022
嵌唐と呼ばれるこの町は、外で見た村とは作りが違う。赤や黄色の柱で支えられた、木造と石造りが合体した二階建ての、古い中華風な家々が多く立ち並んでいた。
僕達が泊まっている宿も、同じように二階建てで、赤い柱が剥げ、大通りからかなり離れた小道にひっそりとあるせいで、物寂しさを醸し出していた。
町は大きな石造りの外壁に囲まれている。ラジエルが言うには、出入りには身分証明書のようなものがいるらしいが、世帯主一人提示すればすんなり入れたようだ(今回はオジさんのを提示した)しかし、それはラジエルが作った偽の戸籍のようで、僕の分はまだない。そういう戸籍のない人達を流民というらしい。
オジさんの背中に背負われながら、本当に人が歩いていることに驚愕していた。この一週間、人の波を見た事がなかったから、この世界は荒廃しているものだと勘違いする他なかった。どうやら僕は、いつの間にか人恋しくなっていたのかもしれない。
「ほんとうにいいんですか?」
夕暮れが優しく宿を照らしつけている。その宿を背にして、大通りへと向かうオジさんの背中に声をかけた。
「爺さんのスキルは動物を使役するスキル。今は俺のスキルで使えなくしているし、逃げたらスキルはずっと使えないまま。だから大丈夫」
「でも、逃げて、ギョームや竜使いに情報を渡すかも知れませんよ」
ラジエルが尋ねるも、オジさんはどこ吹く風で歩みを止めない。
「それも構わない。もし情報がバレても、対策案がある。それに向こうから来てくれる分には、探さなくて済むからね」
おそらくだけど、オジさんは前々からラジエルと共に行動していた節がある。ラジエルは忘れてしまっているが、色んな計画が練られていることであろう。そこのところは任せておく気でいた。
「……どうしてブラディはスキルを返さなかったんだろう」
僕が一番気になっていたのはそこだった。
「それは本人に直接聞くなりしなさいな」
そんなの聴けるわけもなく、僕は口をつぐんだ。
「大体の不正者はチートスキルが便利であり、生活が安定するから返さなかったんですよ」
変わりにラジエルが答えてくれたが、本人を前にしてから、その言い分が釈然としなくなっていた。
「一芸に秀でて、簡単に何者かになれるから、返したくなるのも分からなくはない。あの爺さんも物見屋って呼ばれて、本人も気に入っている節がある。もしかしたら、そんなところかもしれんな」
地位や名誉が欲しかったから、返さなかった。それはあり得そうな言い分だった。
そういえばドラゴンに乗っていた人が物見屋って言っていたが、あれはブラディのことだったのだろう。
「オジさんはなんて呼ばれていたんですか?」
「俺? 俺は侍って呼ばれていたかな」
「侍だったんですか? ってことは過去の人?」
「いんや、当時授かったスキルが刀関連だっただけで、最初いた仲間が戯れて呼んだのが定着したぢけだな。それに俺はギリギリ八十年代生まれだよ。現代人なの」
えーっと、四十歳を超えているか超えていないかくらい? 確かにおじさんには見えるけど、四十代と言われても、そうは見えないほど、若々しい。流石に二十代と言われれば怪しさが増すけど……。
「オジさんはスキルを返したんですよね?」
「ああ、返して、帰ったよ」
その発言で帰れるのだと希望が湧いてきた。少し歩を早めてオジさんに追いつこうとする。
「その、それで、帰ったら時間が経っていたんじゃないんですか? 生活とかどうしたんですか?」
「……どれだけ時間が経とうが、生きていれば、帰る時間は選べる。俺は学校帰りのバスで事故にあったあとの病院で意識を取り戻したよ」
隣に並ぶオジさんは表情を変えず前を向いている。でもどこか悲しそうなのは、夕陽がオジさんの顔を照らしつけているからかもしれない。
「少年は帰りたいか?」
頭の上にオジさんの憂いているような微笑みが落ちてくる。
「それは……はい」
「うん。帰りたいと思えることは大事だ。……不正者達はこの世界を自分のいるべき場所と思っているんだよ。皆、あちらの世界で個々に苦しい思いをしてきたみたいだしな」
オジさんもそんな苦しいことがあったのかなんて聞けなかった。
僕も、苦しい思いをしたのだろうか。こちらの世界に来て執行者になる程の苦しい思いを。
考えると酷く頭が痛んで、痛んだ部分を手で押さえる。耳鳴りがジェット機のエンジンのように鳴り、その耳鳴りの中に僕の名を呼ぶ懐かしい声が聞こえた気がした。
「そういえば教会ってなんなんですか?」
耳鳴りが遠くなっていくなかラジエルは訊いた。
「宗教施設だが……まさかラジ子はそこも思い出せないのか?」
ラジエルは肩をすくめた。
「ああ、すまん、責めている訳じゃない。教会ね。エヴェル教会は、天にいる神を崇める宗教団体だな。この世界の半分の人間が入信していた大きな宗教だったが、今は天使が地に堕ち、宗教としての価値が低くなり他の宗教ととんとんってところかな。あ、これ、あんまり大きな声で言っちゃ駄目だからね、教会の中には過激派もいるから。ほら、ハク少年、かなり戦えたでしょ? ああいうのに思想が乗った頭カチカチの集団もいたりするから、妙なことは口走らないように」
