第10話:無傷の撤退と、遠足の猿(改稿版)
「――第一陣、撃てッ!!」
タァン! タタタタタタタタタタッ!!!
狭い山道に、何百という雷鳴が同時に落ちたかのような凄まじい轟音が響き渡った。
山道の両脇に深く掘られた塹壕に潜む三千の鉄砲隊のうち、最前列に配置された一千人が、一斉に火蓋を切ったのだ。
「ぎゃあっ!?」
「ぐわぁぁっ!! なんだっ!?」
夕闇の中で突撃の雄叫びを上げていた朝倉軍の先陣は、何が起きたのか理解する間もなく、目に見えない死の弾丸を全身に浴びて、次々と血飛沫を上げてなぎ倒されていった。
現代の塹壕戦のごとく、自分たちの姿を土の壁に隠し、地面スレスレの極めて低い位置から放たれる『十字砲火』。それは、兜や甲冑の隙間、そして無防備な足元を容赦なく撃ち抜いていく。
「た、退け! 鉄砲だ! 敵は鉄砲を隠し持っておったぞ!」
「慌てるな! 奴らは今、弾を撃ち尽くした! 次の弾を込めるまでに隙ができる、その間に一気に雪崩れ込めェェッ!!」
朝倉軍の将が、刀を振りかざして怒鳴り声を上げた。
彼の判断は、当時の常識からすれば極めて正しい。火縄銃は一発撃てば、筒を掃除し、火薬を詰め、弾を込め、火縄をセットするまでに、熟練の兵でも数十秒の時間がかかる。その隙を突いて白兵戦に持ち込むのが、鉄砲隊を打ち破るための絶対的なセオリーだった。
生き残った朝倉の兵たちが、雄叫びを上げて再び前進しようと泥を蹴り立てた。
だが。
「――第二陣、撃てッ!!」
タタタタタタタタタタタッ!!!
第一陣の銃声が鳴り止んでから、わずか数秒後。
塹壕の中で銃を撃ち終えた第一陣が後方へ下がり、あらかじめ装填を終えて待機していた第二陣が素早く前に出て、再び一千発の無慈悲な銃弾の雨を降らせたのだ。
のちに長篠の戦いで織田信長が世界に先駆けて実戦投入することになる、鉄砲の『三段撃ち(連続射撃システム)』である。
「ひぃぃぃっ!?」
「ば、馬鹿な! なぜ間髪入れずに撃ってくるのだ!?」
朝倉軍の先頭集団が、再び血の海に沈む。
だが、恐怖の連鎖はこれで終わらない。
「――第三陣、撃てッ!!」
タタタタタタタタタタタッ!!!
さらに数秒後、第三陣の放つ轟音が山谷にこだまする。そして第三陣が撃ち終わる頃には、最初に撃った第一陣の弾込めが完全に終わっており、途切れることのない無限の弾幕が完成する。
絶え間なく続く雷鳴と、もうもうと立ち込める白い硝煙。
弾込めの隙を突くどころか、前に進むことすら物理的に不可能な『死の壁』が、金ヶ崎の隘路に出来上がっていた。
「な、なんだ!? どこから撃ってきている!?」
「敵の姿が見えん!!」
「退け! 一度退けェ!!」
パニックに陥った朝倉軍は、完全に前進を諦め、足を止めて後退しようとひしめき合った。狭い山道で数万の軍勢がUターンしようとすれば、当然ながら大渋滞と混乱が引き起こされる。
だが、その動きすらも、俺の計算通りだった。
敵が密集し、後退のために足踏みをしたその「ピンポイントの地点」。そこに、俺はあらかじめ最悪の罠を仕掛けていたのだ。
「……導火線、点火」
俺の静かな指示を受け、塹壕の奥に控えていた兵士が、土の中から伸びている太い導火線に松明の火をつけた。
シュルルルル……とオレンジ色の火花が走り、敵の足元の土の中に深く埋められた『大量の火薬樽(地雷)』へと到達する。
ドゴォォォォォォォォォォォォン!!!
