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不正者執行されるべし  作者: 菅田原道則


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011


「あれは魔物?」


 軟膏を塗り終わって、僕はラジエルの肩を借りて、部屋のベッドに戻った。ラジエルの診断によって、全身打撲、手の赤切れ、そして、右腕の骨にヒビが入っている可能性を告げられた。


 僕が寝ている間に、ラジエルが作ってくれたお粥を食べながら尋ねた。


「……だと思います」


 壊れた扉をさらに破壊して造った、布に巻かれた副え木と共に、包帯を右腕に巻いてくれているラジエルは、顔をしかめながら答えた。


「それはおかしいんじゃない?」


 この世界には魔物がいないという話しではなかったか。


「私にもわかりません。それに昨夜のことは殆ど覚えていないんです」


 ラジエルはそう言うと、強く唇を噛んだ。包帯を巻く手を止めた彼女の腕が震えている。昨晩は彼女もまた、心身ともにひどく傷ついたのに気がついて、僕は口をつぐんだ。傷を抉るのも、抉られるのも、もういやだ。


「ごめん、もう訊かない」

「いえ、こちらこそ、不甲斐ない天使で申し訳ありません」


 ラジエルは大きく肩を落として、包帯を巻き終えた。場に重い沈黙が滞留している。


「お水、変えて来ますね」


 気まずくなったのか、ラジエルは桶を持って立ち上がり、部屋を出た。


 僕はくの字に曲がったままの右腕を、首にかかっている三角巾に腕を通して、暗澹な空気を吹き飛ばすために宙へと空気を吐いた。


 部屋の天窓からは見える空は曇っていて、今にも泣きだしそうだ。


 収納箪笥とベッド二つとパーティションしかない殺風景な八畳間にはまだ異臭がする。


 ゾンビの死体をラジエルが一旦、違う部屋に片付けてくれたのに、油汚れのようにこびりついているみたいだ。そのことに、また肩を落とす。


 息をするだけで身体がピリピリと痛む。おそらく、スキルの反動だ。


 僕のスキルは、身体の潜在能力を引き出している気がする。でなければ、あんな曲芸はできない。動かした事のない筋肉までもが痛いのは、そういうことではないだろうか。


 知識を与えられて、それを元に無意識的に動いていると思っていたが、人工知能に身体を乗っ取られている、が正しいのかも。いや、でも、自分の思考で動く時もあるしな。このスキルはなんなんだ。


 しかし、また一つ新たに、スキルについて理解したこともある。このスキルは不条理を打ち消す、のかもしれない。ゾンビという不条理極まりない存在を……倒した。不正者を執行するための武器だというならば、不条理に打ち勝つ能力を持っていてもおかしくはない。まだ不正者に出会ったこともないし、不正者にナイフを突き刺すこともしたくないが、頭の中だけで考証しておいて損はない。


 考えていると、どたどた慌ただしく足音を鳴らしてラジエルが戻ってきた。


明日(あけび)さん、馬です!」

「馬って、昨日の?」

「いえ、普通の馬です。その上に人が乗っています!」


 一難去ってまた一難だな、と言える体力も気力もなく、僕は重く痛む身体を無理にでも起こす。全身に痺れるような痛みが駆け抜けて、顔が歪んだ。


「大丈夫ですか?」

「大丈夫じゃないけど、ラジエルを死なせたくないからね」


 痛みで片目を瞑りながら言うと、ラジエルはにへらと、への字に口を歪めて不気味な笑顔を作ったーー笑顔なのかは怪しいが、笑顔ということにしておく。そんなラジエルの肩を借りながら、扉のない玄関口へ移動して外へでた。


 空はねずみ色の雲で埋め尽くされていて、ところどころ黒ずんでいる。湿気た土臭さもするから、やはり雨が降るのかもしれない。そんな空模様のもと、僕たちが村へ入って来た方角の道から、一頭の馬が道なりに歩いてきている。


