第3話:歴史のバグ(魔王の破壊衝動)(改稿版)
あの安土城の政務会議で、「次はないぞ」という信長の冷酷な通告が為されてから、一年と少しの月日が流れた。
天正8年(1580年)の夏。
事態は、俺(光秀)が懸念していた通り――いや、俺の想定を遥かに超える最悪の形で、ついに臨界点を突破することになった。
「……佐久間信盛。そして、その嫡男・信栄。前に出よ」
安土城の大広間に集められた重臣たちの前で、織田信長の氷のように冷たい声が響き渡った。
名指しされた佐久間父子は、顔面を土気色に染め、ガタガタと震えながら信長の御前に平伏した。
彼らが管理を任されていた大和・河内、および旧石山本願寺領の統治。
俺が裏から損失を補填し、何度も「関所を撤廃し、過酷な取り立てをやめるように」と説得を試みたにも関わらず、佐久間は相変わらず「古い武士の特権」に固執し、商人の流通を阻害し続けていた。
いや、違う。俺の目から見れば、佐久間のやり方は決して無能な暴君のそれではなく、戦国武将としては極めて一般的な、昔ながらの「領地経営の定石」に過ぎなかったのだ。
だが、「戦場が消えゆく世界」において、己の破壊衝動を持て余し、限界までストレスを溜め込んでいた信長にとって、俺の創り上げた近代システムを阻害するその『鈍さ』はもはや、格好の「標的(薪)」でしかなかったのだ。
「十兵衛。読み上げろ」
信長は、傍らに控えていた俺に、分厚い和紙の束を冷たく投げ渡した。
「……はっ」
俺はそれを受け取り、一読して、背筋に強烈な悪寒が走るのを感じた。
それは、歴史オタクの俺が前世で何度も目にしたことがある、有名な史料の原本。信長が佐久間信盛に突きつけた、世に言う『十九ヶ条の折檻状』であった。
俺は、静まり返る広間の中で、その残酷な文面を読み上げざるを得なかった。
「一、大和・河内および旧本願寺領の統治において、お主は数年もの間、何一つ目覚ましい成果を上げていない。
一、十兵衛(光秀)が血を流さずに降伏させ、富を生む土壌を作ったにも関わらず、お主は関所を設けて流通を妨げ、民を虐げて織田の天下の歩みを遅らせた。
一、かつて三方ヶ原の戦いにおいて、お主は……」
読み進めるごとに、広間の空気が凍りついていく。
そこには、現在の不手際やシステムの無理解だけでなく、数年前、十数年前の些細な失敗や言い間違いまでもが、執念深く、ネチネチと、これでもかというほど論理的に書き連ねられていた。
「秀吉や明智のように、知略を巡らせて国を豊かにするでもなく、ただ漫然と古い武士の意地にしがみつき、織田家の足を引っ張り続けた。……もはや、貴様のような無能で怠惰な老いぼれに、織田家の重臣を名乗る資格はない」
信長は、俺から折檻状を奪い取り、平伏する佐久間の顔面にバサリと叩きつけた。
「う、上様ぁっ! お、お待ちくださりませ! この信盛、信秀様(信長の父)の代より織田家に仕え、数多の戦場で血を流し、命を懸けてまいりました! どうか、どうか今一度、挽回の機会を……!」
佐久間信盛は、涙と鼻水を流し、畳に額をこすりつけて必死に命乞いをした。
織田家筆頭の老臣の、あまりにも惨めな姿。
だが、信長の目には、長年連れ添った忠臣に対する情など、欠片も存在しなかった。
「昔の武功が何だ。俺が創る新しい天下布武に、不要な無能は要らん。……親の代から仕えていようが関係ない。俺の役に立たない者は、等しくゴミだ」
信長は、立ち上がり、見下ろすように冷酷な宣告を下した。
「佐久間信盛、ならびに信栄。……本日をもって、貴様らの領地をすべて没収する。髪を剃り、高野山へ追放とする。二度と、俺の前にその面を見せるな」
「ああっ……! う、上様ぁぁぁっ!!」
絶叫する佐久間父子が、近習たちによって両脇を抱えられ、広間から無惨に引きずり出されていく。
その光景を目の当たりにした柴田勝家や丹羽長秀といった他の古参の武将たちは、顔色を失い、冷や汗を流しながら、互いに無言で視線を交わしていた。
彼らの心に刻まれたのは、明日は我が身かもしれないという絶対的な「恐怖」だ。
どれほど忠義を尽くそうと、少しでも信長の求める「速度」と「合理性」に遅れをとれば、過去の功績などすべて無に帰し、このように切り捨てられる。
これが、天下人・織田信長の真の恐ろしさなのだ。
だが、俺(光秀)の感じていた恐怖は、彼らとは全く別のものだった。
俺は、下座で平伏しながら、上座で傲慢に足を組む信長の『眼』を、じっと観察していた。
長年の重臣を容赦なく切り捨てた信長の目。そこには、俺のシステムの阻害への怒りや、組織を最適化するための合理的な冷徹さは、微塵もなかった。
