001
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頭が痛い。
ぼんやりとした意識の中、そんな不快感を感じ取った。眉間にしわを作りながら、手探りで枕元にあるであろう水の入ったペットボトルを探す。
冷たい床の感触から、むにゅっ、と何か柔らかい感触が手に触れて、眉間のしわを濃くした。探していたものとは違うが、揉み心地が良いので何度か揉んでみる。
何であろうか、と小首を傾げた。やけに生暖かいし、指が吸い付くように埋まる。こんな柔らかい物が自宅にあった覚えはない。窓を開けて寝たので、野良猫が入って来たのだろうか。それにしては、毛の感触はなく、皮のような手触りだ。
瞼が重く、開ける気力はないが、瞼の裏から漏れる光で、どうやら朝なのは理解した。
柔らかいものから手を離して、仰向けになっている身体を捻り、のそりと身体を起こす。そこでようやく頭が軽く起床して、僕は違和感に気がついた。
身体を起こした時、素肌に冷たい地面の感触がした。部屋にある布団ではなく、硬く冷たい地面の感触。
触感を取り戻したら、鼻腔に青臭さが通り抜け始めた。次第に周りの音が明瞭に出現し、鳥の囀り、草葉が風でこすれ合う音が刻々と音量を上げていく。陽気な風が頬を撫でた。
僕は違和感を解消するために、光に抵抗しながらゆっくりと目を開ける。
辺り一帯は緑だった。芽吹いたばかりの新緑で生い茂ってた草木が、心地の良い爽やかな風が吹くたびに、朝の挨拶をするように揺れている。
さわさわと、ぴぴぴと、周りの音に合わせて視界を移動させる。見覚えのない自然が僕の周りを囲んでいた。ふと、頭上を見上げると、木漏れ日の間からは気持ちの良い青空と太陽が笑っている。
どこだろう、ここは、夢、なのかな。
そう思って眠い目を擦り、頬を抓る。痛みはあり、ちょっとだけあぶらが手についた。
夢ならあぶらがつくのはリアル過ぎて嫌だ。
ということは、夢では………ない? 冷めた思考で判断すると、目が覚めた。
待て。待て待て。思い出せ、昨晩僕は何をしていた? そう、たしか、たしか………なにをしていたんだ?
昨晩の記憶がぽっかり落ちていた。必死に昨晩のことを思い出そうとしても、なにも思い出せない。
そこで顔や頭に傷がないか、懇切丁寧に確かめる。頭痛はするけど、指で触れても痛みはない。
身体も同様に確かめる。新品同然の制服を着ているし、痛みはない。身体にも怪我はないようだ。
集中するために腕を組み、再び目を瞑る。
僕は誰? 僕は大地明日。よし、名前はわかる。一つ一つ確認していこう。年齢は? 十五歳。出身は? 日本人で、都内にある私立T高校一年二組所属。家庭は? 一人暮らし、実家には母だけがいる。よし、よし、身辺のことは覚えているし、こうして順序立てて確認できる、基礎的な知識もある。冷静だ。いま、僕は冷静。
続けよう。昨日なにしていた? ……なにをしていたんだろうか。そうだ。今度は思い出せるところまで記憶を遡っていこう。
ずっと何かを思い当たるまで記憶を一日ずつ遡っていくと、一週間前に入学式をしたことに思い当たった。
そうだ。僕は入学式をして……うーん、駄目だ、ここから今日までなにも思い出せない。
記憶に蘇る入学式は、体育館で同じ制服を着た同級生達が、気怠そうに、または心躍らせている顔持ちで、またまた硬い表情をして、壇上の校長を見つめている景色。僕は校長の努力志向な話しを斜に構えて聴いていたのを覚えている。
入学式の景色は思い出せても、誰となにを話したかまでは思い出せない。クラスの皆と顔を合わせたはずなのに、その記憶がない。頭の中に霞がかかった感じだ。
入学式以前の記憶も振り返ろうとすると、頭の奥底に釘でも刺されたよう痛みが襲ってきて、僕は鼻の付け根にしわをつくる。
考えないようにすると、痛みは和らいできたので、僕は首を傾げながら唸る。すると、隣で同じように唸る声が聞こえた。
慌てて目を開いて隣を見やると、隣にはコスプレ衣装のような紺色の学生服を着た女性が寝転がっていた。
心臓が飛び跳ねて、咄嗟に後退った。女性は僕の行動に反応することなく、目を瞑っている。
誰? 見知らぬ女性の顔を注視する。日本人とは思えない白銀の髪の毛を地面に揺蕩わさせて、これまた、洋画の中でしか観たことのない端正な顔立ちをした女性。同年代だと思うが、大人びた雰囲気を持つ彼女は大きな胸を上下させながら寝息をたてている。
誰だろうか。記憶の中にいる知り合いではない――そもそも今は誰の顔も思い出せないけど――ならば、抜け落ちた記憶の中にいる知り合いかもしれない。
引けた腰を戻して、四つ這いで女性へ近づく。彼女の顔に僕の影が落ちた。近くで見ると際立った美人なのがより分かる。長く透明感のある睫毛に、涼やかな鼻梁。寝姿でこれなのだから、起きたらどれだけ美人なのだろう。そう思ったとき、彼女が唸った。
心臓が早鐘を打つが、退くことはしなかった。彼女の髪の毛と同じ色の睫毛が、ひくひくと動く。瞼が持ち上がっていき、ガラス細工が嵌め込まれたような碧眼が現れた。焦点のあっていない目で辺りを見回すように瞳を動かし、目の前にいる僕へと視線を合わせた。
「おはようございます」
