016
「案外はやく着いたな」
小高い山の麓にたどり着いた時には、もう辺りは暗くなっていた。街灯も、灯火もない夜の道は薄暗く、不安を駆り立ててくる。しかし今日は夜空の月が雲隠れしておらず、かつ草の低い平坦な道なので、先に見える影を落とした林の奥以外は十分に見えていた。
「山小屋は近くにありますか?」
「中腹にあるが、ここらの麓にはない。ここを抜けようとする奴はいないからな」
「では、野宿ですか」
「そうなるな。あの辺りとかでどうだ。獣に襲われても対応できる」
辺りを見回してからハクは、少し草が禿げた場所を指差す。否定する意味もないので、僕達は野宿の準備を始めた。
僕が馬の荷物を下ろしていると、林の中に入っていったハクが木の枝や枯れ葉を持ってきた。ラジエルは寝る場所になるところの石を拾っていた。
ラジエルが拾った石で囲いを作り、ハクが持ってきた枯葉や木の枝をキャンプファイヤーの要領で四角にして立てていく。ハクに木の枝の表面を細く削っておいてくれ、と注文を受け、パージのナイフで削った。
ハクが火打石を持ち出して、僕が削った枝が火種となって燃え、焚き火が完成した。
燃え盛りはじめた焚き火を見て、やれと言われたことしかやっていないが、それでも物を完成させた充足感が満ちてきた。
今日は僕が料理当番をかってでた。頂いてきた鍋に瓶の水を入れ、沸騰するまで待つ。村の暗所で見つけた芽のないイモを潰し、ハクが食べられると詰んだ野草を練り混ぜた。それを団子にして鍋に入れ、しおと麹で味をつける。薄白い汁にクリーム色と緑が混じった団子が浮いたスープの完成。
野営を作るのに慣れていないので、僕にはこれくらいしかできない。……待てよ、僕は料理が得意なのか? 疑問に思うと頭痛がしたので、おそらく正解だろう。
「おお、結構いけるな」
「私がつくる料理より断然美味しいです」
準備を終えて、三人で鍋を囲む。二人から好感触の言葉を貰えて、身体が温まった。
ラジエルがつくるのは料理というより、素材そのものだもの、その言葉はちょっと青臭い団子と一緒に飲み込んだ。
僕達は食べ終わると、一様にくつろいだ。僕は脚を投げ出して、両手を地につけながら空を仰いでいた。
赤、緑、青、黄色、紫、さまざまな色が空のキャンパスで輝いている。その中で一際目立って半分の月が月光を嫌味なほどに照らしつけていた。星座も全くなくて、一等星すらどれかわからない。変な夜空だ。でも、それでも、この輝きは宇宙を想起させ、すると自分が小っぽけに思えて、明日も頑張ろうと勇気をもらえる。そこだけは変わらない。
僕はもしかしたら宙が好きだったのかもしれないな。
「明日、ちょっと付き合ってくれないか?」
ハクの声に顔を移動させると、ハクは手に枝葉のない真っ直ぐな小枝を持っていた。
「いいけど、なに?」
手を払って立ち上がると、小枝が飛んできて掴んだ。枝の身の部分は削られて突起一つもない。即席で作った木刀のようだ。
「食後の運動。やれるだろ?」
「……うん」
間違いなくハクはかなりの武闘派だ。強襲された時に、パージを使っているのに負けそうになった。それなのに仮想木刀を持って食後の運動ときた。パージを使っていいものか。僕の実力では敵わない気がするが、どうしたものか。
考えていると、ハクは間合いを詰めて初撃を振るった。風切る音はするが、夜だから枝が見えない。
「あだっ」
僕の肩に枝が当たり、じん、とした痛みが身体に浸透していく。
「あ? ふざけるのはなしだぞ」
「ご、ごめん」
怪訝そうな顔でハクは距離を戻した。パージを使っていいものか、ラジエルを見ると首を振った。そして、自身の腕をつついた。腕を振るえってことかな。
「ある程度は腕を見るんだよ」
ラジエルのジェスチャーを補完してくれたハクは、また距離を詰めてくる。腕を見る。ハクの腕は枝を構えたままだ。なるほど、腕だけを見ておけば、振るう動作も見れるから防ぎやすくなるのか。これなら防げるかもしれない。
