009
僕もラジエルも、一日通した埋葬作業に疲れて、体力が底をつきていたので、一切会話をせずに夕食後に寝入った。
「ばるっひひーん!」
突然知覚した音に、僕は飛び上がるように起きた。幾らか瞬きをしてから、辺りを見回す。曇った天窓には星空があるから、まだ夜らしい。
「なんでしょう今の」
パーティションで区切られている隣のベッドから小声でラジエルが訊いてきた。
「なんだろう、動物の鳴き声?」
静かに答えると、表の通りから土を踏む音が聞こえてくる。僕は姿勢を低くし、息を呑んで耳をそばたてた。
かっぽ、かっぽ、と規則的な音で、確実に土を蹴っている。僕達の家の通りの前に近づいてくると、荒い呼吸音が聞こえてきた。
「馬?」
昼間の作業できしきしと痛む腕を摩りながら、なんとなくの想像で呟く。
「でしょうか。覗いてみましょう」
ラジエルは、部屋に備え付けられている通り側が見える窓戸の前へ移動する。
「駄目だよ、誰かが乗ってるかも」
戦国時代のような威圧的で暴力的な人物が騎乗しているのを想像してしまう。ラジエルを静止させたいが、ベッドが軋むので動こうにも動けなかった。
「だとすれば、余計に確認しなければいけません」
僕の忠告を聞かずに、ラジエルは窓戸を少しだけ開けて、外を覗いた。月明かりがラジエルの碧眼を反射させて煌めいている。それほど、ラジエルは目を見開いていた。
果実にナイフを突き立てたような音がした。窓戸から漆黒の剣が差し込まれて、剣はラジエルの両眼から後頭部を突き抜け、床に赤黒い液体を滴らせている。
跳ねるような水音をたてて、剣が引き抜かれる。パタン、と窓戸が閉まるのと、ゴトン、と事切れたラジエルの身体が床に倒れる音は同時だった。
ラジエルの身体は水溜りの中で痙攣しながら動いている。
息を飲んでいたはずなのに、いつのまにか肩で息をしていた。慌てて抑えた口許から、ぶひゅー、と空気が漏れる。
ラジエルが殺された。彼女は実質不死だが、また殺されてしまった。彼女の死を持って、外にいるのは害意を持ったなにかだと証明されたことになる。
このまま、このまま息を潜めておけばやり過ごせる。ラジエルは可哀想だけど、時間が経てば治るが、僕はそうはいかない。チートスキルを持ってしても、確実に対処できるとは限らない。ああっ、くそっ、こんなことならば、もっとチートスキルのことを調べておくべきだった。
馬が短く鳴いた。それだけで心臓を鷲掴みにされたように、身体が縮みあがる。
かっぽ、かっぽ、とこの家の前のとおりを過ぎていく。
行った。のか?
ラジエルのように窓戸を覗く気にはなれない。このまま朝が来るまで、何もなければいい。朝は明るい分、夜よりかは幾分ましだ。
「ヒヒーン!」
馬の嘶きが、遠くの方で聞こえて、夜にこだまする。
それから何分何秒経ったかは判然としないが、虫の音色が聞こえ始めた。どうやら、行ったようだ。
呼吸を落ち着かせて、額にある嫌な汗を拭う。
僕は窓戸の前で倒れているラジエルを見る。もう動かなくなった彼女の抉れた頭部からは、床に赤黒い血溜まりと、ピンク色の物体を散乱させていた。夜ご飯が返ってくる音が体内からする。けど、耐えた。
胃がゴロゴロと鳴るのを堪えらながら、僕はベッドから降りて、ラジエルの死体へと近づく。彼女の白銀の髪が血に染まっていた。
「ラジエル」
空気に消えそうな声で呼ぶも、彼女は動かない。
得意な自問自答の時間だ。
このまま放置していいのか? 彼女が治る様を僕は観ていない。しかも、意思があるであろう頭部を破壊された。彼女は死なないが、彼女の精神は死ぬんじゃないか? 少なくとも、これを放置するのは彼女の再生を妨げる状況なんじゃないか? 僕が彼女にしてやれることはないか? 彼女の身体を元に戻してやれないだろうか。
彼女の身体を元に戻す手伝いは、なんだろうか。僕は飛び散ったピンクの物体と、見るも無惨な頭部を見る。そして、自分の両手に視線を落とした。
