずつ入れた。
オジさんはおかわりした実入りの紅茶をまた、グイッと飲んだ。
「確かに、爽快感が増した気がする。ほら、少年達も、遠慮しないで飲む飲む」
オジさんに促され、僕はようやくコップに口をつけて、真似して紅茶を飲んだ。爽やかな味わいはしたけど、飲んだ気はしなかった。




