019
今日はカラッとした天気だ。洞窟の中に一日いたから余計に日差しが暑く感じる。目の上に手で日差しを作って太陽を見上げる。
太陽と月は同じなのに、僕は違う世界にいる。帰る手段はあるらしいけど、今は使えない。母さんやあいつも心配しているだろうな。
………あいつって、誰だ?
「ん?」
思い出そうとすると頭に痛みがして、目を細めた時だった。太陽が一瞬欠けたように見えた。
太陽と僕の間に鳥が入っただけだろう、そう思ったが、なぜか一抹の不安が胸の内に溜まっていく気がしてならない。
その不安を解消するために目を凝らす。太陽を背後にして、鳥のような輪郭が見えた。なんだ、やっぱり鳥か。
ホッと息をついて、見るのをやめようとした時、その影が大きくなっていることに気がついた。大きくなってくるほど、影は濃くなり、より輪郭が明確になる。
影の形が鳥とは違う。翼の真ん中に突起があって、足が四本あるように見える。うん、あれは四本ある。僕は足を止めて見入っていた。
「どうかしましたか?」
それに気がついたラジエルも、空を見上げる。もう太陽より、影の方が濃く大きい。僕にはあれが生物だとはわかるが、その生物を実在する生き物として見たことはない。
「ドッ、ドラッ、ドラアーッ!」
ラジエルが叫んだ。それで僕の想像している生物と名称が合致した。
「ドラゴン?!」
西洋風な四つ足のドラゴンだ。影の先端にある二つの金色は双眸に違いない。それが僕達に向けて急降下してきていた。
「ラジエル、走って!」
僕は、あんぐりと口を開けているラジエルの手を握って走りだす。走って逃げられるなんて、思っていない。せめて、木の下へと避難できれば。
僕の思いは届かず、影は僕達の進行方向の上を通り過ぎていき、突風に見舞われる。片手で目をかばいながら、転けないように踏ん張りつつ、パージを発動した。
風がおさまると同時に地面が揺れ、僕達の前に影ができた。鋭い鉤爪を持った後ろ脚で立ち、胴回りは油が反射しているかのように七色に光る鱗で埋め尽くされ、前脚の爪を鳴らしている。長く伸びた首の先にはワニとトカゲが合わさったような顔に白い角が猛々しく生えていた。その生物の名前はドラゴン、それが目の前に佇んでいた。
「ドラゴンなんてありえません、ありえません」
ラジエルが震えながら、少し身を寄せてくる。ドラゴンから目が離せない僕は、首が痛くなるほどの高さにある顔に圧倒されていた。空想の世界ではあの口から火を吹いたりする。このドラゴンもそうなのか。
かろかろかろ、とドラゴンが喉を鳴らした。火を吹かれるのではと、ナイフを前に出してかまえる。
「なに? ただのガキ二人?」
ドラゴンが喋った。それもハスキーな女性な声に聞こえた。
驚いていると、かろかろかろ、とドラゴンがまた鳴いた。
「いや、あの馬の方は教会の奴だ。物見屋が間違っていなければ、こいつらで間違いない」
ギョロリとした目が僕達をとらえた。なにがなんだか、わからないっ! この世界に来てからずっとわからないままだけど、このままじゃ生命の危機なのはわかってきた。
「ぼ、僕達に何か用ですかっ!」
上擦った声を上げてしまった。それでも怯んでいられない。
「な、なにか用なら、お話しか」
「ギュオオオオン!!!」
ドラゴンが人を丸呑みにできるくらいの大口を開けて、耳を劈かんばりに叫び、身体の中が振動する。
生臭く、ほんのり温かい湿った空気が吹き付けたあとに、僕の身体が震えだす。
「黙れ」
その冷たい声のがすると、ドラゴンの首が背中の方を振り向いて、また喉を鳴らしている。もしかして、背中に誰かいるのか? その人がドラゴンと会話している? だったら話し合いの余地はある。
「女子供だろうが、殺す。それが俺達の使命だろ」
どうやらそんな余地はないようだ。背中の声は聞き間違いでなければ殺す、と言った。覆らない決定事項を告げる口調のようだった。
ドラゴンの首がこちらを向く。そして、緩慢に口が開いていき、チリチリと音をあげはじめ、心なしか空気が乾燥している気がする。
「明日さん」
僕の二の腕を握っていたラジエルの手が解かれる。僕だけでも避けろ、その意図がハッキリとわかった。
マンテに襲われた時、ラジエルを生贄に差し出す案を思い浮かべた。村にいた時の夜、見捨てないと約束したのに、思い浮かべてしまった。
ラジエルの判断は間違っていない。気持ちを汲むべきだ。それが最善だ。でも。
できるわけない。
僕はラジエルの肩を寄せ、両膝の裏を持ち上げて抱える。跳躍すれば避けれるだろっ、そうだろっ! 僕の身体っ!
