第二章 ②
茂みを抜ける前に、火の周りで人間が輪を作っているのが見えた。補給部隊と傭兵達だ。それらの横を黒い馬が蹄を鳴らしながら横切ると、半分が身体のどこかを欠損させて地に倒れ伏していた。
夜目のきくハクでも、黒い馬に乗っていた者が見えなかった。そもそも、火があるのにも関わらず、かろうじて見えたのは明かりを反射しない黒い剣のようなもの。それが一瞬で過ぎ去って、光りの届かない闇へと紛れていった。
走っても乱れない鼓動が早まっている。ハクの中で、相手が経験したことのない不可解な存在と認識し始めていた。
そこでハクは隣にいた男がいなくなっているのに気がついた。逃げたか、隠れているのかは分からない。今、自分がするべきことは男を探すことではなく、あの得体の知れない者を屠るべきである。そう、意識を切り替えながら、ケープから射出し拡大させた刀を握った。
まだ狼狽えながらも、闇の中から鳴る蹄の音へ切先を向けている集団にハクは合流する。
「なにがあった?」
「知るかよ! いきなり傭兵の一人が斬られて、そんでこうだよ!」
「相手は一人か?」
「しらねぇよ!」
震えた腕で言い切った隊員を責める気もしなかった。所詮他人はこんなものであるし、この部隊が窮地に弱いのは織り込み済みであった。
「チーエンは?」
「隊長? 隊長はさっきまでそこに立って――」
旋回していた蹄の音がハク等に向かってきたので、男は言葉を切った。集団の中から息を呑む声と、恐怖に耐えられなくなって突出する声が出るのは同時だった。
声を上げて闇の中へ突っ込んだ隊員のぎゃっ、という悲鳴のあとに、地に倒れる音が聞こえた。そして、ハク等の真正面に黒い首のない馬が現れた。
ハク達は首のない馬から、闇が揺蕩った靄が出ているのに目を奪われ、身体を硬直させてしまっていた。唯一、ハクだけが左から迫る死の圧を感じて、硬直を解き姿勢を低くした。
ハクの頭上を黒い剣が通り、周りにいた者をすべからず撫で斬りにする。剣の通り抜けざまにハクは馬上にいるものを把握した。
その者は夜のように黒い洋甲冑を身に纏い、身体と同程度の長さの剣を片腕で振るう、首の無い騎士であった。首無し騎士の首からは、馬と同じように黒の靄が闇に溶け出している。
魔物だ。ハクの頭の中で鮮烈な火花が弾けた。
過ぎ去りざま、ハクは長刀を首無し騎士の胴体に横一閃に当てたが、甲高い金属音がするだけで、斬った手応えを感じられなく、苦笑いしてしまう。
ハクの長刀は天命を持ったスキル――チートスキルであり、魔力を通じていなければ、殆どの物質は斬れる刀。その刀で斬れないとなると、相手が魔力を持つ魔物の証左になる。ハクは、絶滅したはずの生き物が復活したことに、さらに鼓動を早くさせていた。
俺が次の英雄になれる。英雄が所持していたスキルを授かった時から、いや、授かる前からハクはそれを夢みていた。
死んだ人間には悪いが、僥倖と言わせてもらう。
いつの間にか、周りは静かになっている。もう焚き火の周りも、他の場所にも人の気配はしない。ハク以外、誰も立っていない。
蹄の音が旋回をやめ、ハクへと向かって高らかに駆けてくる。
来いよ、今度はこの短刀で仕留めてやる。湿った口内を舐めて、ハクは長刀と短刀を構えた。
黒い馬の首が見えた瞬間に、ハクは体重を前に傾けて大剣を長刀で受けるために右足を踏み込もうとした。その時、ハクの右足首を誰かが強烈な力で掴んで動きを止めた。
目線を右足首に向けたハクは、掴んでいる者の正体が、上下の身体が別れて、既に動かなくなっていた仲間の死体であることに驚きを隠せず、自身が思っているほど長い時間視線を奪われてしまった。
右足を尋常ではない力で死体が引っ張り、前へと態勢が崩れたハクは、短刀で死体の手首を斬った。そのまま身体を捻って、前方から迫りくる剣を長刀でまともに受け止めてしまう。
本来ならば受け流し、短刀で攻撃をしかける予定が、剣を正面から受けたことにより、体勢が崩れていたのもあって反動で身体が宙に浮いた。
魔物の一撃は重く、ハクは大きく吹き飛ばされ、茂みへと着地した。
足首を掴んでいる手を短刀の柄で落とすと、足首は鬱血し、紫色の手の跡を残していた。
死に際の馬鹿力か? 魔物に使えよ。
胸中で悪態をつきながら、顔を上げて野営地を見たハクは目を疑ってしまう。死んだはずの仲間達が関節を曲げずに立ち上がる、とのありえない光景が広がっていたからだ。
順番に立ち上がっていく光景に目を留めていると、突然、強烈な渇きにハクは襲われた。
目がかすみ、喉が腫れたように痛み、舌が張り付いて唾を飲み込めない。口が勝手に開いていき、空気中の微細な水を求める。とにかく、身体が水分を欲している。なにが起こったのかを分析しようとしたが、身体がふらついてしまい、上手く立っていられない。そちらに思考を持っていかれる。
