012
「ラジエルっ」
家に戻ってくるなり、男性の額にタオルを乗せていたラジエルの腕を掴んで引く。か細い腕は抵抗することなくついてきた。
「どうしたんです?」
ダイニングで足を止めて手を離すと、大きな目を瞬かせながらラジエルは小首を傾げた。
「昨日っ埋葬したっ死体がないっ」
少し走っただけなのに、喘ぐようにしか言葉にできない。僕の体力は底をついている、と実感した。
「それは……妙ですね。あの動く死体と同じように、家屋の中にいるんでしょうか」
「いや、家の中にはいなかったよ。どこかへ行ったみたい」
僕は見た事実と、予想を伝えた。ラジエルはダイニングにある椅子に僕を座らせてから、水の入ったコップを二つ持ってきて、僕の前に置き、対面に座った。
「あの方も動く死体でないかと?」
僕はコップの蓋に口をつけながら小さく頷く。
「呼吸、脈拍、少し弱いですが、しっかりとしていましたよ? 肌もカビた色ではありません」
「より精巧な死体かも、そうじゃなくても、死体を操っているかもしれないよ」
「まさか、そんなことありえません」
ラジエルは手を振ってから、自分のコップを口につけて喉を動かした。
「それに彼がチートスキルを持っている可能性だってあるよ。ノルン国の外では人は生きられないんでしょ?」
戻ってくる間に考えついたことだ。ラジエルはコップをテーブルに置いた。
「………それはそうですね」
「でしょ」
ラジエルは腕を組んで、難しい顔をしながら目を瞑った。
外の雨音が強まってきたのに耳を傾けながら、ラジエルの返答を待つ。そういえば馬は大丈夫だろうか。あの草があった場所には屋根と、馬が一頭入れるスペースもあったから、雨宿りする分には大丈夫なはずだが、一応、あとで様子を見に行こう。
コップの水を飲み切ると、ラジエルは両手の人差し指をこめかみにあてて首を傾げていた。なんだろうか、美人は何をしても箔があるのは狡いって気持ちと、あざといって気持ちがある。
「どうしたの?」
「いえですね、私、不正者をどうやって見つけるつもりだったのでしょう」
「人相を覚えていたとか?」
「知恵の天使ですし、超越した記憶力はあるんですが、なんか、もっと画期的な方法があった気がするんですが……」
むう、と唸ってラジエルは首を捻る。
「あんまり無理に思い出さないほう身体のためだよ」
思い出そうとしていない訳ではないが、僕は消えた記憶を思い出そうとすると、激しい頭痛がするので、自発的に思い出そうとはしていない。ラジエルは仮にも昨日脳を損傷しているのだから、思い出せないのも無理はないし、無理をしてほしくない。あの頭痛は筋肉痛より辛いのだ。
「労り感謝いたしますが、明日さんの言うとおり、彼が私達にとって吉となる人物かは判別できません。なので、少なくとも不正者ではないと証明したいのですよ」
今度は身を捻り、記憶を抽出しようとしているラジエル。言い出した手前、なにか助言をしてあげたい。
「彼の持ち物や、彼の身形で、なにかヒントになるものはないの?」
ねじりこんにゃくみたいに服にしわを寄せていたラジエルが元に戻った。
「たぶん……教会の人だと思います」
「教会?」
「すみません。なんとなくそう思うだけです。説明したいのはやまやまなんですが……」
ラジエルはばつの悪そうな顔をして、首をすくめた。教会自体が記憶にないので、なんなのかは説明できないと。
「持ち物に危ないものは無かったの?」
「旅道具一式はベルトポーチにありました。対人の戦闘に使うような凶器はありませんでしたね」
そもそもノルン国の近くには、こうして生きている人が少ないのかもしれないから、凶器を持つ必要がないのかもしれない。
「ノルン国から一番近い国へ逃げようとしていたとか?」