そう彼女は、血色の良い唇を柔和に伸ばして言った。あまりにも想像以上の美しさに、僕はドキリとしてしまった。
「お、おはようございます」
僕がおずおずと頭を下げて挨拶をすると、彼女は上体を起こした。辺りを見回してから何度か頷き、軽やかに立ち上がる。僕も彼女に倣って立ち上がった。
彼女は地面に接着していたスカートや腿裏を手で払い、腰まである髪の毛を前に持ってきて手で梳きはじめた。
「汚れていませんか?」
ある程度終えて、経過を見ていた僕に背中を向けてそう訊ねてきた。白銀の髪の毛に土がついている部分があったので、
「まだ、汚れていますよ」
と汚れている部分に指をさす。
「掃ってもらってもいいですか?」
「僕が?」
「他に誰かいますか?」
当然だと言うように突き返された。女性の、しかも見知らぬ美人の髪の毛に触れるのは、なんだか気が引ける。だが、頼まれて、自分ができることならやってあげたい。
僕は背中を向ける彼女に近づき、彼女の髪の毛に指を入れた。さらさらと、指の間を滑り、ひんやりとしている。上から下へ土を落とすと、指が自然に滑り落ちた。指と指の間にくすぐったい感覚が残っている。それがどこか懐かしい。何度か梳くと、汚れは無くなった。
「とれましたよ」
そういうと、彼女は振り返る。ふわりと甘い蜜のような匂いが、少しだけ僕の心を落ち着かせた。
「ありがとうございます」
彼女は軽く会釈をする。そして佇まいを糺した。
「では、質問なのですが、ここはどこでしょうか」
「えっと、ごめんなさい、分かりません」
苦笑いで微笑んで頬をかく。彼女もまたどうしてここにいるのが分からないようだ。僕達は共に記憶喪失なのだろうか、そう考えていると、彼女は顎に指を置いて思案顔になる。
「そうですか……おそらくノルン国の近くではあるのですが、こう見通しが悪いと困りますね」
「ノルン国?」
聞き覚えのない国の名前がでて復唱した。
「ええ、目的地であるノルン国です。無事、ともいえませんが、こちらに到着できてなによりですね。……どうかされましたか?」
呆気に取られている僕へと、彼女は首を傾げた。
「えっと、それって、日本からどれくらいの距離離れているの?」
僕が最初にするべき質問が間違っていたことを、言った後に気がついた。訂正する間もなく、彼女は答える。
「明日さんの距離単位に当てはめると、光年になりますね。五億七万二千五十七光年離れています」
彼女がいった単位が頭に入ってこなかった。なんどか頭の中で噛み締めて、ようやく頭がくらくらしてきた。
光年って、宇宙とかで使われる単位じゃないか。一光年で九兆キロメートルあるんじゃなかったけ? それの五億七万で……とにかく途方もなく遠い場所にいるのはわかった。
わかったところで、別の疑問が湧く。
「えっと、別の惑星ってこと?」
これまた自分で言っていて、馬鹿だな、と思う。そんなのはありえない。人類は恒星間移動なんて、まだできない。
いや、馬鹿か僕は?! 間違いなく馬鹿?! たとえ記憶喪失でも、こんな突飛もない話を信じるなよ。そうだ、彼女が揶揄っているだけだ。そう思うと、どこか腑に落ちた。
「別の惑星というより、別の地球ですかね。ああ、そうだ、異世界と申しあげたほうがわかりやすいですね。うん、ここは異世界です」
彼女は満足気に頷く。どうも、変だ。いや、とにかく変だ。僕にはここ一週間の記憶がない。更にその奥の細かい記憶も思い出せそうにない。だけど、基本的な記憶はある。変だ。
しかも、綺麗すぎる見知らぬ女性と寝ていて、起き抜けの彼女曰く、ここは途方もない距離を離れた場所らしい。また、それが異世界だと言うじゃないか。彼女が揶揄い癖があり、下手な嘘をつくのが趣味な人だったとしても、なにか、とても大変なことに巻き込まれているのは気のせいじゃないだろう。
乾いた唇を舐めて、僕は拳を握る。
「どうして貴方は僕の名前を知っているんですか?」
ようやく、するべき質問の一つができた。とにかく、情報が欲しい、彼女は訳知った風に話しているし、僕の名前を知っている。一人考え込むより、彼女から情報をもらうのが最善だ。
「それはお迎えにあがったからですよ。明日さんは、執行人ですからね」
彼女は間髪入れずに答える。質問したら、倍の数の疑問が増えてしまい、反射的に質問を返した。
「お迎え? 執行人?」
「忘れたんですか?」
素性の知らない彼女に記憶喪失だと素直にいうのはまだ危険なので、僕は曖昧に笑ってみせた。
「あれだけ説明したのに?」
彼女はため息を深くつく。覚えていないのだからしょうがないだろ、と言いたくなるのを唇を強く結んで耐えた。
風がそよそよと、僕たちの間を通り抜けると、力強い新緑のにおいがして、頬の力が緩む。
彼女は風がやってきた方向を唐突に向いた。
僕も彼女が見ているほうへ首をやる。茶色の幹が不均等に並んでいて、ところどころ木漏れ日がさしているが、奥に行けば行くほど、薄暗くて見えない。じっと見つめ続けていると、暗闇へ視線を飲まれそうになる不気味さが、背筋を這い上がっていく。
「とりあえず、歩きながら話しましょうか」
いつの間にか彼女は向き直っていた。この場に留まっていても情報が得られなさそうなので、僕は提案に頷くしかなかった。




