第17話:朝廷工作と、野猿への極上の餌
天正10年(1582年)5月。
空にはどんよりとした梅雨の雲が垂れ込め、蒸し暑い風が吹き抜ける季節。いよいよ、俺が数年がかりで練り上げてきた究極のクーデター決行の月が訪れた。俺は、歴史の表舞台と裏舞台、その両方の盤面を同時に動かし、最終調整を急ピッチで進めていた。
まずは、京の都における最大の権威――『朝廷』への根回しだ。
室町幕府が事実上崩壊し、織田信長が天下を掌握しつつあるこの時代においても、二千年の歴史を持つ「天皇」と「朝廷」の権威は、武将たちにとって無視できない絶対的なものだ。信長を討った後、朝廷から「光秀を討て」という追討令(朝敵の烙印)を出されれば、俺の大義名分は地に落ちる。
俺は闇夜に乗じて、関白・近衛前久をはじめとする朝廷の重鎮たちが集う邸宅を極秘裏に訪れた。
彼らの目の前に置かれたのは、堺の豪商・今井宗久のネットワークを駆使して石見銀山から引き出した、目も眩むような莫大な『灰吹銀』と、南蛮渡来のビロードや宝石類だった。
「こ、これは……明智殿。これほどの財宝、一体何の真似でおじゃるか?」
前久は、扇子で口元を隠しながらも、その目は座敷にうず高く積み上げられた黄金と銀の山に釘付けになっていた。戦乱の世において、朝廷の財政は常に火の車だ。御所の塀は崩れ、公家たちはその日を生きるのにも苦労している。彼らにとって、これほどの富は見たこともないほどの衝撃だった。
「ほんの寸志にございます。これを『朝廷の修繕費』および、皆様方の『日々の学問の支度金』として、どうかお納めください」
俺は畳に手をつき、優雅に、だが有無を言わせぬ凄みを込めて言った。
「近衛様。近い将来、織田の体制に『極めて大きな変革』が起きます。ですが、ご安心を。朝廷の保護と、皆様の安寧たる生活は、この明智十兵衛光秀が命に代えてもお約束いたしましょう。……何が起きても、私を信じて沈黙していただきたいのです」
俺のその一言と、積み上げられた圧倒的な暴力とも言える富を前に、公家たちは互いに顔を見合わせ、やがてコクコクと満足げに頷いた。これで十分だ。信長が表舞台から消えた直後、俺が公的に「朝敵」とされるリスクは完全に消滅した。
次に、身内の大名たちへの工作だ。
俺の脳内にある史実のデータでは、光秀の長年の盟友であった細川藤孝や、筒井順慶といった大名たちは、本能寺の変の直後に光秀の誘いを拒絶した。藤孝に至っては頭を丸めて弔意を示し、光秀を見捨てて羽柴秀吉側についたのだ。それが明智軍の致命的な孤立を招き、山崎の戦いでの敗北の決定打となった。
(あの時の光秀の絶望と孤独は、いかばかりだったか……)
だが、今回は違う。俺は彼らに宛てて、一通の特別な『密書』をしたためていた。
『本能寺における変事は、上様(信長)ご自身のご意志と了承による大芝居である。上様はご無事であり、日本の枠を越え、海の外へ向かわれる。後の天下は、私と徳川家康殿が合議によって回す手はずとなっている。案ずるな』
この真実が記された密書を、決起の直後――世間が「明智が謀反を起こした!」とパニックに陥っている絶妙なタイミングで彼らの元へ届くよう、俺が長年飼い慣らしてきた伊賀の精鋭忍びたちに手配した。
藤孝も順慶も、義に厚い男たちだ。「上様もグルである」という真実を知り、さらに家康も同調しているとわかれば、彼らが俺を裏切り、秀吉側につく理由は完全に失われる。
「そして……最後は、あの『野猿』への極上の餌撒きだな」
自室の縁側に立ち、俺は西の空を見つめながら不敵に笑った。
西国・備中高松城において、毛利軍と泥沼の対陣を続けている羽柴秀吉。あの野性の勘と恐るべき軍才を持つ男を京へ呼び戻さなければ、国内の憂いは完全に断てない。
史実では、光秀が毛利方へ送った密使が、不運にも道を間違えて秀吉の陣に迷い込んで捕まり、信長の死が秀吉にバレたことになっている。
だが、俺は歴史を左右するような不確実な「偶然」には絶対に頼らない。
「お前たち。追っ手から死に物狂いで逃げ回った末の『間抜けで哀れな使者』を完璧に演じろ。そして、藤吉郎の陣営にわざと捕まり、この報せを届けてこい」
俺は最も優秀な忍びに命じ、『信長討死、明智謀反』の報せを持たせた偽の密使を、意図的に秀吉の陣営へと放った。
秀吉に、『信長の死』という彼にとっての最大のチャンス(極上の餌)を与え、史実通りに狂喜乱舞させ、『中国大返し』という神速の行軍を誘発させるためだ。
「さあ、全力で走ってこい、秀吉。天下が己の手に転がり込んでくると信じてな」
意気揚々と天王山に戻ってきたところを、俺が現代知識で構築した有刺鉄線の近代要塞と、圧倒的な火力(連発式火縄銃)で完膚なきまでに叩き潰し、彼の才能と野心を完全にへし折って絶望させてやる。
そうして彼から「日本を支配する」という内政への野望を根こそぎ奪い取れば、彼もまた、海を渡る信長の『海外遠征軍司令官』として、俺の手足として完璧に再利用できるのだ。
「すべては、盤上の駒のごとく」
俺は扇子をパチンと閉じ、立ち上がった。
仕込みは、すべて終わった。舞台の幕を上げる時が来たのだ。
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