第2話:猿の秘策と、家老の横槍(改稿版)
「上様!! この藤吉郎めに、墨俣の築城を――」
藤吉郎が、己の命と出世のすべてを乗せた言葉を放とうとした、まさにその瞬間。
「上様。すでにお悩みになる必要はございません。――墨俣の砦は、『完成』しております」
藤吉郎の甲高い声を完全に上書きし、その存在ごと圧殺するように。
信長のすぐ隣、上座に座っていた明智十兵衛光秀(俺)が、扇子をパチンと鳴らし、極めて平然とした、温度のない声で口を開いたのだ。
「……なに?」
信長が、怪訝な顔をして俺を見る。
隣で藤吉郎が「……は?」と、間の抜けた、潰れたカエルのような声を漏らした。
彼が喉まで出かかっていた言葉は、宙空で完全に停止し、行き場を失って消滅した。
軍議の間が、別の意味で完全に静まり返った。
誰も出陣すらしていない。木一本切ったという報告もない。柴田勝家たちが失敗し、砦が焼き払われて更地になったばかりだというのに。それなのに「完成している」とは、一体どういう意味なのか。
「十兵衛。貴様、狂ったか?」
信長の目が細められ、危険な光を帯びる。
「さきほど柴田が失敗し、砦の骨組みがすべて焼き払われて更地になったという報告を受けたばかりだぞ。完成しているとは、どういう意味だ。この期に及んで、つまらぬ冗談を申せば首が飛ぶぞ」
「明智殿! いくら上様のお気に入りとはいえ、戦場を愚弄するにも程がある! 我らが血を流して失敗した死地を、部屋の中で扇子を弄っているだけの貴様が、どうやって完成させたと言うのだ!」
柴田勝家が、怒りで顔を真っ赤にして立ち上がった。丹羽や佐久間も、俺のあまりの妄言に殺気立っている。
だが、俺は彼らの怒気を涼しい顔で受け流し、微塵も慌てることなく、床に広げられた地図の「墨俣」の位置に、扇子の先をトンと置いた。
「言葉の通りです、上様。物理的な『現地の組み立て』が終わっていないだけで、城を建てるための『準備』はすべて完了している、という意味にございます」
俺は立ち上がり、信長に向かって優雅に一礼した。
「準備だと?」
信長が眉を寄せる。
「はい。……現地で木を切り、カンナをかけ、のんびりと家を建てようとするから、敵に隙を突かれるのだと、先ほど上様も仰られましたね。まったくその通りです」
俺は扇子を閉じ、下座で間抜けな顔をして固まっている藤吉郎の方をチラリと一瞥した。
彼の顔は完全に血の気が引き、土気色に染まっている。彼が何を考え、何を言おうとしていたか、俺は【絶対記憶】で完璧に知っている。
悪いな、秀吉。
俺はあの日、立政寺でお前の策を見破った上で「先回りして喰う」と宣言した。お前は、「明智には蜂須賀小六ら川並衆のコネがないから、実行には移せないはずだ」とタカを括っていたのだろう。
確かに、当時の常識で「一晩で城を建てる」には、木曽川の急流を知り尽くした地元水軍(川並衆)のゲリラ的な協力が絶対に不可欠だ。
だからこそ、お前が泥水すすって考えた「丸太を流す」というアイデアは、当時としては画期的な天才の閃きだ。
だが、それはあくまで『素材を運ぶ方法』を変えただけに過ぎない。現地で丸太を土に突き立て、縄で縛って柵を作るという泥臭い作業が必要なことに変わりはないのだ。
俺の持つ「現代建築の概念」と「莫大な資本力」の前では、お前のその泥臭い策すらも『時代遅れのガラクタ』でしかないのだよ。
「上様。私は数ヶ月前から、今井宗久殿の莫大な資金を使い、尾張の安全な山中に巨大な『工房』を秘密裏に建設しておりました。そこで数百人の職人を雇い、すでに砦の『部品』をすべて切り出し、完璧に加工を済ませてあります」
「部品……?」
柴田勝家が首を傾げる。
「はい。……明日の朝、大軍を率いて墨俣の対岸までお越しください」
俺は、軍議の間にいる全員を見渡し、自信に満ちた声で宣言した。
「私が、上様と……ここにいる皆様の目の前で、瞬きする間に巨大な城が組み上がる『魔法』をお見せいたしましょう。……地元の野盗の力など借りずとも、ただの足軽たちだけで建つ魔法を」
「魔法、だと……?」
信長の口角が、ニヤリと吊り上がった。
魔王は、こういう常識外れの大風呂敷を何よりも好む。俺がこれまでに「経済封鎖」や「裏切り者の予言」など、絶対に不可能と思われることを涼しい顔でやってのけた実績があるからこそ、その言葉がただのハッタリではないと直感したのだ。
「面白い。そこまで大見得を切るからには、本当に見せてくれるのだろうな? もし失敗して俺に無様な恥をかかせれば、その首、即座に刎ねて塩漬けにするぞ、十兵衛」
「ええ。ご期待に沿えなければ、この首、煮るなり焼くなりお好きになさってください」
俺が涼しい顔で微笑むと、信長は「よし! 明朝、全軍で墨俣へ向かう!」と高らかに宣言し、軍議を締めくくった。
そのやり取りの間。
俺は背中に、焼け付くような、呪いのような視線を感じていた。
振り返ると、床に両手をついたままの藤吉郎が、幽鬼のような目でこちらを見つめていた。その目は血走り、小刻みに震えている。
(完成している……? 魔法……? 部品……!? 野盗の力など借りずとも、だと!?)
藤吉郎は、全身の血が逆流するような恐怖を必死に抑え込んでいた。
馬鹿な、ハッタリじゃ。あの地は敵に完全に囲まれているのだ。わしの考えた『川から丸太を流す』策以外に、敵に気づかれずに一瞬で城を建てる方法など、この世に存在するはずがない。明智の奴は、わしの策を盗んだ上で、上様をたぶらかすために無理な大風呂敷を広げただけだ!
だが。
彼の天才的な「野生の勘」は、すでに最大級の警鐘を鳴らしまくっていた。
目の前に立つ明智光秀というバグのような存在が、またしても自分の想像を絶する暴力的な手段で、己の「一生一代の閃き」を、根本から無残に踏み躙ろうとしていることを、本能が悟っていた。
(頼む……失敗してくれ! ハッタリであってくれ!! さもなくば、わしの出世の道は……わしは……!!)
農民から這い上がってきた天才の、血を吐くような祈りと絶望へのカウントダウンは、すでに始まっていた。
歴史の強制力(秀吉の出世イベント)を、歴史オタクの現代知識が完全なる上位互換で喰い尽くす。
常識を破壊する『一夜城建築ショー』の幕が、いよいよ上がる。
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