第三章 ②
雨が止んだ。湿気を含んだ熱気が木立内に立ち昇る昼過ぎ、教会員と、監視対象が忙しなく馬を世話している。ブラディは、動くのだと直感した。立ち上がるといたるところの関節の骨が鳴り、雨露が土と枯葉で音色を奏でた。
その音で、木の下に寝ていた身体の大きいマンテが耳を横にひくつかせながら起きた。ブラディは木から降りて、マンテの頭を撫で、山小屋に残っていたシーツを嗅がせる。嗅ぎ終えると、マンテは鼻を鳴らして木立の奥へ走っていった。
監視者は徐角ではない方向へと向かい歩き始めた。あの魔物の後を追うのはリスクが高いと判断したのだろうか、そうブラディは考えたが、彼らがどこへ行こうが、監視し続けるので深く考えることはしなかった。
その夜、マンテが待機させていた群れを率いて監視者を襲った。教会員さえいなければ、監視者のどちらかは葬れたはずが失敗に終わった。
そんなことよりも、天使が執行者を庇うのが信じられなかった。天使は人間を使い捨ての道具としか考えておらず、人間を下等種族と罵る魔族と変わらない存在なのに、人を庇った。目が渇き、何度も擦ったが、事実は変わらない。
ブラディに力を与えた天使、エジェルは、地上で磔になっている。本体は空にいるようだが、精神に異常をきたすまで拷問をしたので、違う身体で降りてくることはなくなった。
奴らの世界には痛みがない。他人の痛みを知らないのだ。だから、ああも簡単に人を殺せる。
奴らに教育を施した。痛みを伴い、死の恐怖を徹底的に味合わせて。それが理由なく殺された我々なりの復讐であり、大義。
だがしかし、あの天使は今までの天使と違う。熊をけしかけた時も執行者を治療し、介抱していた。人を労ることを知っている。一回も進捗を訪ねに来なかったやつとは違う。
なんでだ、私にはそんな振る舞いを一度もせず、家畜を屠るかのように殺そうとしたではないか。
天使は満面の笑みで殺人を犯す化け物だ。そうでなければいけない。ブラディの拳に力が入る。
奴等を殺す。
戦士の表情で明確な殺意を持ち、監視対象が動きだすと同時にブラディは木の上から飛び降りた。
幸い奴らは、この先にある古い洞窟の中を進むようだ、狭い道で獣を襲わせて、落盤させ、生き埋めになればいい。
鳥の目を使い、人間ができる大凡の探知範囲から離れていることを確認してから、ブラディは歩を進める。峠道は老体にきつそうだな、そう思った時だった。
「見つけた」
背後から声がして、咄嗟に振り向いた。が、顎に強烈な一撃をくらってブラディの目の前が真っ暗になった。
次にブラディが目を覚ました時は、見知らぬ林の中であった。両手を後ろ手で固く縛られており、目の前には焚き火があって、焚き火越しに甚平を着た一人の男が座っていた。顔は蓮の葉っぱで隠され、目の部分から茶色の瞳が覗いている。ブラディは自分が捕虜になったことを悟った。
「お、起きたか」
軽い調子で酷い訛りがある男は語りかける。ブラディは口を結んだ状態を維持した。
「ブラディ・ロングだな?」
名前を把握されていて、この男が一般人ではないとの懸念が強くなる。少なくともチートスキルを所有している可能性があった。だがブラディは今すぐ殺されるわけではないのを経験則から判断して頷く。
「失礼だが、今はわけあって自己紹介できない」
男は会釈するように頭を下げた。
「逃げてもいいが、その時は容赦しない。スキルを使おうものなら、もってのほかだ」
男の目と口調には殺意が宿っていない。説明文を読むような調子なのに、言われたことを遵守しなければならない衝動に駆られる。この男と話していると、まるでギョームと話している気になるのは、気のせいか。とにかくブラディは、自身に生殺与奪の権がないのを深く理解する。
「どうして私の居場所がわかった」
人に感知されないように身を潜める技術は長けている。鳥の監視の目を掻い潜り、地上にいる齧歯類の網を抜けて近づくのは至難のはずであった。しかし、この男は背後に立っていた。
「鳥だな。あれは……鳶か。同じ鳶がずっと同じ場所を旋回しているのを見つけた」
男はなおも淡々と話す。
「普通のことだが?」
「言い方が悪かったか? 場所を変えても同じ場所を旋回しているのを見つけた。不自然だ」
「そういう個体なのかもしれないであろう」
見抜かれていたか、大したものだ、と称賛しながらも、無害を装いつつブラディは男の目を見続ける。
「まあ、そうだな、突然変異した個体がいるかもしれない。俺達みたいに、違う環境にいきなり置かれ、身の振る舞い方が前の世界と同じではいられなくなったみたいな奴もいるかもな」
「なんの話だ?」
「とぼけるのはよしてくれ、あんたはブラディ・ロングだ。動物を使役できる、物見屋のブラディだ」
パチパチと焚き火の中で湿った樹皮が弾けた。
この男が何者であるにせよ、全て知った上で話したがっている。逃走と闘争は許されない。情報を搾り取ろうとしているのだろう。これは紛れもなく尋問だ。ブラディは死の恐怖を戦士の顔で隠した。
「お前は、私を殺すのか?」
「それはあんた次第だ」
「そんなに情報が欲しいか?」
「それは二の次だな。あんた達が期限の過ぎたスキルを使ってきた代償がどこへいっているかは知っているな?」