やるしかない。僕は拳を握りしめる。
覚悟を決めて踏み出して、炊事場から椀を一つ持って、部屋に戻ってくる。彼女の側に屈んで彼女の内容物を優しく掴んだ。ぬるく、ぬめり、それが脳髄とはとても思えなく、思いたくなかった。
優しくすくって椀に入れる。うっすらとしてきた鉄の臭いに吐き気を催したら、肩を噛んで強い痛みで紛らわした。視界が熱い涙でボヤけてきたら、痛みが残る肩で拭う。甦ろうとしているなら、ラジエルのほうが泣き叫びたいはずだ。僕が泣くのは間違っている。
見える分はひととおり椀に入れたので、立ち上がって、ラジエルが寝ていたシーツを引っ張ってきて、何重かに折る。その際に彼女のにおいが漂ってきて、何度も肩で顔から漏れ出る水を拭うことになった。
正座をし、折ったシーツを膝に置いて、ラジエルの頭部を片手で持ち上げると、意外にもずっしりと重く、膝に乗せるのを苦労する。頭を膝に置くと、生暖かい液体が沁みてくるが、気にしないようにした。
椀を持って、見るも無惨な顔面に、椀の中身を投入する。全部投入を終えたら、後頭部から漏れないように注意しつつ、頭部を膝からおろして、頭部を隠すように毛布をかけてやった。
蠕動する下顎を必死に宥めながら、浅い呼吸を整える。
ドンッ! と、一息つくのと同時に、玄関のほうで激しい音がして、また身が竦みあがる。なんなんだよ、もうっ!
叩きつける音は、複数回なり、ついには倒壊音のような音が鳴って、家が揺れた。
ずりずり、と玄関の方で重いもの引きずるような音が聞こえてくる。なにかが家に侵入してきたと直感した。音の感じからして、さっきの馬ではない。ラジエルを殺した剣の持ち主がやってきたのか。だったら、ここで息を殺しているのは間違いなんじゃないか? 僕は、たたかう手段を持っている。
僕は立ち上がり、部屋の扉を少し開けて、隙間から音のするほうを覗く。この部屋は、玄関直通のダイニングがある廊下の突き当たりにあるので、見通しは良かった。しかし、窓戸を全て閉めているので、廊下には闇が蟠っている。僅かな明かりは僕のいる部屋の天窓から漏れる月明かりだけだ。
音は闇の奥からする。玄関から入ってきた夜風が、身体を身震いさせた。
「うっ」
酷い臭気に、咄嗟に鼻と口を手で覆うと、血の臭いが混じった。
嗅ぎ慣れたくない臭いに顔を歪めていると、蟠った闇が揺れた。揺れた場所を注視すると、僕の心臓がまた高鳴り始める。
闇の水面から出現したのは干からびて、土に汚れた手だった。引き摺っていたのは脚で、爪が全部はげている。
脚を引きずる音と共に全容が明らかになった。服は土に汚れて、首は筋肉の筋が見えており、顔面は頭蓋骨に皮が張りついているだけ。だらしなく開かれた口は、一歩前進する度に揺れ、眼球は無く、空洞が闇を纏っている。それは、今日、墓穴に埋めた男性の死体だった。
なんでっ、今日埋葬したし、死んでいたじゃないかっ! 死体が動いているなんて、ありえない! ゾンビ映画じゃないんだぞっ!
ありえない事の連続で頭を掻きたくなるも、衝動を抑え込む。とにかく、自分を冷静に追い込むことにした。
どうする? どうすればいい? 明らかにこちらに向かってきている。このままだと、この部屋に来てしまう。そしたら、ラジエルを見つけて、食べるはずだ。知っているゾンビならそのはず。
振り向いて後ろにあるラジエルの死体を見る。彼女は動かない。もしかしたらラジエルもゾンビになるんじゃないか? あの剣の持ち主は、そういうチートスキルを持っていたんじゃないか? 駄目だ。今はそれを考えている場合じゃない。目の前のゾンビを対処することだけを考えよう。
あのゾンビをラジエルに近づかせてはいけない。だとすれば、僕が遠ざけるか、動かなくするだけだ。
僕がやるしかない。
武者震いしている身体を鼓舞して、扉を閉め、鍵をかけた。




