第19話:ヒリヒリとする対峙 ~秀吉の左遷~
「羽柴殿。おるか」
静寂に包まれた陣幕の入り口が静かに開き、俺(光秀)がひょっこりと顔を出した。
手にはいつも通り、優雅な白檀の扇子を持っている。
「ひっ!? あ、明智様!!」
ビクッと肩を震わせた秀吉は、慌てて立ち上がり、顔に張り付いたような「いつもの愛想笑い」を浮かべてペコペコと平伏した。
「こ、これはこれは明智様! このような夜更けに、わしのような卑しい者の陣幕へ、どのようなご用件で……! お茶でもお淹れしましょうか!?」
表向きはへりくだっているが、その目はひどく血走り、警戒と恐怖、そして隠しきれない野心が複雑に絡み合っていた。まるで、天敵の蛇に睨み据えられた猿そのものである。
「いや、茶はいい。立ち話で済む」
俺は陣幕の中に一歩踏み入り、平伏する秀吉を見下ろして、淡々と、しかし決定的な一言を告げた。
「上様からの命を伝えに来た。……お前にはこれより、『西国(中国地方)』の総司令官を任せる。播磨(兵庫県)を平定し、西の大国である毛利家を討伐せよ」
「――西国、ですか」
その瞬間、秀吉の顔から、媚びへつらうような笑みが完全に消え去った。
史実通り、秀吉を「中国方面軍の総司令官」に任命したのだ。一軍の将として西国の平定を任されるというのは、一見すれば大出世である。柴田勝家が北陸を任されたように、彼もまた織田家の重臣として方面軍を束ねる立場になったのだから。
だが、勘の鋭い天才・秀吉が、この命令の「真意」に気づかないはずがなかった。
これは出世の皮を被った、『隔離』である。
天才である秀吉を、京や安土といった中央の政治中枢、すなわち信長の直近から遠ざけ、泥沼の西国戦線に釘付けにする。彼が西国で毛利という強大な敵を相手に血みどろの苦労をしている間に、明智光秀は中央の権力と経済を完全に掌握し、筆頭家老としての地位を不動のものにするつもりなのだ、と。
(……やはり、この男はわしを潰しに来たか)
秀吉は、ギリッと奥歯を噛み締めた。
これまで幾度となく出世の機会を奪い、自分を「取るに足らない小者」として扱ってきた光秀。だが、今回ばかりは黙って引き下がるわけにはいかない。ここで西国に飛ばされれば、二度と中央へは戻れず、明智の下で一生を終えることになる。
「……明智様」
秀吉はゆっくりと顔を上げ、これまで一度も見せたことのない、底冷えのするような凄みのある低い声で問いかけてきた。
「これは……わしを都から遠ざけ、中央の政から外すための、左遷にございますか?」
「……」
「わしは、明智様のお考えになる『スマートな戦』には向いていない、泥臭い田舎侍でございます。ですが……わしの持つ『才』が、いずれ明智様の地位を脅かすと、そう恐れておいでですか?」
その言葉には、天才としての矜持と、俺に対する強烈な対抗心、そして「絶対に負けない」という剥き出しの敵意が込められていた。
陣幕の中の空気が、まるで火花が散るようにヒリヒリと張り詰める。
光秀と秀吉。未来の知識を持つ転生者と、戦国最高峰の天才。二人の視線が、刃のように真っ直ぐに交錯した。