あったのは――『狂気的な歓喜』と、『底なしの虚無』だ。
(……間違いない。上様は、佐久間殿が本当に憎くて、あるいはシステムの邪魔だから追放したわけじゃない)
俺の脳内で、歴史の真理が冷酷な答えを弾き出す。
信長は、「敵がいない世界」における退屈と虚無感に耐えきれず、己の内部で暴走し始めたマグマのような破壊衝動を鎮めるために、身内である佐久間を『生贄(薪)』として燃やしたのだ。
ただ、燃やすための「もっともらしい理由」として、俺の近代システムへの不適応を利用したに過ぎない。
古い権威を破壊し、敵を焼き尽くすことでしか、己の存在意義を感じられない戦の化け物。
それが、俺の持ち込んだチート知識によって「外の敵」をすべて奪われた結果、今度は自らが創り上げた組織そのものを、内側から破壊し始めたのである。
「……十兵衛」
ふと、信長の声が、俺の頭上から降ってきた。
俺がハッと顔を上げると、信長は俺を見下ろし、口角を歪めてニヤリと笑っていた。
「お前は、佐久間を庇わんのか? 以前のように、合理的ではないと、俺に意見してみせろ」
その言葉の裏にある、ゾッとするような殺意と誘惑。
「お前も、俺の理不尽に逆らって、俺を楽しませてみろ」とでも言いたげな、狂気に満ちた挑発だった。
俺は、背筋に氷柱を突き立てられたような悪寒を感じながら、深く頭を下げた。
「……上様のご決断に、異議はございませぬ。すべては、新しい天下布武を構築するための、不可避の手術にございます」
俺が完璧な「イエスマン(冷徹な官僚)」として振る舞うと、信長は激しく落胆したように、つまらなそうに舌打ちをした。
「ふん。お前も、随分と面白みのない男になったものだ。……今日の軍議は終わりだ!」
信長が大股で広間を出ていくと、残された武将たちは一斉に安堵の息を吐き、足早に自らの陣屋へと逃げるように帰っていった。
俺は、一人残された広間で、扇子を強く握り締め、己の手が小刻みに震えているのを見つめていた。
(……歴史のバグだ。俺の知識チートが、最大のバグを引き起こしてしまった)
俺は、愛する熙子を守るため、そしてこの国に平和をもたらすために、未来の知識を使って戦場を消し去り、信長の天下統一を異常な速度で推し進めた。
だが、その結果、織田信長という強大すぎるソフトウェアを「平和な世界」という適合しないハードウェアに無理やりインストールしてしまったのだ。
魔王は、呼吸をするように破壊を求める。
外に敵がいなければ、内側の味方を壊す。佐久間の次は、柴田か、丹羽か、それとも俺自身か。
このまま日本に彼を置いておけば、いずれ必ずこの国は、信長自身の破壊衝動によって内部から崩壊し、血みどろの大乱世に逆戻りするだろう。
「……俺が、やらなければならない」
誰もいない広間の静寂の中で、俺は己の魂に深く刻み込むように呟いた。
史実において、明智光秀がなぜ『本能寺の変』を起こしたのか。
怨恨説、野望説、朝廷黒幕説。様々な考察が前世では飛び交っていたが、今の俺には、その真実が肌感覚で、痛いほどに理解できた。
魔王の狂気を止めるには、殺すか、あるいは……この日本という鳥籠から、物理的に排除(追放)するしかないのだ。
「上様。貴方は、戦国の世を終わらせるための最強の破壊神でした。……ですが、これからの平和な新しい時代に、貴方の存在は大きすぎる」
俺は立ち上がり、安土城の天主から、遠く南の方角――堺の海を見つめた。
あそこには、俺が今井宗久に莫大な資金を投じて極秘裏に建造させている、オーバーテクノロジーの結晶がある。
(あの鉄の箱舟を完成させ、上様を外の世界(海)へ解き放つ。……俺が『主君殺しの逆賊』としてすべての泥と怨嗟を被り、歴史の真実を完全に偽装する、狂気の計画)
かつては荒唐無稽な夢物語だと思っていたその計画が、今、俺の中で「絶対に実行しなければならない確定事項」として、冷徹に、そして完璧な輪郭を持って固まった。
この国を、そして俺の愛する家族を、魔王の業火から守り抜くために。
俺は、歴史上最も恐ろしく、そして最も美しいクーデター(本能寺の変)をプロデュースする、冷酷な『大悪人』になる覚悟を決めたのだった。
【読者の皆様へのお願い】
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
もし「面白い!」「続きが気になる!」と思っていただけましたら、ぜひ【ブックマーク】と、ページ下部からの【星評価】をお願いいたします!
皆様の応援が、執筆の最大の励みになります!