割と人のいる往来で言っているオジさんはいいのだろうか。なんてツッコミを心で入れていると、オジさんは大通りを曲がって小道に入った。
「ああ、そうそう、今回は仕方ないけど、エヴェル教会には基本的に近づかないつもりだから」
「どうしてです? オジさんのお話なら、天に使えていると同義ではありませんか? 私達の不正者討伐を手伝ってくれるかもしれませんよ」
同胞みたいなものです、とラジエル。
「手伝ってくれはするだろうね。実際彼らは不正者を教義の元に何人か討伐してきた訳だし」
「ではどうして?」
「手伝ってもらえる変わりにラジ子の身柄を引き渡すことになるからだな」
「へ? それだけですか?」
「うん、それだけ。教会幹部の中に執行者でもなく、不正者でもないスキル持ちがいて、そいつに天の使いであるラジ子を引き渡し、使令体としての機能を調べるべく、人道倫理無視の研究をされるが、まあそれだけだな」
ラジエルの顔が引き攣っている。カエルの解剖をラジエルに変えたものだ。僕は開きにされたラジエルを見たくない。
「全員がそうじゃないが、上の奴らはそんな感じだ。だからあいつらとは手を組むことはない。俺達は俺達でなんとかするしかない」
そうこう話していると、四角屋根の中華風の建物の中に、三角屋根の建物が街並みの最後尾に建っているのが見えてきた。
建物の前で、ハクと同じような黒色のケープを羽織った、高身長で紅髪を纏めた女性がほうきを持って、掃き掃除をしていた。
「こんにちは」
僕達が近づくと、女性は掃き掃除を止めて、横に細い目をさらに細めて柔和に笑った。
「こんにちは」
オジさんが気持ちの良い挨拶を返したので、僕達も同様に挨拶をする。
「祈祷ですか?」
「いいや、預かり物があってね」
女性は首を傾げた。オジさんは僕へ視線を移動させる。僕の用事だし僕が話すのが道理だな。
「えっと、この教会にハク・センゴクが来て、馬を預けていきませんでしたか?」
「えっ、じゃあ貴方がアケビさん?」
女性は艶美な瞳を大きくさせて、ほうきを離す。ほうきが地面に落ちる間、僕はこの女性の妙な美しさに引き込まれそうになっていた。
「は、はい。明日です」
女性は僕へと近づいてきて、両手を掴んだ。ラジエルの手とは違い、細長く、あかぎれが目立ち、ごわごわとした肌触りがする。心臓が飛び上がるなか、女性の手を観察していた。
「ハクを助けてくれてありがとう」
女性は潤んだ瞳で両手を揺らす。
「あ……いえ、僕わっ」
本当に助けたのはオジさんだと言いかけた時、女性の手が離されて僕の背中に回り、後頭部に温かさを感じたと同時に抱き寄せられ、僕の顔は女性の大きな胸の中におさまった。
「本当に、本当にありがとう」
鼻の奥までとおる爽やかな石鹸のにおいしかせず、黒くさらりとした生地の奥の、柔らかで温かいクッションが頬に当たっていて、僕の顔はどんどん熱を持ってくる。く、苦しい。
「ちょあーっ! な、何しているんですか?!」
女性の背中や肩を叩こうとしたら、ラジエルが叫んでいた。おかげで、女性の力が緩んで、呼吸をできる隙間ができて首を上げた。
ふっくりとした顔に、涙がついた長い睫毛、一重で細い目と鼻梁の高い鼻に、厚い唇。丸みのある顎の下にはほくろが一つあった。そんな女性の顔が間近にあり、僕は余計に呼吸ができなくなってしまう。
「ありがとう」
女性は僕の乱れた前髪を整えながら撫でた。僕の慌ただしい心臓の音が、女性のお腹の上に押し付けられていることに気がついて、速度を早めた。
「離してください! 明日さんが困っています!」
ラジエルが僕の右手を引っ張って抗議している。ドラゴンとの戦闘の傷が痛んで、顔が苦味に歪む。すると、女性の身体が離れていった。
ラジエルに引っ張られて、僕はようやくまともに息が吸えて、大きく息を吐く。次は腕にしがみついて、女性に敵意を向けているラジエルの匂いと、暖かさがするけど、これには慣れたものだ。ちょっとだけだけど。
「ああ、ごめんない。わたし、また……」
女性は苦面しながら胸の前で手を組んだ。
「いきなり、抱きつくなんてどうかしていますよ?!」
ラジエルは、唸り声をあげる獣かの勢いで女性に噛みつく。彼女は僕以外の人に厳しい態度をとるのは、僕を思ってくれてのことだろうけど、過剰に感じるのは気のせいではないはずだ。
「ごめんなさい。わたし、感極まると抱きついてしまうんです。少し前にハクにも注意されたのに……」
「ハク、来たんですね?! まだいるんですか?」
「いいえ、報告をして、すぐに出立してしまいました」
女性は悲しそうに目を伏せた。僕もまた顔を見れるかと淡い期待をしていたので、肩を落とした。
「あー、シスター? 俺はオジといって、この子らの保護者なんだが、ハク少年は剣岳砦に向かったのですね?」
「……オラクルです。シスター、オラクルです」
オラクルは淑やかに頭を下げた。
「御礼をしたいので、どうぞ、中へ」
オラクルはほうきを拾うと、教会の硬くて重そうな扉を開けた。さっきまでの話しを思い出して、まるで虎の口の中に入る気分になってきた。
「入ろうか、少年」
オジさんが先に教会の中へと入っていく。僕も入り口まで移動し、扉の隣に立つオラクルを見てから教会の中を見やり、そして足を前に出した。