蹄の音が迫ってきた。ハクは腰に下げていた水筒を見る。水を飲めば安定するであろうが、片手で対応できるほど、あの魔物の一撃は甘くない。それは先程の攻防で分かっている。だが、飲まずにいられない。
ハクは短刀を収納し、水筒を手にして水を煽って飲んだ。感動的な冷たさが、乾ききった身体を潤していくのを体感し、水筒の飲み口を噛みながら、短刀を出した。
蹄の音はもう間も無くのところで、ハクの背後で茂みが揺れる音がした。咄嗟に短刀を反転させ、背後にいる者の心臓付近に突き刺す。肉の中に刃が突き刺さる感触で、命を奪ったのだと確定させ、短剣を引き抜いた。
振り向いて何者かの死体かを確認する間も無く、黒い馬の首が現れて、ハクは大剣を受け止める体勢になる。
「なんだっ!」
いきなり胴回りに重さを感じたハクは、流石に動転し、胴回りにある腕を見ながら、少しだけ首を背後に回した。
「っチーエン」
目に光を宿さないチーエンが、ハクの胴回りに抱きついていた。
剣が風切る音が前からする。長刀で受け止めるため右腕を前にだそうとするが、チーエンの腕がそれを拒むためにハクの右腕を掴んだ。
三手遅れたハクの眼前に剣が迫り、世界から音が消えさって、著しく時間が遅くなった。その間、ハクはこれまでにあった辛いことを思い出していた。思い出はただ辛く、現実になにも影響は与えない。経験は迫る死を覆してくれなかった。
剣が消えた。馬も消えた、魔物も消えた。ハクの視界は死体が蠢く野営地に代わっていた。
ハッと我に返ったハクは、短刀でチーエンの腕を切って、額を刺して押し込み、出来上がった隙間に長刀を流し、チーエンの両腕を落とす。
腹を後ろ蹴りし、チーエンを蹴飛ばして魔物を探すと、金属音が右の暗闇から聞こえだした。
今度は左から馬の嘶きがして、茶毛の馬が駆けてくる。ハクは警戒したが、澄んだ馬の目を見て警戒を解いた。
「その馬に乗っていけ! 少年!」
金属音のする暗闇から野太い声が叫ぶ。さっきの男の声だとハクは認識した。なにか言葉を返したかったが、渇きがぶり返してきて、なにも言えなかった。
「このことを伝えろ!」
ハクは渇きにより、自分がまともな戦力にならないと判断し、男の言うとおり、生き延びて魔物の復活を世に知らしめる役割を担うことにした。
馬に乗り、暴れる馬を御し、振り向くことをせず心の中で男に感謝しながら、ハクはその場を後にした。
一つの馬の蹄の音が離れていき、聞こえなくなる。いったな、と英雄は口の中で言葉を転がした。
黒い剣が振るわれて、その胴を拳で突き上げる。ガキン! と鈍い金切音をあげて剣は上へと跳ね上がった。魔物はまた、その剣を振り下ろす。その応酬はハクを助けてから二十は超えていた。
このままじゃ埒があかないな。英雄は息を切らさないようにしつつ、剣を弾き上げながら思った。
英雄が持っているスキルは、ハクを助けるときに使ったので、残り二回しか使えない。確実にこの魔物を二回で仕留めるのは経験的に不可能だと、自信過剰に英雄は判断していた。それでも、ハクを逃す時間は稼がなければならないために、不毛な攻防をしているのだ。
斬られると動く死体、ゾンビになるのか。英雄は攻防の間隙に、彷徨うように歩いているゾンビを観察していた。
デュラハンに斬られた副次的効果だろうが、俺の知っているデュラハンとは違うな。過去に見た同様の姿をしたデュラハンを思い出しながら、英雄は剣を拳で弾き飛ばした。
ゾンビ達が主人を守るかのように英雄とデュラハンへ向かい始めている。ゾンビには動くものを狙う習性があるが、英雄の知るところではなかった。
このままゾンビにも襲われれば、余計な手数を増やし、傷をもらうことになる。それは英雄としては窮することなのは理解できていた。
もうそろそろ限界だな。今日一番に腕に力を込めて、英雄は振り下ろされた剣を大きく突き上げた。デュラハンは予想以上の突き上げで腕が後ろに逸れ、振り下ろしに時間を有した。英雄はその隙に自身のスキルを発動させる。
「せいや!」
正拳突き。ただ拳を振るう、それだけの動作に、デュラハンは対応できず、鎧の胸に拳が穿たれた。
拳を突き出した英雄の前からデュラハンは馬ごと吹き飛んでいった。馬の悲鳴のような嘶きと、木々が折れる音が吹き飛んだ方角からこだまする。
「これで、やられてくれればいいが」
普通の鎧なら貫通しているはずの威力を持つ技だが、英雄の穿った拳からは血が滲んでいた。
「魔王の服心を一撃でやれるわけないよな……っと、俺も早く退散しないと」
ゾンビ達がもうそこまで来ていたのに気づいた英雄は、食料と水が入ったバックパックを持ちその場を去った。