ブラディはそんなことか、と顔を背ける。この男は己が正しさを振り撒く珍気な人間で、早死にする人間と判別した。
「ノルン国の外側にいた人達は突然死ぬ。本来死ぬはずだったものの変わりとなってだ」
「戦争と変わらん」
「本質的にはな。だから、戦争と同じように止められる」
現実を知らない青二才の物言いにブラディは頭にきた。
「それで私達を殺そうってか。今でこそノルン国は幸福だ。理不尽に死ぬことが少ないからな。闘争はあるが、戦争はない。ギョームのおかげで御せている。そもそも、この世界は魔物がいたから国同士が争えなかった。人類が一丸となって魔物を屠るために天が法を定めたからな。だが英雄が魔物を消したから、権利争い、食糧、領土、人種、宗教、それらの内乱が各地で始まって広がっていったのだろう。ギョームはそれを統治下に置いただけだ」
魔物がいた時から、その問題は各国であった。ギョームは魔物が消えればどうなるかを考えていた。もちろんギョームと同じ考えの国や人間も少なからずいた。だからこそ、ノルン国が誕生したのだ。戦禍で世界が汚れる前にギョームは楽園を作り上げた。ブラディはそう認識している。
「詭弁だな。だったらなぜまだスキルを使用する。それを使わなければ、他国の人間も死ぬことはない。なぜ他国の人間を定期的に殺害するんだ」
「すべての人間は不当に幸福を手放してはならない。ギョームは国の基盤を作り上げる際に、全世界に触れ書きを出した。そして人々をノルン国へ移住させるため、移住派遣部隊を作り世界を回った」
それに二年費やし、移住したがる民をできる限り取りこぼさずにノルン国へ移住させた。
「ギョームは外の国に、《《あらゆる外交を用いて》》実行した。従わなかったのは戦禍を起こしたがる世界だ」
「答えになっていない」
「いいや、答えだ。あの後も移民、難民は受け入れている。私達は、不当に死ぬべきではない」
「違う。お前がスキルを返さないのはなぜかと訊いている」
大局ではなく、自分自身に質問されていると理解し、雄弁に語っていた口が開いたままになる。
「……そんなもの、生きたいからに決まっているからだ」
嘘をついても仕方ないのでブラディは本音を口にした。
「……ではなぜ天使に従わない?」
はじめて男から動揺を感じた。しかし深く追求して考えずにブラディは答える。
「奴らを信じられないからだ、お前こそなぜ天使に従う。奴らの本性を知らないのか?」
「天使は魂を抜く、か。あれは嘘だ」
ブラディが広めた言葉を小馬鹿にしくさった言い方で呟いた。男は微塵もそんな気はないが、少なくともブラディにはそう聞こえたのだ。
「嘘なものあるか、私はこの目で見た。スキルを返したやつはその場で死んだ!」
「そんなことはない。俺は実際に一度帰っている」
首を振ってあり得ない回答をする男にブラディの心は荒れる。
「は? ……嘘ならもっとマシな嘘をつくんだな。この世界から帰った奴なんていない」
「英雄は帰ったぞ」
「そんな情報は流れてきていない。英雄は魔王を倒してから天使に殺されたのだ」
「……英雄の予後は語られないものか」
男は淋しそうに呟いた。この世界で英雄の童話は沢山あるが、どれもその後は不明瞭であり、多くの場合、総じて天に帰ったとされている。
「返す気はない、でいいんだな?」
結論に辿り着いたのか、のそりと立ち上がった男は、焚き火を回りブラディへ向かってくる。
ブラディは血走った目で男の動作を見ながら、後ろ手を動かし、なんとか抜けようとする。
男がブラディの背後に回ると、ナイフを抜く音が生々しく鳴った。敵部族の首を切る前の音と酷似していて、身体の芯から震えがやってくる。ブラディは大きく喉を鳴らした。
ふっ、と後ろに回っていた手が軽くなる。ブラディの後ろ手が解放されたのだ。
「なっ、なにをしている?」
背後にいる男を乾きそうな眼で見る。
「俺は無理強いはしたくない。あんたが俺の思想を理解してくれるように尽力をつくすつもりだ」
男は立ち上がって、またブラディと対面するように座った。
ブラディは手手首をさすりながら男が言ったことを反芻する。そして強い目つきで見溜めた。
「それは厳しい道とは言えんぞ、無謀であるし、傲慢だ」
他人の思想を変えるのは容易ではない。それが人生を形成しているモノならなおさら不可能だ。この男が、それに変わるものを差し出さなければ、ただの傲慢でしかない。
男は自身の命を賭けて、私になにを見せようとしている? ブラディの中に眠る戦士の血が沸き立つ気がした。
「ああ、重々承知の上だ。だが人殺しよりマシだろ」
この男はすべての人間を、話の通じる人間と思える奇異な人間なのだ。ブラディはそう驚いていた。
この男は業が深い。そして、臆病ではない。少し、未来を見てみたくなった。
「ああ、そうそう。あと殺気だ」
「なにがだ?」
「あんた、俺じゃない何かに強い殺気を向けただろ? それで位置がわかった」
ブラディは驚嘆する。殺気だけで位置を読むなんて、獣ですら難しい。この男は歴戦練磨で野生の感が鋭すぎる。敵にしてはならない。
「で、その殺気を向けた人達のところに俺を連れてってくれ」
男は蓮の葉を外して、屈託のない笑みで言う。天使の微笑みを彷彿とさせた笑みに、命の危険を感じたブラディは、おずおずと頷いて了承するのであった。




