第9話:歴史の歯車を回す重圧
今井宗久を帰した後の深夜。
京の明智屋敷は、水を打ったような静寂に包まれていた。
微かに揺れる蝋燭の灯りだけが頼りの自室で、俺は一人、机に広げた大量の書状と帳簿を睨みつけていた。
クーデター決起の兵力配置、朝廷への根回しの進行度、毛利戦線にいる秀吉の動向、そして決起後の京の治安維持マニュアル。
それらを一つ一つ、脳内の【絶対記憶】と照らし合わせながら、狂いがないか確認していく。
「……毛利の陣営には、すでに和睦の使者を潜り込ませた。朝廷の近衛前久卿には、十分な黄金を握らせてある。……いける。理屈の上では、完璧だ」
だが、理屈だけで歴史は動かない。
俺が企てているのは、日本史上最大のクーデター『本能寺の変』の、完全なるプロデュースだ。
魔王・織田信長を死んだことにして日本から脱出させ、同時に国内に残る不安要素を一気に炙り出して鎮圧する、前代未聞の「壮大な茶番劇」。
少しでも計算が狂い、信長が逃げ遅れるか、あるいは「信長を逃がした」という真実が外部に漏れればどうなるか。
俺は単なる「主君殺しの大悪人」として、全国の大名から一斉に刃を向けられる。
明智家の一族郎党は根絶やしにされ、愛する妻や家臣たちも、残酷な処刑の憂き目に遭うだろう。
「ふぅ……」
俺は筆を置き、両手で顔を覆って、深すぎるため息を吐き出した。
前世の記憶を持ったチート能力者とはいえ、心まで鋼でできているわけではない。
むしろ歴史の結末を知っているからこそ、歴史の巨大な歯車に逆らい、それを自分の手で回そうとする重圧は、想像を絶するものだった。
肩にのしかかるプレッシャーで、胃が捻り潰されそうだ。
その時だった。
「あなた様。夜分遅くに失礼いたします。……まだ、起きておいでですか?」
ふすまの向こうから、鈴を転がすような、優しく穏やかな声が響いた。




