第4話:絶対記憶という名の神の力(改稿版)
(これは、単なる夢なんかじゃない。俺の精神と完全にリンクした、実在する「情報空間」だ……!)
果てしなく続く漆黒の空間。見上げるほど巨大な書架の前に立つ俺は、手にした『戦国期の気象データに関する研究』という分厚い専門書から脳に直接流れ込んできた情報の奔流に、激しい身震いを感じていた。
パラパラとページをめくるという物理的な動作をすっ飛ばし、本を開いた瞬間に、その一冊分の情報が「既に読み込んで完全に理解した記憶」として脳に定着する感覚。
【天文12年(1543年)秋。美濃国北部にて季節外れの記録的豪雨あり。長良川水系が広範囲で氾濫し、深刻な凶作となる――】
「一字一句、完璧だ……。文字情報だけじゃない、巻末に載っていたはずの複雑な等圧線の図表や、細かい降水量の数字まで、まるで今目の前で見ているかのように完全に思い出せる」
興奮で鼓動が早まるのを感じながら、俺はふと、ある極めて現実的な問題に直面した。
俺は顔を上げ、周囲を見渡す。右を見ても左を見ても、そして遥か上空を見上げても、視界の限界まで続く無数の本棚の列、列、列。
ここに収められているのは、俺が前世の二十数年間で目にしてきた活字と情報の「すべて」だ。その総量は、地方の公立図書館どころの騒ぎではない。数万、数十万という膨大なアイテムが収蔵されているはずだ。
(これだけの情報量……自力で歩き回って目当ての知識を探し出すなんて、物理的に不可能だ。本を分類するインデックスか、あるいは……『検索機能』のようなものはあるのか?)
現代のインターネットに慣れきった情報化社会の住人として、膨大なデータには検索エンジンが必須であることは身に染みてわかっている。
試しに、俺はこの漆黒の空間の中で、目を閉じて強く念じてみた。
現代のパソコンでキーボードを叩くように、あるいはスマートフォンの検索窓に単語を入力するように、頭の中でキーワードを明確に設定し、脳内に構築する。
『検索クエリ……「1528年」「大永8年」「美濃国」「気象データ」「米の収穫量」「相場」!』
AND検索の要領で条件を絞り込み、情報の抽出を命じる。
すると――空間全体が微かに振動したかと思うと、無数の巨大な書架の中から数十冊の本や巻物がパァッと黄金色に発光した。
それらが棚からフワリと抜け出し、俺の目の前の空中でシュルシュルとほどけ、一つに融合していく。
そして、ポンッという小気味よい電子音のような響きと共に、一枚の羊皮紙のような半透明のパネルが、俺の目の前にホログラムとして浮かび上がった。
「うおっ……!?」
俺は驚きで目を見開いた。
空中に浮かんだその光のパネルには、ただ文章が羅列されているわけではなかった。過去の歴史書、公家の日記、寺社の記録、現代の気象データから自動的に抽出された「大雨の時期」「旱魃の記録」「その年の米の相場」が、現代のエクセルのように綺麗に表計算された状態で、美しくリスト化されて表示されていたのだ。
【大永8年(1528年) 美濃国気象・経済データ統合結果】
・春季:例年より気温低く、日照時間不足。
・夏季:7月上旬(旧暦)に長良川上流にて局地的な豪雨。
・秋季:収穫量は平年比マイナス15%。
・米相場:秋以降、美濃国内で一石あたり〇〇文まで高騰。隣国・尾張からの流入により冬には〇〇文で安定。
・参照史料:『言継卿記』『美濃国諸旧記』『日本気象史料』他
「……すげえ。完璧なサマリー(要約)だ」
俺は、感嘆の深いため息を漏らした。
これは、現代のインターネット検索エンジンと、優秀なAIアシスタントを、脳内に直接インストールしているようなものだ。情報の海から必要なものだけを瞬時に引き上げ、最も分かりやすい形で提示してくれる。
GoogleもWikipediaも存在せず、紙の書物すら超高級品であるこの戦国時代において。
俺の脳内には、過去と未来を見通す「神のデータベース」が備わっているのだ。
戦国時代において、「情報」とは単なる知識ではない。命であり、金であり、そして強大な権力そのものだ。
「明日、雨が降るか」「来年、飢饉が来るか」「敵の武将がいつ裏切るか」。
それらを事前に100%の精度で知ることができるのなら、どうなる?
