第12話:神輿の価値と、明智光秀の価値(改稿版)
「天下の将軍など、俺にとっては京へ上るための便利な通行証に過ぎん。問題は、それを運んできた貴様だ。……貴様自身に、この俺の隣に立つだけの『価値』はあるのか?」
尾張国(愛知県)の清洲城。
上座に腰を下ろす織田信長の、氷のように冷たく、そして魂の底まで見透かすような眼光が、俺(明智光秀)を真正面から射抜いていた。
広間の空気は、極限まで張り詰めていた。
左右に控える柴田勝家、丹羽長秀、滝川一益といった織田家が誇る歴戦の猛将たちの間から、ギリギリと肌を刺すような濃密な殺気が立ち上っている。
彼らの怒りも無理はない。彼らは皆、信長の父・信秀の代から、あるいは信長が「大うつけ」と嘲笑われていた不遇の時代から、文字通り泥水と血をすすり、幾度も死線を潜り抜けて織田家を支えてきた自負がある。
そこへ突然、美濃や越前をフラフラしていた得体の知れない浪人が現れ、「将軍を連れてきた」というだけの手柄で、信長の隣に立とうとふんぞり返っているのだ。彼らからすれば、他人の威光を傘に着ただけの、腹立たしい詐欺師にしか見えないだろう。
(……史実の明智光秀なら、ここで言葉に詰まるか、将軍・義昭の権威を必死に盾にして言い逃れようとしたかもしれないな)
俺は心の中で、冷静に歴史のデータを分析していた。
史実において、光秀はこの時期、足利義昭の「幕臣」として振る舞いながら、同時に織田信長の「家臣」としても動くという、極めて不安定な『二重スパイ(ダブルスタンダード)』のような立ち位置に甘んじてしまった。
将軍の権威と、信長の武力。その両方の間に立ち、板挟みになりながら必死に両者の関係を取り持とうと奔走した。
だが、その結果はどうだ。義昭と信長が対立した際、光秀は限界まで精神をすり減らし、最終的には義昭を切り捨てて信長に完全服従せざるを得なくなった。最初から立ち位置を誤っていたからこそ、無用な苦労を背負い込んだのだ。
だが、俺は違う。
将軍・義昭の威光などに、一ミリたりとも寄りかかるつもりはない。
俺は閉じていた扇子を右手に持ち、広間の冷たい床にピタリとつけ、信長の凄まじい威圧感を正面から受け止めながら、フッと口角を上げた。
「おっしゃる通りです、上様」
俺の口から出た言葉に、周囲の猛将たちが怪訝な顔をした。
「足利の将軍家など、今やただの古びた看板に過ぎません。……兄を殺され、大和の寺で暗殺に怯えて震えていた義昭様には、もはや自力で天下を統べる器も、武力も、一文の銭すらありませんでした」
俺は、自分が連れてきた「金ピカの神輿」の価値を、自分自身の口で容赦なく、完全に否定し去ったのだ。
「き、貴様ッ! 御前で公方様を愚弄するか! それほどの不敬を口にしながら、上様に恩を売ろうなどと……!」
たまらず柴田勝家が怒鳴り声を上げ、腰を浮かせた。
だが、信長は手を上げて勝家を制し、面白そうに目を細めた。古い権威を何よりも嫌う信長にとって、俺の身も蓋もない将軍批判は、むしろ心地よい響きとして耳に届いたはずだ。
「続けよ、十兵衛」
信長の促しに、俺は涼しい顔で頷いた。
「義昭様は、確かに上様が京へ上り、天下に号令をかけるための『絶対的な大義名分(通行証)』としては極上の道具です。だからこそ、私は堺の商人たちから莫大な資金を引き出し、義昭様を金ピカに飾り立て、一切の苦労をさせずに『私がいないと何もできない都合の良い神輿』へと完全に作り変えてから、上様の元へお持ちしました」
俺は扇子で自分自身を指し示した。