「一番近い国は、西の海を隔てたエルダイン国ですが、人口の六割が減ってかなり荒廃していますよ。逃げる意味などありません」
海を隔てているのに、そんな状態なのか。やはり、そんな状態を僕がなんとかしないといけないのは、荷が重いと思う。二つの考えで、僕は眉をひそめた。
「もう少し詳しく身体検査をしてみましょうか。服を剥きますが、明日さんがしますか?」
ラジエルが立ち上がったので、僕も後に続く。
「まあ、僕がするよ」
ラジエルの変な言い方を無視して、扉のない部屋の前までやってきた時、ベッドの上に男性の姿は無かった。
パージ。と咄嗟に思った。右手でナイフを握った瞬間に、僕の左腕は部屋に足を踏み入れようとしていたラジエルの襟首を掴んで、思いっきり引っ張った。
「グエッ」と、短く鳴いたラジエルは身体を大きく反らせて、廊下に尻餅をつく。
ラジエルのいた場所に、全身黒タイツのような服を着た男が着地した。男の手には僕のナイフよりも長い小刀が握られていて、僕を不格好に刃紋の中に写し出している。
に、忍者? 着地した姿と出立ちで、その単語がでてきた。
呑気なのは僕だけであり、男の表情は緊迫している。目が鋭くなり、光を宿していない。向けられたことのない視線に僕の身体はざわついて、臨戦体勢になった。
男が小さく空気を吐いた音と共に、僕へと向かってくる。小刀が横から振るわれて、ナイフで受けると、金属音が鳴った。
小刀をナイフで上に弾いて、隙の出来た左胸に右の拳を伸ばす。間に男の左腕が入ってきて
左腕の外に流された。男は身体ごと左へ逸らし、振り上がっている刀を振り下ろす。
ナイフでまた受け止めると、疲労とダメージを蓄積した身体が痺れる痛みを全身に行き届かせた。
歯を食いしばって耐えていると、腹部に鈍痛がし、痛みの副次的効果で動いた視線が、男の膝が腹部に入っているのを確認した。
耐えていた空気を喉に詰まらせて、身体が反った。床に膝をつきそうになる前に、僕の身体は男へともたれかかるように距離を詰め、右腕が男の左手を支柱にして曲がり、肘で男の顎下を殴り抜けた。
その反動で、体勢が崩れた僕は床に倒れ込む。
すぐに立ち上がり、戦闘体勢をとるも、男は反転攻勢することなく、膝をついてラジエルの上に倒れた。
「あえっ」
ラジエルが胸の中に頭部を預ける男と、僕を交互に見やる。どうしましょう、と助けを求める目をしている。僕の身体は下手に動けず止まってしまった。
「生きて、いるのか?」
その時、くぐもって掠れた男の声がした。それが男の声だった。
「えっ、はい。生きています」
ラジエルが呑気に答えると、男の小刀を持っていない手が動いた。手の甲を刺してでも止めるべきかと思ったが、身体は様子見を貫く。
男の手はラジエルの首元へとゆき、二本指を立てて首筋に置いた。
「生きて、いる」
男はいい終わると、手から力が抜けて床に叩きつけるように落ちた。たぶん、また気を失ったんだろう。
「なんなんだよ一体」
痛みと疲労と、なにがなんだか分からなくて、悪態をつく。
「明日さん、重いですっ」
ラジエルが男を持ち上げられずに助けを求めていた。パージの反動が身体に返ってきているのを実感している僕は、パージを解かずに、男を起こした。
「なんか、付きものが落ちた顔をしていません?」
肩にかけた男の顔からは、さっきまでの緊迫した表情は無くなって、同年代相応の顔をしている。意外と童顔なところもあるようだ。
「僕達が敵じゃないって理解したんじゃないかな」
パージが反応しないので、そうだと思うのだ。そうじゃなくても、この人を殺したくない。僕は人殺しになりたくない。
男を再びベッドに寝かせ、僕も休息がてら自分のベッドに腰掛けて、パージを解く。視界が上部へ持っていかれ、天井を見る間も無く、真っ暗になった。




