第8話:黒鉄の巨船『NOBU号』と、世界への招待状(改稿版)
信長のリアクションを修正しました
夜明け前の、和泉国・堺の港。
京の都から、夜の闇を切り裂いて猛スピードで疾走してきた『近代サスペンション馬車』が、潮の香りが漂う防波堤の先端で静かに停車した。
馬車の扉を開けて降り立った織田信長と森蘭丸たちは、冷たい海風を顔に受けながら、暗い海の上に浮かぶ『それ』を見上げた。
「……上様。あ、あれは一体……!?」
蘭丸が、己の目を疑うように呆然と呟いた。
当時の日本の海を行き交う最大の軍船といえば、毛利水軍などが運用する木造の『安宅船』である。だが、目の前の海に浮かんでいる巨船は、安宅船の数倍――いや、十倍近い体積を誇る、山のように巨大な南蛮式(西洋式)ガレオン船であった。
だが、驚くべきは船の大きさだけではない。その外装のすべてが、当時の常識を根底から覆す異様な威容を放っていたのだ。
船体の外側を覆うように、分厚い【漆黒の鉄板(装甲)】が鱗のようにビッシリと張り巡らされ、リベットで強固に打ち付けられている。さらに、船体の両側面には巨大な水車のような『外輪』が備わっており、甲板の三本の帆柱の間からは、天に向かって太い『鉄の煙突』が真っ直ぐに突き出していた。
小姓たちが声も出せずに石像のように固まる中、信長だけは、その巨船を舐め回すように見上げながら、肩を震わせていた。
「くくっ……。本能寺の奥座敷で図面を見せられ、理屈を聞いて知ってはいたが。……いざ実物を目の当たりにすると、凄まじい威圧感だな。あの野郎、本当に『鉄の塊』を海に浮かべやがった!!」
信長の顔に、狂喜の笑みが広がる。
図面(紙切れ)の上の空論を、莫大な資金と権力を注ぎ込んで本当に現実の物として顕現させる。光秀のその狂気的なまでの実行力に、信長は改めて深い戦慄と歓喜を覚えていた。
「――お待ちしておりました、上様」
防波堤で深々と頭を下げていたのは、堺の会合衆のトップに君臨する大商人・今井宗久であった。
彼は、己の背後に浮かぶ漆黒の化け物を誇らしげに見上げながら、口を開いた。
「明智様の設計図と緻密な計算に基づき、我が今井商会の莫大な全財産と、日の本のすべての造船職人、さらには南蛮の技師たちを極秘裏に集め、数年がかりでついに完成させた世界最強の装甲外輪船。……『NOBU号』にございます」
「くくっ……あっはははははは!!」
信長は、船首の装甲板にデカデカと白塗りの南蛮文字(ローマ字)で描かれた『NOBU』という船名を見て、こらえきれずに腹の底から大爆笑した。
「本能寺で名前を聞いた時もふざけたセンスだと思ったが、いざこうして『鉄の化け船』に己の名前がデカデカと刻印されている実物を見ると、たまらんな! 十兵衛の奴め、俺をこの船の象徴にして世界に喧嘩を売らせる気満々ではないか。最高に悪趣味で痛快な玩具だ!」
「左様にございます。……さあ、まずは船内へ」
宗久に促され、信長たちが巨大なタラップを上って広大な甲板へと足を踏み入れた、その時だった。
「――遅かったではないですか、上様」
朝の海風に乗って、凛とした美しい声が響いた。
信長がハッと顔を上げると、巨大なマストの足元に、一人の女性が静かに佇んでいた。
信長の正室にして、かつて美濃の蝮と恐れられた斎藤道三の娘――帰蝶(濃姫)である。
彼女は、窮屈な和装ではなく、光秀が用意した南蛮の最新の織機で作られた、動きやすくも気品のあるドレスのような和洋折衷の旅装に身を包んでいた。
「帰蝶……! お前、本当に先に来ておったのか」
「ええ。十兵衛から、『日本という退屈な鳥籠の鍵』と、世界を巡る切符を渡されましたから。事前に安土を抜け出し、この船で上様をお待ちしておりました」
帰蝶は、イタズラっぽく微笑みながら信長へと歩み寄った。
彼女は、天下を平定しつつあった信長が、己の存在意義を失い、孤独と虚無感に殺されかけていたのを、誰よりも身近で見て、胸を痛めていた。だからこそ、光秀からこの途方もない『謀反劇』の計画を打ち明けられた時、彼女は一切の迷いなく同意したのだ。
「上様が一人で世界を面白おかしく壊して回るのを、私だけが日本の奥の院で指を咥えて見ているなんて、蝮の娘のプライドが許しません。日本の国母などという退屈な肩書きは、安土の城に置いてきました」
帰蝶は、信長の胸にそっと手を当て、その瞳を真っ直ぐに見つめた。
「これからは、極東の魔王の妻として、存分に世界で暴れ回らせていただきます」
「……っ、ふはははは! 違いねえ! 俺の妻は、こうでなくてはな!」
信長は帰蝶の肩を抱き寄せ、嬉しそうに声を上げて笑った。魔王の横には、やはりこの女以外あり得ない。史実において本能寺で命を落としたとも、生き延びたとも言われる謎多き正室は、俺の歴史改変によって『世界の覇者のパートナー』として新たな運命を歩み始めたのだ。
「さあ上様、帰蝶様。感動の再会のところ恐縮ですが、明智様の仕掛けた驚きはこれだけではございませぬ」
宗久の案内で、重厚な鉄の扉を開けて船内に入った信長たちは、そこかしこに詰め込まれた『未来の知識』にさらに驚愕することになる。