微かな道筋が見え高揚していると、ハクの腕が振り上がる。
「?!」
腕を振るう予兆が一切ない。もう、脇腹に当たる寸前にまで枝がきている。咄嗟に左へ払おうとするも、左腿に痛みが走った。
「いっ」
小さくうめく。直前まで脇腹に枝が向かっていたのに、なんで。
「なあ明日、嫌だったら言ってくれよ、嫌々やられても、どっちも得しないぜ?」
嫌々ではないが、期待されているのが勘違いと言わざるおえない。
ハクは僕のことを過大評価している。だけど僕はハクの期待を裏切りたくない。
「ごめん、次はちゃんとやるよ」
左手を背後に回して、僕は構える。ラジエルに心の中で謝った。
「信じるぜ、その言葉」
間合いを詰めてきたとき、パージを発動する。同じように脇腹へと狙いをつけた枝を弾く。
パージを解除して距離をとった。
「やるじゃん。けど、打ち合ってくれないとな」
左手が勝手に迎撃しそうになるから、長時間の撃ち合いはできない。出したり消したりして、身体の負担を抑える実験だ。そう、これはスキルをより身に付ける実験だ。
「あんまり、人を叩きたくない」
「そうかそうか、今度は前のようにはいかないぞ」
ハクの動く速さが変わった。腕が鞭のようにしなり軌道を残している。パージを発動して、上へ弾こうとするも、手に大きな痺れが発生して枝を落としてしまう。右肘までが痺れて動かない。枝は身体に当たっていない、枝同士が当たっただけだ。一体何をされたんだ。
切り返すようにハクの腕が返ってくる。心は動揺しながらも、僕の身体は屈んで、右脚がハクの足をはらう。脚は空をきった。
ハクは避けるために飛び上がっていた。そしてもう、左斜めに枝を振り下ろしてきている。僕はもっと身体を屈ませて、頭と両肘で身体を支え、脚をハクに向けて突き出す。枝よりも僕の足の方がリーチは長い。
足の裏に重さを感じた時、ハクは月を背後に跳躍していた。間合いの外に華麗に着地して、口笛を鳴らした。
まずい、出したり消したりしている暇がない。なにやらさっきの発言でハクを本気にさせてしまったようだ。これじゃあ実験にならない。
「いいね、そうじゃなきゃな」
ハクが再び構えて向かってこようとした時、子供が笑っているような、甲高い笑い声が林の方から聞こえてきた。
パージを発動中の身体の筋肉が強張る。ハクも、笑い声のする林の方を注視していた。あたりの暗闇に子供の笑い声が反響している。いや、これ反響しているけど、背後からも聞こえるぞ。
それに、子供? 子供がこんなところにいるわけがない。ここはまだノルン国の外だ。たくさんの子供が夜に笑い声をあげるなんておかしい。例え異世界だろうと、それは奇妙だ。
表情を強張らせたラジエルが、太い枝に火をつけて僕の方に寄ってくる。
「マンテに囲まれた、のか?」
ハクが声に目線を移動させながら言った。
「四足歩行の肉食獣です。群れで生活し、雄が獲物を追い回す狩りをします。見た目は毛の少ないハイエナのようなものです。ですがこれは、変です」
「変? 肉食獣なら人間を襲うでしょ」
「マンテの狩りは一頭でします。群れで生活していますが、狩りの時は協調性のかけらもありません。一人で狩ったという事実が群れ内でのヒエラルキーになるので」
なるほど、だから複数狩りに参加しているのが変なのか。だが今は気にしていられない。この襲撃を生き延びることが大事だろう。ナイフを持つ手に力がこもった。
「明日、ラジエルを守れるか?」
「うん」
「じゃあかかってくるのだけやればいい、あとは俺がやる」
ハクの頼もしい一言と共に、ケープの袖から長い刀が現れる。鞘から刀を抜くと、刀が不気味に焚き火の炎を反射させていた。
いっそうマンテの声が近くなってくる。僕はラジエルの手から火を奪って、明るくない背後へ投げた。落ちた松明の陰で、赤い光が横に移動した。どうやら、火を恐れる傾向はあるらしい。
