021
痛む額を抑えながら、つい四時間ほど前の事を僕は思い出す。
「オジさん、ですよね?」
自らをオジさんと名乗った人にラジエルはおそるおそる尋ねた。
「ああ、そうだ。ラジ子と契約したオジさんだぞ」
自分の発言が正しかったラジエルは胸を撫で下ろして息を吐いた。そしてラジエルはこれまでの経緯をかいつまんで説明した。
「記憶がない、と」
「はい、所々ですがありません。知識の天使の面目もありません……」
ラジエルは、しゅんと顔のパーツが中心に寄らせる。
「気にしない、気にしない。二人と無事に出会えたんだ、元気していこう」
オジさんは手を叩いて明るく言い放つ。僕もラジエルも底なしの明るさにきょとんと目を丸くさせた。
「自己紹介まだだったな、俺は大路英雄。ラジ子にはオジさんって呼ばれていたから、少年もそう呼んでくれて構わない」
「大地明日です。よろしくお願いします……オジさん」
目上の人をおじさん呼ばわりした事がないので、緊張がでてしまった。
「よろしく。ラジ子の話しからすると、少年もラジ子より情報を持っていないんだね?」
オジさんは気にした様子なく、優しく尋ねてきたので、僕は頷く。
「そうか……ふむ」
オジさんは腕を組んで、空を見るともなく見ながら唸る。しばらくそうしてから、組んでいた腕を解いた。
「よし、じゃあもう一人の同行者を紹介しよう。おーい、でてきていいよ」
オジさんが背後の茂みに向かって手を振って声をかける。
「もう一人?」
ラジエルが首を傾げると、茂みの中がガサガサと動きだし、慌てて僕はパージを起動する。身体が低くなって構えたので、明らかに悪意のある者だ。
「おい、その子供のそれ下げさせろ」
茂みの中から、年老いた男性が両手をあげ出てきた。日に焼けた浅黒い肌にシミをたくさん作っているも、老人にしては背筋が伸びていて、目が鋭く隙がない、見つめ合うだけで緊張感を与えてくる。スキルも同様の判別をしているのか、ナイフを握る手が強まった。
「少年、スキル解いてもらえる?」
「でも、あの人、僕達に敵意を持っていますよね」
視線を老人から背けず言うと、オジさんは、ほう、と感嘆を含んだような声をあげた。
「少年はそういう勘が鋭いのか?」
「はい、一応」
敵意を持つ者の前で、生命線であるスキルの概要を話す気にはなれない。
「なら、話が早い。あそこにいるご老人は、ギョームの仲間だ」
オジさんの言葉に僕の心臓が強かに叩きつけられた。頭の隅にこべりついていた小屋と、村にあった惨状が剥がれ落ちて、今にも身体が前に出そうになる。
駄目だ。僕は、人殺しにはならない。深呼吸をして心を落ち着かせて、ふと、疑問が浮かぶ。
「それって、オジさんも仲間に?」
「いいや違う、逆だ。俺が仲間に引き込んだ」
「何が引き込んだ、だ! 仲間になるなんて一言も言ってないぞ!」
しゃがれた声で老人は声を荒げた。一体どういうことだ?
「って、言ってますけど」
「……交渉中ってやつだな。でも俺たちには手を出さないよな!」
オジさんも声を張り上げて老人に返す。
「出したくても出せるか!」
老人は怒りを露わにして、また返してきた。距離が離れた大声合戦にちょっと毒気が抜かれてくる。
「とのことで、俺のスキルで手を出せなくしている。ちなみに、あの老人は少年とラジ子に対して、熊とマンテで二回攻撃を仕掛けてきている悪い奴だ」
「極悪人じゃないですか?!」
黙って聞いていたラジエルがツッコミを入れる。僕も同じ意見であった。
「お前! 私の立場をどうさせたいつもりだ!」
話しが聞こえている老人も憤慨を続ける。嫌悪感を置いておくと、老人の言うことは尤もである。
「蟠りを無くしておかないと、今後に支障がでるし、仲直りしておいてくれないと困る」
オジさんが真顔で言うものだから、誰も反論しない。ラジエルも老人も呆れ返ってたらよえに見えるが、僕は真摯にオジさんの言葉を受け止めていた。
僕が、あの人に敵意をもたなければ、この話は前に進む。ラジエルが死に、僕が死にかけ、あの山小屋や、村の惨状に加担している人間に対して、敵意を向けず、それらを水に流し、笑顔で握手を交わさなければいけない。なにもわからないが、それはわかる。
できるのか? やれるのか? 感情を押し殺し、流されるままに手を結べるのか? 今までの僕に問いかける。
「オジさんは、どうしてラジエルに協力しているんですか?」
オジさんへと視線を向けると、オジさんは真剣な顔のまま答える。
「今、必要な質問か?」
「はい。あの人は信じられません。だからオジさんを信じさせてください。そうすれば、僕はオジさんを信じて言うとおりにします」
オジさんは僕と目を合わせ続ける。ふいに、オジさんの口許が緩んで苦笑を浮かべた。
「俺もあの爺さんを信用していないから、ここで詳しくは言えない。あの爺さん、目も耳も俺たちよりすこぶる良い。これも聞かれている」
僕達の距離はざっと二十メートル強は離れている。小声で話しても聞こえない距離だ。そんなスキル? いやスキルは使えなくしているから、人体そのものの力か……怖っ。
「過去の清算だな」
老体の五感に恐怖していたせいで聞き逃し、えっ、と漏らしてしまう。
「俺が過去によかれとやったことが、この惨状になってしまった。間接的に関わっているからこそ、ラジエルの誘いに乗り、ギョームの所業を終わらせようとしている。それが俺の目的だ」