「ブレスト」
ドラゴンめがけて駆け出した時、冷たい言葉と共に、ドラゴンの口から炎が吐き出された。
目の前が眼を瞑りたくなるほどの光量と、痛みを伴う熱さに襲われる。目は瞑らなかった。自分が選択した最後の光景を悔いないためだ。
僕は、死ぬ。悔いはある。でもラジエルだけを死なせるよりかは悔いはない。
ドゴッ! と、鈍い音が頭上でした。視界の左端が黄色に光り、熱風が左からやってきて、顔を捻って耐えた。そのまま、右脚を浮かせているドラゴンのよこを走り抜けていく。
「なんだ、お前」
背後でハスキーな声の人物が、抑揚なくそう訊ねていた。僕は足を止めることなく振り向くと、ドラゴンの顔面があった場所に人が浮いていた。
「オジさん?」
同様に眺めているラジエルが耳元でつぶやいた。僕はようやく木の下へとやってきて、ラジエルをおろした。
ドラゴンの背中には人が乗っていて、ここからなら、オジさんと呼ばれた人と、ドラゴンが睨み合っているのが展望できた。
「通りすがりのおじさんだ」
「そうか、死ね」
風下にいるから二人の声は聞こえた。視点をオジさんの方へ向け、ドラゴンが口を開けたのを見て、僕は駆け出していた。あの人を手助けしなければいけない。そう身体が教えてくれていた。
二度目の打撃音が聞こえると、ドラゴンの首が天を向き、炎が空へと昇っていく。ドラゴンの顔の位置にはオジさんがいて、右足を頭よりも高くあげて滞空していた。
もしかして、ドラゴンの顎を蹴り上げた?!
驚愕の事実を後押しするように、ドラゴンは体勢を崩して背中から倒れそうになる。しかし、すんでのところで、脚と尻尾で地を蹴り、翼をはためかせ飛び上がった。
「クソが、なんだあいつ」
風に乗って苛立ちが隠せない声が聞こえてくる。かろかろかろ、とドラゴンが鳴いて、僕の身体が激しく上下左右に揺れた。
「あ? 尻尾?」
ドラゴンの毛だと思っていた赤毛が、こちらを振り向く。切れ長で冷たい瞳と目があった。人間だと認識すると、ガタイの良い女性がドラゴンの首の上に腰を落として立っているのがわかる。
飛び上がる前に尻尾にしがみついたけど、眼下の地上が離れていくほど、やめとけば良かったと悔やむも、もう降りられない。
振り落とそうとまだ尻尾を振るドラゴンへ、ナイフを突き立てると、深く肉に刺ささり、紫の血が吹き出た。ドラゴンが、怒気を孕んだ咆哮をあげ、更に頭と内臓が揺れ動く。離してなるものか、その一心で込み上げてくる吐き気も耐えた。
「なにを大層に痛がっている」
赤髪の女性が表情ひとつ変えずにドラゴンに呟いた時、僕達の横をなにかが上空へと通過していった。
なんだ? 今、物凄い速さでなにかが………
僕も、女性も、頭上を見上げる。空では太陽が輝いていているだけだ。いや、一つ黒点があるぞ。黒点がなにか見極めるために眼を凝らす。
「避けろファフ!」
赤髪の女性が切迫した叫びをあげた瞬間に、またドゴッ、と鈍い音がする。音の方向へ視線を戻すと、ドラゴンの脳天にさっきのおじさんが両手の拳を打ちつけていた。
ドラゴンの身体から力が抜けるのを感じ、僕たちの身体が下の方向へと降下を始める。また、この浮遊感かっ! 僕は必死に尻尾にしがみついた。
「おっ、きっ、ろっ、ファフ!」
尻尾にしがみついていないと空中へ投げ飛ばされそうだが、しがみついているから空気圧と重力で顔が上げられない。そんな中でも赤髪の女性は声を出していた。
「よっ」
風を切る音で耳がいっぱいの中、近くで間の抜けた声がする。半目で声のする方を見ると、武骨なおじさんが隣にいて、剛腕な片腕で尻尾を掴んでいた。
パージは反応していない。この人には敵意はない。むしろ、同じ感じがする。
「飛び降りるぞ」
「へっ?」
「大の字になるんだぞ」
「えっ、ちょまっ」
話しが勝手に進み、オジさんの手で僕の掴んでいる手をとられ、僕の身体は空中へと投げ出される。掴んでいたドラゴンの尻尾が下へと消えた。
「う、うううううう」
下から突き上げてくるような風に声という声が出せない。目も開けていられない。パージが勝手に両手両脚を大きく開いたのだけがわかる。
僕は落下している、そんな僕の手を誰かが握った。
地面はもう間も無くのはずだ。そうすれば、僕は叩きつけられてぐちゃぐちゃになる。考えなしにドラゴンに乗らなきゃ良かった。ああ、くそっ、ラジエルを一人にしちゃうな。
「あちゃー、タフだなあのドラゴン」
男の声がした。いつの間にか胸を打ちつけて、顔を冷やしていた風がなくなっている。僕はゆっくりと目を開けると、なだらかな平野が目一杯に広がった。青いっぱいの空はない。
意味がわからなくて辺りを見回す。さっきの男性が隣で空を見上げていたので、僕も視線を追うと、ドラゴンの背中が小さくなっていくところだった。
逃げた? 生きてる? ふわついている足から力が抜けて、その場にへたり込んでしまう。その際尿意を感じたが我慢できた。
「明日さん」
涙ぐみながらラジエルが駆け寄ってくる。意味がわからないの連続だったが、どうやらまだ、本当に生きているらしい。
安心すると、全身の毛が逆立って、一気に嫌な汗がぶり返すように湧いてきた。
大きく深呼吸すると、なんとか落ち着いた。
「大丈夫か、少年」
隣にいる男性が手を差し伸ばしてくれたので、僕は礼を言って手を取って立ち上がる。男性の手は大きく、僕の手を包み込めるかと錯覚するくらい厚かった。
「あなたは一体」
改めて男性を観察する。日に焼けた少し浅黒い肌に、精悍な顔つきの中にあどけなさを残した目鼻立ち。青と白が混ざった甚平を着ていて、はだけた胸元からは隆起した胸筋を覗かせている。薄い和装の下には筋肉の鎧が浮き出ていた。
「俺? 俺は少年の味方のおじさんだ」
そう少年のような笑顔を見せて、親指を立てるのであった。




