第7話:土木チートの逃走路と、堺への疾走
(俺の仕事はここからだ。……上様、どうか道中お気をつけて)
俺が、まだ煙を上げる本能寺の焼け跡を見下ろし、心の中で不器用な親友の無事を祈っていた、まさにその頃。
――視点は地上の喧騒から、遥か地下深くの暗闇へと移る。
本能寺の地下。
地上の猛烈な炎の熱気や、「信長を逃すな!」と血眼になって捜索する明智軍の喧騒から完全に遮断された、冷たく湿った空気が漂う坑道。
そこを、『死んだ』はずの織田信長と、森蘭丸をはじめとする数名の側近たちは、松明の明かりだけを頼りに進んでいた。
「上様……これは、一体どういうことでしょうか。本能寺の地下に、このような巨大な空洞があるなど……」
蘭丸が、松明の炎に照らし出される壁面を見て、信じられないものを見るようにそっと撫でた。
それはただ土を掘り進めただけの無骨な穴ではない。崩落の危険が一切ないよう、壁面からアーチ状の天井に至るまで、現代のモルタルに近い『三和土の強化版』でガチガチに補強され、表面は滑らかに整えられている。
いつの間に、どうやってこんなものを掘ったのか。蘭丸の常識では到底理解できない光景だった。
「くくっ……あっはははは!」
信長は、目の前に広がる光景と、その奥に用意されていた「あるモノ」を見て、こらえきれずに腹を抱えて大爆笑した。
「あの野郎……本当に底知れぬ悪党になりおったわ!」
彼らの目の前に伸びる坑道の床には、はるか先の暗闇まで続く二本の真っ直ぐな『鉄のレール』が敷かれていた。そして、その上には木と鉄で作られた四輪の箱――現代でいうところの『手回し式トロッコ』が待機していたのである。
これこそが、俺(光秀)が数年前から「京の都の排水網と地下水脈の整備」という名目で莫大な国家予算を引き出し、堺の商人たちを使って極秘裏に掘り進めさせていた『非常用地下鉄』の全貌であった。
その終点は、京の市街地を完全に抜け、郊外の安全な森の中まで繋がっている。
「乗れ、蘭丸。十兵衛が用意した特等席だ」
信長が軽やかな足取りでトロッコに乗り込むと、戸惑いながらも蘭丸たちがそれに続く。
「上様、この鉄の箱はいったい……?」
「見ればわかる。横についているその鉄の棒を、前後に動かしてみろ」
言われるがままに、蘭丸たちがトロッコの横に設置された手動のレバーをキコキコと前後に動かし始めた。
その瞬間。
ゴトン、と軽い音を立てて、車輪が鉄のレールの上を滑るように回り始め、トロッコは坑道の中を恐ろしいスピードで疾走し始めたのだ。
「なっ……!? な、なんと……!」
蘭丸が驚愕の声を上げる。
当時の荷車といえば、木の車輪でデコボコな土の道をガタガタと進むため、少し重いものを積めば大人数で押さなければ動かなかった。だが、摩擦を極限まで減らした鉄の車輪と鉄のレールの組み合わせは、ほんの少しの腕力だけで、馬が走るような圧倒的な推進力を生み出すのである。
人力とは思えない滑らかさと速さ。暗闇の坑道を、風を切って猛スピードで駆け抜けていく。
「愉快! 痛快極まりないぞ!!」
信長は、風を顔に受けながら歓喜の声を上げた。
今この瞬間、地上では数万の明智軍が「信長を逃すな!」「骨の一片まで探し出せ!」と血眼になって焼け跡をひっくり返し、包囲の輪を縮めている。その真下を、当の信長本人が最新鋭のトロッコに乗って快適に滑りながら、文字通り「高みの見物」ならぬ「低みの見物」で悠々と抜け出していくのだ。
これほど痛快な逃走劇が、他にあるだろうか。
わずか数十分後。