 馬は僕達の前で歩みを止めた。大きく太い栗毛の馬の背には、うつ伏せになりながら、黒のケープのような外套を羽織った黒髪の男性が乗っていた。


「大丈夫ですか?」


 僕は馬を警戒しながら、男性に声をかける。若く、同年代のように見える男性は返事をしない。変わりに彼は苦しそうに眉を引き締めて唸った。


「生きているみたいですね。お馬さん、ご主人様を降ろすの手伝ってもらえますか?」


 隣にいたラジエルが目配せをしてから僕の側を離れ、馬に語りかける。通じないと思うんだけどな。


 馬は耳を平行に傾けてから、鼻息を鳴らして、身体を揺らす。もしかしたら伝わったのかもしれない。


 ラジエルは男性を受け止めたが、重かったのか、その場でよたついた。


 僕は、ふらつく足取りでラジエルへと近づき、男性の腕を持って肩に抱える。ラジエルは反対側を抱えた。


 かなりの時間をかけ、男性を引きずるようにしてラジエルが寝ていたベッドへ寝かせることができた。


 労働と痛みで湧き出た汗でシャツがベタつくなか、彼の顔を見る。薄く瞼の上に線があるから二重なんだろう。鼻は高いけど、横にも大きい。細い顔にあった小さな唇がうっすらと紫色だ、栄養失調かもしれない。


「お粥、取ってくる」


 診断中なのか、まじまじと荒い息で男性を見ているラジエルに声をかけて、炊事場へ向かう。


「うおっ」


 炊事場にやってくると、玄関先に馬がいて、首を上下させ、どうにか家屋に入ろうとしていた。


「まって、まって、君は入れないよ」


 引けた腰で両手を前に出して落ち着けとのジェスチャーをしてみたのは、言葉を理解している節がある気がするからだ。


 馬は短く鳴いて、少しおとなしくなった。しかし視線は依然と炊事場を見ている。もしかして喉が渇いているんじゃないか?


「水なら裏に井戸があるから、行こうか?」


 馬は耳を動かしながら短く鳴いた。これは、同意なのかな?


 使っていない桶を持って、玄関から裏にある井戸に向かうと、僕の後を馬がついてきた。この馬は人の言葉を理解しているのかな? 馬は賢いってきくけど、ここまで賢いものなのかな?


 疑問に思いつつ、軋む腕で井戸から水を汲み上げて、桶に入れた。これをやる度に現代の軽い動作ででてくる水道のありがたみを感じる。


「ど、どう、ぞ」


 息もきれぎれに手を差し出すと、馬はゆっくりと近づいてきて、顔を桶に落として水を飲みはじめた。水滴が弾ける音が、どこか心地良い。


「君のご主人を介抱してから、また来るね」


 息を整えてから馬に声をかけると、滑らかな尻尾が反時計に揺れた。


 手を洗い、お粥を持って部屋に戻ると、収納箪笥の上に男性のケープが畳んで置かれ、応急キットを広げ終えたラジエルが、首から下げた水筒を飲んでいるところだった。


「食べられるかな」

「私がやりますよ」


 お粥の入ったお椀を持っている手が震えているのを気にして、ラジエルは手を差し出してくる。彼の顔にお粥をぶち撒ける自信があった僕は、ラジエルにお椀を渡した。


 ラジエルはベッドの横にある、さっきまでなかったサイドテーブルにお椀を置いて男性の上体を慣れた手つきで起こし、自身の身体を男性の背後に入れた。そしてお椀を持ち、お粥の乗ったスプーンを男性の口へと持っていく。その光景が、子供の頃に教育番組で観た二人羽織を想起させた。


