第12話:焼き討ちの無意味さと「金脈」
「……十兵衛。貴様、俺の決定に異を唱えるか」
信長の声は、氷のように冷たかった。
その手は無意識に腰の太刀の柄へと伸びており、少しでも気に入らない答えが返ってくれば、その場で俺を唐竹割りにしかねないほどの殺気が放たれている。
「明智殿! 上様の御前であるぞ、控えよ!」
丹羽長秀が慌てて俺を止めようとするが、俺は片手でそれを制した。
「坊主どもに仏心でも湧いたか。それとも、神仏の祟りが恐ろしいか?」
信長の問いに、俺は口元に微かな笑みを浮かべて首を振った。
「いいえ。殺す価値もない、と申し上げておるのです」
その言葉に、信長の殺気がピタリと止まった。
「……何?」
「比叡山に火を放ち、女子供まで撫で斬りにする。……それは確かに恐ろしいことですが、同時に無駄な労力と火薬を使うだけのことです。一滴の油も、一発の銃弾も、彼らのような俗物にはもったいない。我々の貴重な資産を消費する必要など、どこにもありません」
俺の冷徹極まる言葉に、柴田勝家たち歴戦の武将たちが「こいつ、何を言っているんだ?」と呆気にとられた顔をした。秀吉に至っては、俺の真意が読めず、目を白黒させている。
「殺す価値もないだと? ではどうしろと言うのだ。奴らをこのまま野放しにすれば、浅井・朝倉の兵は息を吹き返し、再び我らの背後を脅かすぞ!」
信長が身を乗り出して問い詰める。
俺は懐から、一枚の大きな地図を取り出し、信長の前の床にバサリと広げた。
それは、京の都を中心に、近江、越前に至るまでの交通網や町、関所の位置を詳細に記した自作の地図だった。現代の測量知識をベースに作成した、この時代においてはオーパーツとも言える超高精度の地図だ。
「上様。彼ら比叡山の坊主どもが、なぜ我々に対してあれほど強気でいられるのか。お分かりでしょうか?」
俺は扇子の先で、比叡山を指し示した。
「神仏の加護があると信じて疑わない、盲目ゆえの愚かさか?」
「違います」
俺は即答し、地図上の比叡山周辺に点在するいくつかのポイント――町や街道の要衝に、次々と赤筆で丸をつけていった。
「彼らの強気の源泉、その正体は『宗教の権威』などという曖昧なものではありません。もっと物理的で、生々しいものです。……すなわち、圧倒的な『経済力』です」
「経済力だと……?」
信長が目を細める。
「はい。現在、比叡山は単なる寺院ではありません。彼らは長年、『座』と呼ばれる特権商人の集団を保護し、そこから莫大な運上金(みかじめ料)を吸い上げています。さらに、京へ続く主要な街道のあちこちに『関所』を設け、そこを通る商人や旅人から法外な通行税を絞り取っているのです」
俺は脳内の【マクロ経済】と【歴史知識】のデータを引き出しながら、比叡山という組織の「裏の顔」を丸裸にしていった。
「そして極めつけは、そのかき集めた莫大な資金を使って行っている『土倉』……つまり高利貸しの商売です。周辺の領民や、時には大名にすら暴利で金を貸し付け、借金漬けにして利益を貪っている。これが比叡山のビジネスモデルです」
「なんと……坊主の分際で、銭稼ぎの真似事か」
柴田勝家が吐き捨てるように言った。
「真似事ではありませんよ、柴田殿。現在の日本において、最大級の金融機関にして巨大企業、それが比叡山延暦寺なのです。彼らはその莫大な金で大量の傭兵(僧兵)を雇い、最新の武器を買い漁り、山に籠もる浅井・朝倉の兵たちを食わせている」
俺は扇子を閉じ、信長の目を真っ直ぐに見つめた。
「彼らが祈っているのは仏ではありません。『黄金』です。だからこそ、武力で山を焼く必要はありません。奴らの『金脈』を根こそぎ奪い、経済を破壊してしまえば……彼らは勝手に干上がり、内部から自滅します」
「……金脈を断つ、か」
信長の口角が、わずかに吊り上がった。
武力による絶対的な破壊を好む一方で、信長は新しい合理的な発想や、盤面をひっくり返すような奇策を何よりも愛する男だ。
俺の提案した「目に見えない力(経済)」を使った戦という概念が、彼の知的好奇心を強烈に刺激したのが分かった。
「面白い。だが十兵衛、言うは易しだ。何百年もかけて築き上げられた奴らの金脈を、どうやってこの短期間で断ち切るというのだ?」
信長の問いに、俺は不敵に微笑んだ。
「武力を使わず、圧倒的な『資本の暴力』で市場を制圧します。……堺の今井宗久殿を巻き込み、未来の『金融制裁』というものを、奴らに味わわせてやりましょう」
俺の頭の中にはすでに、比叡山を血の一滴も流さずに地獄へ叩き落とす、完璧な青写真が出来上がっていた。