トロッコは減速し、京の郊外の鬱蒼とした森の中にカモフラージュされた出口へと到着した。
蘭丸が重い鉄の扉の閂を外し、ギギギ……と押し開けて外に出る。そこには、朝靄に包まれた新鮮で冷たい空気が満ちていた。
そして、その森の奥にはすでに、堺の会合衆・今井宗久の配下である商人や護衛の者たちが、音を立てずに静かに待機していたのである。
「お待ちしておりました、上様。さあ、こちらへ」
頭を下げて案内する商人たちの先には、数頭の屈強な駿馬に繋がれた、一台の巨大な箱馬車が停まっていた。
「馬車……? いや、何かが違う」
信長は目を細めた。一見すれば立派な屋根付きの馬車だが、その構造は明らかに異質だった。
車体の下には、鋼鉄の板を幾重にも重ねた『板バネ(リーフ式サスペンション)』が組み込まれており、車輪の表面には、南蛮由来の謎の黒い弾力素材――『生ゴム』のクッションが分厚く巻かれている。
これもまた、俺が未来の知識で設計した、悪路でも衝撃を完全に吸収する超快適な『近代サスペンション馬車』であった。
「どうぞ、お乗りください」
促されて馬車の中に乗り込んだ信長たちは、ふかふかのビロードの長椅子に腰を下ろした。
「出せ。目指すは堺の港だ」
信長の命とともに御者が鞭を打ち、馬車は夜明け前の薄闇を切り裂くように疾走し始めた。
「……!」
走り出した瞬間、蘭丸は思わず息を呑んだ。
当時の日本の道は舗装されておらず、石や木の根が転がる悪路ばかりである。通常の馬車や籠であれば、猛スピードで走れば内臓が揺さぶられ、舌を噛み切りそうになるほどの激しい振動に見舞われる。
だが、この馬車はどうだ。
板バネが路面の凹凸をしなやかに吸収し、ゴムタイヤが小石の衝撃を殺しているため、車内はまるで水の上を滑っているかのように静かで、信じられないほど安定していた。
信長が、車内に用意されていたガラスのグラスに南蛮ワインを注いでも、水面が微かに揺れるだけで、一滴たりともこぼれ落ちることはない。
「至れり尽くせりだな……。十兵衛の奴、俺を魔王と呼んでおきながら、随分と過保護に甘やかしおる」
信長は、揺れない馬車の中でワインを喉に流し込み、呆れたように肩をすくめた。だが、その顔には深い友愛と、最高の親友に対する歓喜の笑みが刻まれていた。
思えば、あの得体の知れない男が自分の前に現れてから、すべてが劇的に変わった。
光秀は常に信長の想像を遥かに超える「未来の知略」を提示し続け、不可能を可能にしてきた。そして最後には、天下人の孤独に苛まれ、狂って死ぬしかなかった自分を、最高に劇的な方法で「死んだこと」にして救い出してくれたのだ。
(十兵衛。お前が俺から日本の天下を奪い、俺を外の世界へ追い出したのだ)
信長は、窓の外を飛ぶように流れていく夜明けの景色を見つめた。
空は白み始め、新しい一日が――いや、新しい人生が始まろうとしている。
もはや、狭い安土城で退屈な書類仕事に追われる日々はない。目の前には、誰も見たことのない広大な世界と、見たこともない強敵たちが待っているのだ。
(ならば、せいぜい極上の遊び場を用意しておけよ。この俺の魂を、永遠に退屈させないほどのな!)
信長の胸の奥で、完全に冷え切っていたはずの灰が再び燃え上がり、業火となって全身の血を沸騰させていた。
極東の魔王が、完全な自由を手に入れて世界へと解き放たれる瞬間。
彼らを乗せた最新鋭の馬車は、巨大な鋼鉄の船が待つ堺の港へ向けて、止まることなく疾走していった。
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