凄まじい爆炎と衝撃波が上がり、大地が丸ごと抉り取られた。
夕闇の空を焦がすほどの巨大な火柱が立ち上り、敵の兵士たちが、まるで秋の枯れ葉のように数十メートル上空へと吹き飛ばされ、バラバラになって降り注ぐ。
狭い山道で逃げ場を失っていた朝倉軍は、その圧倒的な破壊力と、見たこともない地獄絵図を前に、完全に正気を失った。
「ば、化け物だァァァッ!!」
「逃げろ! 明智の軍には、鬼神がついているぞォォ!! 呪われるゥ!!」
もはや軍隊としての体をなしていなかった。彼らは武器を放り投げ、味方同士で突き飛ばし合い、踏みつけ合いながら、悲鳴を上げて蜘蛛の子を散らすように元来た道を逃げ出していった。
「……なんという、完璧な戦だ。これが、明智光秀の力……」
俺のすぐ背後で、徳川家康は震えながら、呆然とその光景を見つめていた。
味方の被害は、驚くべきことに『ゼロ』である。敵の姿を見ることすらなく、ただ一方的に殲滅し、相手の心をへし折って時間を稼ぐ、圧倒的な「遅滞戦闘」。
「徳川殿。追撃の第一波は完全に粉砕しました。敵は恐怖で、少なくとも半日はこの道を進むことができないでしょう。我々も安全に退却できます」
俺は硝煙の臭いを扇子で払いながら、家康に向かってニッコリと笑いかけた。
「さあ、我々も用意してある美味い握り飯を食いながら、京へ帰りましょうか」
俺の言葉に、家康は深く、深く頭を下げた。
「お、おお……! 明智殿の神算鬼謀、恐れ入った。……この死地において、一人の犠牲も出さずに我らを救ってくださったこの大恩、徳川家康、一生忘れ申さん!!」
家康の目には、俺への強烈な畏敬と、絶対的な信頼が宿っていた。
よし。
これで、将来のクーデターと、新しい日本を建国する上での最大の協力者となる『徳川家康』という最強のカードも、完全に掌握した。
* * *
一方、その頃。
俺が事前に整備していた安全な若狭ルートを、トボトボと歩いている小柄な男の姿があった。
木下藤吉郎秀吉である。
「うっ……ひっく……」
藤吉郎は、俺が設置した補給拠点で配給された、まだほんのりと温かくて塩気の利いた『極上の握り飯』をかじりながら、空を見上げてボロボロと涙を流していた。
「わしの……わしの一生に一度の大舞台が……。なんで、こんなに道が平らで歩きやすいんじゃ……。なんで、握り飯がこんなに美味いんじゃ……!」
周囲では、俺の命で荷駄隊の指揮を任された藤吉郎の部下や、織田軍の兵士たちが、まるで本当に遠足にでも来ているかのように談笑しながら歩いている。
「いやあ、明智様のおかげで助かったな!」
「こんな立派な道が作ってあるなんて思わなかったぜ!」
「腹もふくれたし、水筒の水もたっぷりある。これなら京まで楽勝だなぁ!」
「しかも後ろからは一切追手が来ねえ。明智様が一人で全部追い払ってくださったらしいぜ。マジで明智様は戦の神様だな!」
兵士たちの屈託のない笑い声が、藤吉郎の耳には、自分への死刑宣告のように響いていた。
本来であれば、この退却戦は、地獄のような過酷なものになるはずだった。
雨が降りしきる泥濘の山道を、重い鎧を引きずりながら、飢えと渇きに苦しみ、いつ背後から朝倉の追手が襲いかかってくるか分からない恐怖に怯えながら逃げる。
藤吉郎は、その絶望的な状況の中で、泥だらけになりながら「逃げろ! 上様をお守りするんじゃ!」と大声を上げて兵士たちを鼓舞し、血みどろになって殿軍を務め上げるつもりだった。
そして、ボロボロになって京へ生還し、信長の前で泣き崩れながら「上様、藤吉郎め、無事に戻ってまいりましたぞ!」と報告する……。
そんな、藤吉郎が思い描いていた『己の命を懸けた、最高にドラマチックな英雄的活躍』は。
明智光秀という男の、一年以上前からの圧倒的な【ロジスティクスの準備】と【舗装工事】によって、欠片も残らず完全に消滅させられてしまったのだ。
「うっ……ううっ……。こんなの、ただの荷物運びの遠足ではないか……!」
藤吉郎は、悔しさに唇を噛み切り、血を滲ませた。
勝てない。
知略でも、準備でも、何から何まで次元が違いすぎる。
「命を懸けた悲壮な撤退戦」すらも、あの男にかかれば、前もって道幅を広げ、要所に弁当を用意しておくという『事務的な安全確保』にすり替えられてしまう。泥水すすって這い上がる余地すら、与えてもらえないのだ。
「あいつは人間じゃない……。血も涙もない、悪魔の化身だ……!!」
己の存在意義を根底から否定された藤吉郎の目から、屈辱と絶望の涙がボロボロとこぼれ落ちた。
天才・秀吉の心に、明智光秀という絶対的な恐怖の象徴が、さらに深く、修復不可能なほどに刻み込まれたのだった。
光秀の前では、自分がどんなに知恵を絞っても、どんなに命を懸けようとも、すべては無駄に終わる。彼が敷いたレールの上を、ただみじめに歩かされるだけなのだと。
(……いつか、いつか必ず、この借りは返してやるぞ、明智光秀……!!)
握り飯を涙とともに飲み込みながら、秀吉は己の胸の奥底に、決して消えることのないドス黒い復讐の炎を燃やしていた。
秀吉最大のピンチにして最高の大舞台「金ヶ崎の退き口」を、光秀が「一年以上前からのインフラ整備と兵站」で完全に遠足に変えてしまうお話でした。
秀吉の「死ぬ気で頑張ろうとしたのに、道が舗装されててお弁当まで用意されてた絶望」を楽しんでいただけたでしょうか?(笑)
また、ここで家康に強烈な恩を売ることで、第4章以降のクーデターへの伏線としています。
次回は、(比叡山焼き討ちの回避と経済的兵糧攻め)を『第3章:第11話〜第15話』として作成予定です。
信長が魔王になろうとするのを、光秀が「現代の金融制裁」で血を流さずに解決する展開をお楽しみに!
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