ハクはもうおらず、林の中で物音がしていた。集中しろ、僕はラジエルを守る。もうラジエルを死なせてはならない。
相手は人じゃない、獣だ。人じゃないだけマシだ。
嫌な汗が胸の内を垂れたとき、視界の端に飛び込んでくる前脚が見えた。半身がそちらへ向く。全体的に短い灰色の毛、顔は細長く、その分口が大きく、歯も鋭い。獰猛な赤い眼はナイフを映し出している。
「ぎゃん!」
腕を振り下ろしてマンテの額にナイフを突き立てると、顎下まで貫通する感覚があった。ナイフを捻りながら、一メートルはある大きさのマンテを林の方へ投げ飛ばす。
「ラジエル、屈んでっ!」
立っていると邪魔だ、と身体が言っている気がしたので言葉になっていた。ラジエルが屈んだ背後から、次のマンテが大口を開けて飛びかかってきていた。
屈んだラジエルの背中に手をついて飛び、右膝をマンテの顎に打ち込む。
短く鳴き声をあげて吹き飛んだマンテは受け身を取って立ち上がり、唸りながら睨んでくる。
「明日さん!」
ラジエルの声でまた背後から違うマンテが飛びかかってきているのをとらえた。同時に、威嚇していたマンテも駆けてくる。
またラジエルの背中を借りて、今度は脳天に膝を叩きつけた。膝に確かな破壊の感触がする。動かないマンテの柔らかくなった脳天にナイフを通す。
駆けてきていたマンテが飛びかかってくるのを強い気配で当たりをつけ、ナイフを抜き、顎下からナイフを刺すつもりで振り向く。その瞬間、投げた松明を超える、大きめのマンテが視界に入ってきた。
僕の身体は手前のマンテを殺す動作に入っていた。視界に突如現れたマンテは、これまでのマンテよりも速く駆けて、攻撃の間合いにまで入ってきている。この状態では、この獣を対処できない、と理解できてしまった。
火を恐れていたから、火を超えてくるとは思っていなかった。このままだと僕は、喉笛を噛み切られて死ぬ。そんなありもしない記憶が溢れた。
手前のマンテの顎肉を貫ぬく。僕の身体は、死ぬなんて到底思っていないようで、左腕を大きなマンテへ差し出した。これだと左腕を噛まれる。いや、最悪噛みちぎられる。そんなの、嫌だ。
でも、パージを解けばラジエルは守れない。だけど、僕は致命傷を負う。ラジエルは負っても回復する。彼女を差し出せば、傷なく獣を屠れる。恐ろしい考えに指先が冷えた。
突然、僕の左腕に両手が伸ばされて、引っ張られる。視界いっぱいに銀色の髪が溢れた。
「ギャイン!」
獣の悲鳴が聞こえて、近くで重いものが落ちる音がした。
なにが、どうなった。僕は辺りを見回す。僕の左腕を抱えているラジエル。近くで横腹に小刀が刺さって、踠いているマンテ。
踠いているマンテに近づく足音がして、僕は振り向くと、ハクが血を滴らせる刀を持ちながら、隣を通り過ぎていく。マンテの前で止まり、素早い動作で首を切り落とした。
「危なかったな」
ハクは小刀を抜いてから刀を振ると、血が飛んで地面を濡らした。それが僕の腕の未来のように思えて、人肌の温もりと重さを持つ左腕が、より存在感を増した。
大きく息をついて、僕はパージを解き、左腕を庇っているラジエルの背中を摩る。その間にハクは刀をケープの中にしまっていた。どういう仕組みなんだろうか、なんて訊いたらこちらも質問されそうなのでやめた。
「ありがとう、助かったよ」
「もう少し頭数が多かったら助けられなかったな。なんにせよ、全員無事でよかったぜ」
口角をあげてハクは親指を立てた。僕も同じような笑顔で応対した。すると、背後で馬が嘶いた。
「ああ、お前も無事でよかったな」
「うん、みんな無事でよかった」
ハクの喜びを他所に、僕の手の中では肉を抉る感触がしっかりと残っている。その感触を誤魔化すために、震えるラジエルの背を摩り続けた。
互いに外傷は無かったが、ラジエルを差し出そうと思考した傷はざっくりと残った。