僕の目を見つめてオジさんは語りかけてくる。人の目に本気が宿るとしたら、今のオジさんの目がそうなのだろう。
「でもそれってオジさんが、直接関わったわけではないんですよね?」
話によるとギョームが不正者と共にノルン国を作った。オジさんは執行者だから、関わってはいないはずだ。
「ああ、だが地盤を作った責任はある。天命もあるが、八割方俺の私欲で動いている。もちろんラジ子は過去にそれを了承済みだ」
ラジエルは覚えていないのか眉を顰めている。
「でも、悪いことをしているのはギョームですよね。オジさんはなにも悪いことをしていないのに、責任だけでどうしてそこまでするんですか?」
「……不正者を執行する。これは天命であろうが俺は私刑だと思っている。だから俺はこれから悪事を働く人間だよ。本質的にはギョームがやったことと変わらない」
「それって、あの人を……」
手に持ったナイフが太陽光を反射する。その光がなくなる程に、肉にナイフを突き立てる自分の姿が垣間見えた気がした。
「いいや、それは最後の手段だ。話し合い、スキルを返してもらう……そうでなければ、俺は執行者としての勤めを果たすだけだ」
オジさんは憮然と答える。この人はもしかしたら、人の命を奪うことを厭わないのかもしれない。過去にこの世界にいたのだから、きっと僕がしてきた体験よりも、より凄惨な体験をしてきたに違いない。いや、きっとそうだ。だったら、全てこの人に任せられる。そう思うと、僕の肩から荷が降りて楽になった気がした。
僕はオジさんのように命に順序立てできない。
「わかりました。オジさんを信じます」
張っていた気とパージを、僕は解いた。
「だってさ! こっち来て!」
ナイフが消えたことにより、オジさんは老人を快活に手招くと、老人は訝しみながらこちらへ歩いてきた。
「ブラディ・ロングさん。不正者だが更生中の爺さんだ。ブラディ、こっちが大地明日少年で、あんたが嫌う天使のラジエル」
オジさんが間に入ってそれぞれ紹介をする。ブラディは訝しみながらラジエルを上から下へ何度も観察した。
「な、なんですか」
ラジエルは視線に耐えられず、身体を腕で隠す。
「お前本当に天使か?」
「なっ、天使ですよ?!」
「羽も輪もないじゃねぇか」
「この身体には必要ないからですっ」
「じゃああの青い手を使えないってわけか」
「そ、それは話す気はありません」
しげしげと物言うブラディに、ラジエルはぷいと顔を背ける。
「ブラディ、俺たちはあんたを執行する気はない。そうツンケンするなよ。それともラジ子が可愛いから意地悪したくなっちゃったのか?」
「はっ、天使など虐め飽きたわ。何が執行する気はないだ。私が大人しくしている今は、だろう? 私から情報を搾り取って、スキルを奪って殺す腹づもりなのだものな」
皮肉めいた表情でブラディは頬のしわを伸ばす。
「そうしてほしいなら、いつでも言ってくれ。ただ、俺にそれをさせないでほしいな」
オジさんもシニカルな笑顔で言うと、ブラディは舌打ちをして僕を睨んだ。怒りのやりどころがないからって、僕を睨まれても困る。
「さて、自己紹介をして打ち解けたところで、休めるところまで行こうか」
オジさんは胸の前で手を合わせる。どこが打ち解けたのだろうか。全員が疑問に思っているに違いない。
「ブラディ、この先には何がある?」
「……嵌唐って町がある」
「よし、とりあえずそこを目指すか」
「ちょっと待ってくだ、さ?」
膝からしたの感覚がなくなって、地面が一瞬にして目の前になる。次に目を覚ましたら、オジさんに背負われて町の中だった。
ベッドに腰掛け、じんと痛む額を摩りながら道のりを思い出した。オジさんを信じたけど、気心知れない人達と行動するのは少し嫌だな。同年代のハクと一緒に行動していた方が幾分かはマシかもしれない。
「あっ! ったぁ」
ハクのことを思い出し、追随して馬のことを思い出したところで立ち上がったら、上のベッドに頭をぶつけた。僕は頭を押さえながら身体を曲げる。
「だ、大丈夫ですか?」
窓を開けて外を見ていたはずのラジエルが覗き込んできて、心配そうな顔をしている。さっき起きた時も、同じような顔をさせてしまったので、僕は咄嗟に両手を離して、愛想笑いをした。
「大丈夫。僕、馬を取ってくる」
「馬? 少年は馬を持っていたのか?」
僕達のやりとりを仰向けで寝転びながら聞いていたオジさんが話しに割って入ってきた。
「あ、はい正確には僕のじゃないんですけど、オジさんと会う前に友人に貸したんです」
ハクと出会って数日だが、友人という響きが妙にしっくりきて、僕は驚いていた。
「ああ、教会員の子か、ハクだったか?」
「知り合いなんですか?」
「デュラハンとやりあった時にちょっとな」
「デュラ?」
聞きなれない単語に僕は首を傾げた。
「ま、その話は馬を取りに行ったあとだな。少年、ラジ子行くぞ」
よっこらせ、とオジさんは起き上がって部屋の入り口を開けた。
「えっ」
三人で出かけていいんだろうかと、僕は二段ベッドの上を見やる。ラジエルも同様に見ていた。
「逃げたらもう一回捕まえればいいの、それに秘密の話したいでしょ?」
そんな堂々と秘密の話なんて言っていいのかな。二段ベッドの上からは小言さえも返ってこない。本当に寝てしまったのだろうか。
「行きましょう明日さん」
ラジエルが僕の背中に軽く手を当てた。彼女の華奢な手に押されて、僕は部屋を出た。




