第6話:漆黒の箱舟とオーバーテクノロジー(改稿版)
魔王・織田信長を、この日本の退屈な鳥籠から世界へと解き放つ。
その途方もなく狂った計画を実現するため、俺(光秀)は信長と共に天下布武の政務をこなしながらも、水面下で驚異的な速度で動き続けていた。
深夜。和泉国・堺の港の最奥に位置する、高い塀と厳重な警備に囲まれた区画。
表向きは『今井商会が管理する、南蛮船の大型修理施設』として偽装されているその巨大な建屋の中に、俺は密かに足を踏み入れていた。
「……お待ちしておりました、明智様」
微かに揺れる松明と油灯りの下。
俺の目の前で、堺の会合衆の筆頭である大商人・今井宗久が、床に額をこすりつけるようにして平伏していた。
その傍らには、何やら分厚い図面の束と、膨大な数字が書き込まれた帳簿が山のように積まれている。宗久が顔を上げると、その目には極度の疲労と、それを遥かに上回る狂気じみた興奮の炎がギラギラと燃え盛っていた。
「宗久殿。以前から進めていた『あの計画』の進捗はどうなっている?」
俺の静かな問いかけに、宗久は震える手で図面の束を押し戴いた。
「はっ。明智様の設計図通り……我が今井商会の全財力と、日の本中から集めた百人を超える最高の職人衆を極秘裏に総動員し、建造を進めておりました超大型装甲ガレオン船。……ついに、先ほど最後の艤装が完了し、完全なる姿で海に浮かびました。船名は、ご指定の通り『NOBU号』にございます」
宗久が声を潜めながらも、感極まったような誇らしげな声で報告する。
俺は頷き、ドックの奥――巨大な天幕で覆い隠された『ソレ』を見上げた。
全長五十メートル、排水量千トンを優に超える、当時の日本の常識(安宅船など)を遥かに逸脱した規格外のバケモノ船。
それが、漆黒の鉄の鱗(装甲)を纏い、まるで眠れる海竜のように静かに波間に揺れていた。
「よくやってくれた。南蛮の造船技術と、和船の利点を融合させるのは、口で言うほど簡単なことではなかっただろう」
「ええ……。明智様が描かれた設計図は、船大工たちが図面を見て泡を吹いて倒れそうになるほどの、文字通り常軌を逸した代物にございましたからな」
宗久は苦笑しながら、分厚い設計図を広げた。
「南蛮船の強度を支える背骨――『竜骨』の構造をベースにしつつ、船体の内部には、和船の技術である『水密隔壁』を採用いたしました。……これにより、船の内部が竹の節のように細かく独立した区画に分かれています。万が一、岩礁にぶつかったり砲弾を受けて船体に穴が開いても、その区画の扉だけを封鎖すれば、他の区画に水は入らず、船は絶対に沈みませぬ」
俺の脳内にある【造船工学】と【歴史データ】が導き出した、究極のハイブリッド構造だ。
当時のヨーロッパのガレオン船は、大砲を積むためにトップヘビー(重心が高い)になりがちであり、さらに船倉が一つに繋がっているため、どこか一箇所でも大穴が開けば、あっという間に水が全体に回って沈没してしまうという致命的な弱点があった。
それを補うために、古代中国のジャンク船や日本の和船で使われていた「水密隔壁」の概念を強引に組み込んだのだ。
「さらに、船体の両側面と甲板には、堺の鉄砲鍛冶を総動員して鋳造させた『旋条砲(ライフル大砲)』が何十門もズラリと並んでおります。……間違いなく、現在世界の海を渡っているどの南蛮の無敵艦隊よりも巨大で、強靭な船にございます」
宗久が図面を撫でながら、震える声で言った。
だが、俺は扇子でその図面の「心臓部」をトントンと叩いた。
「宗久殿。この船の真の恐ろしさは、装甲の厚さでも大砲の数でもない。……『あの鉄の箱』は、無事に組み込めたのだろうな?」
俺の言葉に、宗久はゴクリと息を呑み、そして信じられないものを見るような目で俺を見上げた。
「……はい。かつて明智様が、石見銀山の『地下水を汲み上げるための排水ポンプだ』と仰って、何度も爆発寸前の失敗を繰り返しながら造り上げた、あの巨大な鉄の釜と筒。……まさかあれが、この船を動かすための『からくり』であったとは」
そう。以前から俺が秘密工房で職人たちに試行錯誤させていた、石炭を燃やして動く『蒸気機関』。
俺はそれを鉱山用の排水ポンプだと偽っていたが、真の目的は、このNOBU号の心臓部として組み込むことだったのだ。
「蒸気の膨張する圧力でピストンを動かし、その縦の動きを歯車で回転の力に変える。それを、船の両側面に取り付けた巨大な『外輪』に直結させた。……そうだな?」
「左様にございます。……恐ろしいことに、明智様の計算通り、あの鉄の釜の中で九州から取り寄せた『黒い石(石炭)』を燃やすだけで、水車が凄まじい力で自ら回り始めました」
宗久は、恐怖すら滲ませた声で言った。
「これまでの南蛮船は、帆に『風』を受けなければ進めませんでした。無風地帯に捕まれば何日も海上で立ち往生するしかなかった。……ですが、あの鉄の心臓(蒸気機関)があれば。風が吹こうが吹くまいが、自らの腹の中で火を燃やす限り、海を切り裂いてどんな速度でも、どこへでも進むことができるのです。……もはやこれは船ではありません。海の理すらねじ伏せる、海神そのものです」
「神ではない。人間の知恵の結晶だ」
俺は、ドックの暗闇に浮かぶ漆黒の船体を見上げた。
俺が設計図を引いただけではない。鉄の筒を真円に削り出した鍛冶師、気密性を保つための漆と革パッキンを開発した職人、そして莫大な資本を投じた宗久。
「技術は一人の天才ではなく、百人の職人の手によって形になる」という俺の信念が、この戦国時代に見事なオーバーテクノロジーを現出させたのだ。
「器は、完璧に仕上がった。よくやってくれた、宗久殿」
俺が労いの言葉をかけると、宗久は深く頭を下げた。だが、俺の目はまだ笑っていなかった。
「だがな。船という『器』がどれほど巨大で強固に完成したとしても、それだけでは人は世界の海を渡れない。……ここからが、本当の戦いだ」
俺の静かな言葉に、宗久は顔を上げ、緊張した面持ちで次の指示を待った。
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