船倉には、何年航海しても決して腐らない最新の保存食――すなわち、ブリキ缶に密閉された『缶詰』の原型や、カチカチに焼かれた『ビスケット(乾パン)』が山のように積載されていた。これで、南蛮航海で最も恐れられる壊血病や餓死のリスクは完全に消滅している。
そして、極めつけは、船の心臓部とも言える【武器庫】であった。
「上様。こちらが、明智様が設計された新式の鉄砲と大砲の実物にございます」
宗久が木箱を開けると、そこには、信長が長年愛用してきた火縄銃とは全く形状の異なる、美しく磨き上げられた黒光りする銃がズラリと並んでいた。
「おお……これがあの時、十兵衛が言っていた『後ろから弾を込める筒』か!」
信長は少年のように目を輝かせ、その『後装式(元込め)ライフル銃』を手に取った。
図面で構造は理解していたが、実際に手元の金具を開き、真鍮の【薬莢】をガチャリと装填する動作を試してみる。
「……恐ろしいほどに速いな。これなら、従来の火縄銃の十倍以上の速度で連射できる。しかも火縄を使わんから、雨の中でも撃てるし、地面に這いつくばった状態でも弾込めが可能だ」
さらに信長は、傍らに鎮座する青銅製の『旋条砲(ライフル大砲)』の冷たい砲身を撫で、その砲口の中を覗き込んだ。
「そして、筒の内部に刻まれたこの螺旋の溝。これで弾が独楽のように回転して飛び、飛距離と命中精度が跳ね上がるのだったな。……理屈は聞いていたが、いざ実物を目の前にすると、その暴力的な威力が肌で理解できるわ」
信長は、獰猛な笑みをこぼした。
(これほどの圧倒的な火器と、絶対に沈まない鉄の装甲があれば。当時の白人列強が誇る木造の『無敵艦隊』など、相手の大砲の射程外から、一方的に粉砕し、海の藻屑にできるではないか)
圧倒的な、暴力的なまでの過剰戦力。
世界を征服するための最強のカードを惜しげもなくプレゼントした親友の計らいに、信長は身震いするほどの高揚感を覚えていた。
「上様。明智様から、もう一つ、こちらを預かっております」
宗久が恭しく差し出したのは、精巧に作られた巨大な球体――『地球儀』と、分厚い和紙に包まれた手紙だった。
「地球……儀か。これも、実物を見るのは初めてだな」
信長は、初めて見る「丸い世界地図」を興味深げに手で回した。
かつて若い頃に光秀から「世界は丸い」と教えられ、その概念は理解していた。だが、こうして立体的な球体の表面に、世界の国々の位置が正確に描かれているのを見ると、そのスケール感に圧倒される。
「はい。明智様曰く、『我々が立っている大地は、平らではなく、このような丸い球の形をしている』とのこと。この球体の表面に、世界の国々の位置が正確に描かれております」
信長は、初めて見る「丸い世界地図」を興味深げに手で回した。そこには、小さな島国である日本と、その何百倍もの面積を誇るユーラシア大陸やヨーロッパ、そして新大陸の姿が描かれている。
(……なるほど。十兵衛の言った通りだ。日本など、この途方もなく巨大な世界の中では、ちっぽけな箱庭に過ぎない)
信長は地球儀から視線を外し、手紙の封を切った。帰蝶も隣からその文面を覗き込む。
そこには、光秀の流麗な文字で、こう記されていた。
『――信長様へ。
この手紙をお読みになっている頃、私は「主君殺しの大悪人」として、事後処理に奔走していることでしょう。この退屈で狭い島国は、私が責任を持って引き受けます。
上様は、そのNOBU号に乗り、帰蝶様と共に己の赴くままに、思う存分「外の世界」をぶっ壊してきてください。とりあえず、インド洋やヨーロッパあたりで、偉そうにしている白人の王様たちに、極東の魔王の恐ろしさを叩き込んでやってはいかがでしょうか。
なお、上様が旅立たれた後、この本能寺の凶報を聞きつけた「猿(秀吉)」が、血相を変えて京へ攻め上ってくるよう、あらかじめ極上の『餌』を撒いておきました。
彼が意気揚々と辿り着いた先(天王山)で、私が手塩にかけて構築した近代要塞でお出迎えし、その野心を完膚なきまでに叩き潰して絶望させてやるつもりです。
すっかり心をへし折り、使い勝手の良い【世界遠征軍・総司令官】として調教し直した暁には、そちらへ“発送”いたしますので、楽しみにお待ちください。
道中、どうかお気をつけて。――明智十兵衛光秀』
「……これから猿を誘い込み、完膚なきまでに叩き潰して俺の元へ『発送』する、だと?」
手紙を読み終えた信長は、肩を震わせ、やがて甲板の上で涙を流すほどの大爆笑を響かせた。
「あっははははは!! 傑作だ! あの野心家の猿をわざわざ己の手で誘い込み、絶望のどん底に叩き落としてから俺の小間使いとして送り込んでくるというのか! あの男、本当に底知れぬ悪党になりおったわ!!」
「ふふっ……十兵衛も、本当に人が悪い。あの羽柴がどんな顔をして絶望するのか、見ものですね」
帰蝶も口元を扇子で隠しながら、夫と共に楽しげに笑い声を上げた。
極東の最強夫婦と、その背中を押した稀代の知将。彼らの途方もないスケールの悪戯が、世界の歴史を根底から書き換えようとしていた。
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