例えば、長良川が氾濫する年を事前に知っていれば、あらかじめ安全な高台に備蓄を移し、治水工事を装って自分の領地の被害だけを防ぐことができる。
他国が凶作になる年を知っていれば、その前年に米を安く買い占めておき、値段が十倍に跳ね上がったタイミングで売り捌いて、莫大な富を一瞬で築き上げることができる。
天候を言い当ててみせれば、迷信深いこの時代の人々は、俺を「神仏の使い」や「天の理を知る預言者」として崇め、狂信的な忠誠を誓うだろう。
俺は興奮に身を震わせながら、次々と検索をかけた。
農業や気象だけではない。俺が前世で狂ったように読み漁った「技術」のデータだ。
(『検索……「火薬」「硝石」「人工精製」「作り方」!』)
ポンッ、と新たなパネルが展開される。
そこには、日本には一切産出しないはずの火薬の原料「硝石」を、人間の糞尿や家畜の排泄物、土から人工的に作り出す『硝石丘』の製法が、化学式のプロセスから発酵に必要な温度管理に至るまで、図解付きで完璧に表示されていた。
(よっしゃあ! これで、クソ高い南蛮の商人から火薬を輸入しなくても、タダ同然のウンコと土から無尽蔵に火薬を量産できる! 戦の形を根本からひっくり返す最強の軍事チートだ!)
さらに思考を加速させる。
(『検索……「複式簿記」「借方と貸方」「ルカ・パチョーリ」「中世商業」!』)
パネルが切り替わる。
戦国時代のどんぶり勘定な財政管理を過去のものにする、現代の資本主義の根幹『複式簿記』のシステム。これを使えば、国中の金の流れを1円(一文)単位で完璧に把握し、不正を暴き、他国の経済を裏から支配することができる。
(『検索……「石見銀山」「灰吹法」「坑道図」!』)
パネルには、のちに世界を動かすことになる日本の巨大な銀鉱脈の立体図面と、銀を大量に抽出する最新の化学精錬法が鮮明に映し出された。
「……ははっ、ははははは!」
次々と脳内に展開される、チート級の知識の奔流。
俺は漆黒の精神空間の中で、誰に憚ることもなく、腹の底から歓喜の笑い声を上げた。
絶望の底で、ただ死の運命を待っていただけの無力な赤ん坊。
だが天は、そのか細い肉体に、この理不尽な乱世を完全にコントロールするための、究極の兵器を与えてくれたのだ。
この知識を使えば、俺は歴史の波に飲まれるだけの木の葉ではない。
波そのものを起こし、海流を操る「神」にすらなれる。
悲惨なバッドエンド? 秀吉にボコボコにされて竹槍で死ぬ?
笑わせるな。俺がそんな真似を許すはずがない。
漆黒の脳内図書館の中で、俺は己の震える両手を強く、強く握りしめた。
「待っていろ、戦国時代。俺は明智光秀としての悲惨な運命に、大人しく従ってやるつもりは毛頭ない。俺の持てるすべての知識と、この絶対記憶のチートを使って……この歴史の盤面を、俺の都合のいいようにすべて書き換えてやる……!」
本能寺の変を回避するだけではない。適当な田舎で隠居するつもりもない。
やるからには、徹底的にだ。
魔王も、野猿も、マムシも。すべてを俺の知識で出し抜き、利用し尽くし、永遠の覇権をこの手に握ってみせる。
壮大な歴史改変のシナリオが、情報空間に立つ「明智十兵衛光秀」の脳内で、凄まじい熱量と共に産声を上げたのだった。
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