 どろどろのお粥が口の中に入ってから、男性の喉が動いた。


「嚥下できるなら、まだ安心ですね」


 僕にはよく分からなかったけど、知識豊富なラジエルが言うならそうなんだろう。


「僕、馬の世話をしてくるね」


 医療の知識があるラジエルに任せることにして、僕は身体に鞭打って再び馬のところへ向かう。


 井戸まで戻ってくると、馬は水を飲み終えて、こちらを向いて待っていた。まだ足りなさそうな顔をしている、気がする。


 馬が満足するまで水を入れてやった。おかげで短い間隔で悲鳴をあげていた腕は、常に絶叫するようになって、しばらくその場でしゃがみ込んで唸る羽目になった。


 飲む音が聞こえなくなって、動物臭さがぷんと臭い、痛みを誤魔化しながら顔を上げると、馬の顔が目の前にあった。目の間から鼻に伸びる白い毛が、水に濡れて光っている。


「満足した?」


 疲れ気味に眉を上げて問うと、馬は頭に縦に振った。頷いたのかな? 馬って頷くのかな? まあいいか。


「君のご飯、何がいいかな?」


 馬といえばにんじんだが、この村に生野菜は存在していない。昨日確認したところ、全て干からびて腐っている。あるのは保存加工された野菜だ。それも塩で加工されているので、馬が食べてもいいものなのかは分からない。


 馬は少し嘶いて、僕の横を通り過ぎていった。とりあえずついていこうと、重い腰をあげて、馬と距離をあけながらついていく。


 馬は世話になっている家の敷地からでると、やって来た道を戻っていく。そして、老夫婦であろう人達が住んでいた、小さな家の敷地へと入っていった。


 遅れて敷地に入ると、馬が家の裏手に回ったのが見えた。この家に井戸なんてあったかな? 疑問を抱きながらも、とりあえず追った。


 家の裏手に回ると、家の裏には家から伸びた屋根の下に、枯れ草が大量に放置されていた。すでに馬はそれを喰んでいる。どれだけ食べるかは知らないけど、僕の身長を超えるほどあるから、当分の心配はなさそうだった。


 馬には草のにおいが分かったのかな? ここからだと微かにするけど、鼻に入ってくるにおいの大半は湿った土のにおいしかしない。


「僕、戻っているから」


 馬に言い残して踵を返し、敷地を出ようとしたところで、僕は足を止める。


「……あれ?」


 軒先にあった庭の墓が掘り起こされていた。枝で作った十字架は倒れて、柔らかそうな黒茶の土が溢れ出すかのように横に広がっている。それがなにか底知れぬ不安を掻きたてた。


 不安を抱えながら僕は墓へと近づいて、掘り起こされている中を見下ろした。


 死体がない。昨日、中に埋めたはずの死体がなかった。その瞬間に昨日のゾンビが脳裏によぎり、上半身の肌に鳥肌がたつ。不安は見事に的中した。


 僕は家の敷地を飛び出すと、隣りーーと言っても二十メートルは離れている、一人暮らしの老婆の敷地に入って墓を確認する。


 ない。この家も墓の土が盛り上がり穴になっている。その穴の中にはあったものがない。昨日埋めたのは嘘じゃない、この筋肉の痛みが証拠だ。じゃあ、あのゾンビがやってきた時に、他の死体もゾンビになったっていうのか? だったら他の死体はどこへ? 当たった不安がじわじわと的を侵食していく気がしてならない。


 転けそうになりながらも、もう二軒ほど回ってみたけど、どの墓にも死体は見受けられなかった。


 昨日の夜、ラジエルを襲ったなにかが、死体をゾンビにした。そしてゾンビ達は、襲ってきたの以外、どこかへ消えた。そうとしか考えられない。


 ならば、ゾンビはこの村にはいない。疲れ果ててきたので調査を切り上げて、間借りしている家へ帰る道中、その考えに至った。


 侵食していた不安が薄くなっていく。また、ゾンビに対してあれをしなければいけないことになるのは、ごめんだ。


 手の甲に冷たい感覚が当たった。ふっ、と顔を上げると、右頬に大きな雨粒が跳ねる。空はどんよりとしていて、周りの景観も合わせたように薄暗くなっていた。濡れ鼠になった自分を想像して、自然と小走りになる。


 じゃあ彼は? その後に、あの魔物と思われるモノと同じ方角からやってきた彼は、生きていると言えるのだろうか。


 残っていた不安のしみが、ぽつぽつと雨のように降ってきて、腹の底を濡らしはじめた。


「ラジエルっ!」

 

 僕の歩幅が大きくなって、足元で泥が跳ねた。


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