017
「ひやあ、落ちたら一巻の終わりですね」
ラジエルは、足一つ横に望む急斜面を覗きながら声をかけてくる。
「そうだね」
馬を引きつつ、前を行くラジエルの背中と足取りを視界に入れて、横を見ないで集中している僕は生返事をした。
三時間交代で睡眠をした次の日、半日かけて柳峠の頂上へやってきていた。
頂上は約八百メートルほどの高さがあり、右に剣岳、左に呑山があり、どちらも山腹に雲がかかっており、頂上が見えないほど高い。
どっちの山を見ても足元が浮ついてくるので、極力下を見ず、ラジエルの背中を凝視している。頼むから、降るまで声をかけないでほしい。
頭上で旋回している鳥が鳴いた。こんなところで鳥にでも襲われたり、昨日のようにマンテに襲われたら、それこそ一巻の終わりだろう。僕は奈落へ落ちる想像してしまい、唾を飲んだ。
「ここを降りる途中に洞窟はあるから、この景色も見納めだぞ」
前を行くハクの声がした。早く身納めたいものである。
ハクの予想通りに、峠道を降っていると、突然右手の斜面をくり抜いたような洞窟の入り口が現れた。
入り口の高さは僕の身長より頭二つ高く、横幅は人が二人通れるかどうかの広さだ。
洞窟の入り口から中へ、鳥居のように木が添えられており、見える範囲だが等間隔にそれらがある。木は変色し、岩肌は苔が生えむしっていて、長年使われていない風体を醸しだしていた。
「ねえハク、ここから一日かかるんだよね? 洞窟の中で夜を過ごすの?」
「いや、この洞窟は蟻の巣構造になっていてな、どこかしらの道が外へと繋がっていて、休憩地点もある。今日はそこを目指すつもりだな」
そういえば坑道なんだっけ? トロッコとかあるイメージだったけど、線路は見当たらない。足元には飛び石のように木が埋められているだけだ。
「暗くて狭いところが怖いのか?」
「怖くはないけど、閉塞感があるのはちょっと苦手かも」
「多少使われていないが、崩れてないだろ。そうそう崩落なんて起きるもんじゃないしな」
ハクは笑いながら洞窟へ入っていく。洞窟の奥からハクの笑い声が反響していた。
「昨日からですが。めちゃくちゃフラグ立てますね」
ラジエルが呆れながら一瞥してきたので、僕は肩をすくめてみせた。
現在進行形で崩落は無かったが、進もうとした道が二度ほど崩落して塞がれていたので、引き返し別のルートどりをした。
洞窟の中は、どこを歩いていても空気が入ったり出たりしているせいか、冷えた風に曝され続け素肌がかなり冷えた。だが服の中までは侵入してこなかったので、体温は保たれていた。
思えば、この服は汗をかいても暑すぎず、汗がひいた後も寒くならない。着心地もいいし、羽が生えたように軽いのもあり、なんとなく民話の天女の羽衣を思い出した。
時間の感覚が狂う湿った暗闇から抜け出したのは、夜になってからだった。
狭い通路からいきなり視界が開け、月明かりを受けて怪しく光る黄緑の苔がみっちりと生えた広場が、目の前に広がった。
天井がなくて、頭上には薄い雲を帷にして夜空を覗かせている。広場に目を凝らすと、月明かりのないところに四角い木箱が椅子のように放置されているので、ここが休憩所だとわかった。
「そういえば明日は、どこで技を身につけたんだ?」
久しぶりに野生味のある硬い肉を食べた夜食後、どこからか出した刀を手入れしながらハクが訊ねてくる。どこで、と訊かれてもな。
「えっと、独学かな」
悩んだ末に僕は頬をかきながら答える。
「ふーん、すげぇな」
ハクは目線だけこちらを見ている。嘘をついてしまい、僕は目を逸らした。
「いや、別に……」
「謙遜すんなって」
謙遜じゃないのに。そんな本音は話せなかった。それが心の中で澱となって溜まっていくのを感じた。
「ハクはどこで身につけたの?」
掘り下げられるのは困るので話を変える。実際、気になることだ。
「俺か? 俺は見習う人がいたから、ちょっと自己流も混ぜているけど、殆どはその人の教えだな」
「へー、流派みたいな?」
「ああ、二つの刀を使う、二天一心流だな」
訊いておいてなんだが、流派はよくわからない。二刀流ってことはかろうじてわかるんだけど。宮本武蔵みたいなのかな?
「カッコイイね」
「おっ、明日も入るか?」
ハクは身体を前のめりにさせた、目は爛々と光っており、仲間を求めている少年の顔だ。
「えっ、いやぁ、僕は自由型? だから」
「そうか……ざんねん」
身体を戻してから、わかりやすく残念がるハクをみて、少し申し訳なくなった。
その日も睡眠は三時間交代で行い、夜を明かした。
明朝に休憩地を出立し、そして、僕達は柳峠と洞窟を、大きな事故や襲撃もなく抜けることができた。
「よーやく抜けましたね」
隣にいるラジエルが胸を反らして背伸びをしながらいうものだから、彼女の胸部が強調されて目のやり場に困った。
「もう、ノルン国なの?」
ハクに聞こえないようラジエルに耳打ちする。
「ええ、使令体の気配に包まれている感じがしますから、入っているでしょうね」
ラジエルの答えを聞いても、周りの景色は山の中であり、そんなに実感はなかった。
「さて、近くの町まで行きますか。そこでお別れだな」
「ハクは砦に行くんだよね?」
「そうだな、速馬借りて、教会に報告して、砦に直行だな」
「じゃあ、この馬を使って先に町まで行きなよ」
「……荷物どうするんだよ、それにこの馬は俺の馬じゃない」
「僕の馬でもないよ。荷物は、もう殆ど使い切ったから、そこまで重くないから持つよ」
ハクはわかりやすい嘆息を吐く。
「お前な、ちょっとお人好しすぎるぞ」
「そう?」
「そうだ、他の初対面の人間にも同じことしてみろ、いつかカモられるぞ」
「それは、そうかも………でもハクはそんなことしなかったし、これからもしないと思う」
ハクは目を瞬かせる。そして手を額に当てて、呆れた風に頭を振った。
「分かった。町まで行く、で、町の奴か、教会の奴にこの馬を預けておく。これを出して、俺の名前を言えば証明になるから」
ハクはケープの袖口から六芒星が描かれたペンダントを渡してきた。
「俺は明日の提案をのんだ、明日も俺の提案をのむ、はい、議論終わり」
手を合わせて鳴らし、ハクは馬から荷物を下ろしだした。
「照れているんですよ」
ラジエルが僕に耳打ちをしてから、その作業の手伝いを始める。僕も頬を緩めて作業に加わった。
「色々と世話になった」
荷物を下ろし終えると、ハクは僕達にお辞儀をした。
「ううん、こちらこそ。ハクがいなかったら、ここまで来れなかったよ」
隣のラジエルも鷹揚に頷く。
「お互い様か」
僕達は微笑み合う。とても清々しい気分であった。それだけに、別れが寂しい。
ハクは馬に乗ると、背中に乗られた馬が大きく暴れだす。ハクは暴れる馬を必死に手綱で馬を落ち着かせた。本当に背中に人を乗せると気性が荒くなるんだ。
「じゃあな、また会えるといいな」
僕が頷くと、ハクはキザな笑顔を残して馬を走らせた。僕とラジエルはハクの小さくなる背中を見送ってから、町へと向けて緩やかな坂を降りだした。