「神輿は、あくまで天下布武の初期段階をスムーズに進めるための『道具』に過ぎません。上様が本当に求めておられるのは、京を制圧した後……この日の本を完全に平定し、新たな秩序を創り上げるための『真の力』のはずです。……そして、その力こそが、この明智十兵衛光秀自身の『価値』なのです」
「……ほほう。神輿を担いできた手柄ではなく、お前自身に、天下を平定する力があると申すか」
信長が身を乗り出し、俺を射抜くように睨みつけた。
「大きく出たな。俺の家臣たちは皆、一騎当千の猛将ぞ。彼らを差し置いて、お前一人にそれほどの価値があると、どう証明する気だ?」
俺は周囲の猛将たちを一瞥した。
柴田勝家、丹羽長秀、滝川一益。確かに彼らは優秀だ。だが、彼らの思考はあくまで「戦国武将」の枠を出ていない。
「ここに居並ぶ皆様方が、比類なき猛将であり、織田家を支える強固な柱であることは疑いようもありません。……ですが、これからの戦いは、野戦で槍を振り回し、敵の首を多く獲った者が勝つという、古い時代のルール(力押し)では通用しなくなります」
俺は静かに、しかし断固たる声で告げた。
「上様が上洛を果たせば、周囲の巨大な大名たち――甲斐の武田、越後の上杉、西の毛利、そして大坂の石山本願寺といった勢力が、必ず上様を『共通の敵』とみなし、結託して牙を剥きます。いかに織田軍が精強であろうと、四方八方から同時に攻められ、泥沼の戦いに引きずり込まれれば、必ずどこかで限界が来ます」
史実の『信長包囲網』。それは織田家を何度となく滅亡の淵へと追いやった最悪の事態だ。
「これからの天下布武に必要なのは、敵と正面から戦って血を流すことではありません。敵が武器を持つ前に、その資金源と兵站を絶ち、内側から崩壊させる『圧倒的な経済力』。……そして、敵が牙を剥くタイミングと心理を完全に読み切り、危機が起こる前にその芽を摘み取る『未来を見通す目』です」
俺は扇子をパチンと広げ、信長の目を真っ直ぐに見返した。
「上様。武力で敵を倒す将は、ここにいくらでもおります。……しかし、血の一滴も流さず、戦う前に敵を盤面上で完全に『詰ませる』ことができる知略を持つ者は、この日の本で、私一人だけです。それこそが、私が上様の隣に立つべき唯一無二の価値にございます」
静寂。
大広間の空気が、俺の放った常軌を逸したスケールの豪語によって、完全にピタリと止まった。
武将たちは、俺の言葉のあまりの不遜さに怒るべきか、それともその言葉の裏にある底知れぬ自信に戦慄すべきか分からず、言葉を失っていた。
戦わずして勝つ。経済で敵を干し殺す。未来を見通す。
彼らの理解の範疇を完全に超えた、数百年先の現代の「マクロ軍事戦略」の概念を、俺は真正面から叩きつけたのだ。
「……くっ、ふはははは!」
沈黙を破ったのは、信長の口から漏れた低い笑い声だった。
信長は、俺の不遜な態度に激怒するどころか、むしろ待ち望んでいた『未知の怪物』に出会えた歓喜に肩を震わせていた。
彼は古い権威や常識を憎悪している。だからこそ、既存の戦術論を鼻で笑い、新しい合理性で天下を獲ると豪語する俺という存在が、たまらなく面白かったのだ。
さらに言えば、彼の斜め後ろに控える正室・帰蝶が、長年にわたって「私の兄(十兵衛)は、天の理を知る恐ろしい男です」と吹き込み続け、彼の中に『明智光秀というジョーカー』に対する強烈な期待値を極限まで高めておいてくれたことも大きい。
「……ふははは! 言うではないか、十兵衛! この俺の武将たちを前にして、戦う前に敵を詰ませるだと! 己をそこまで高く売り込むからには、よほどの『現物(証拠)』を持ってきたのだろうな?」
信長は床几から立ち上がり、俺を見下ろしながら、獰猛な笑みを浮かべて手を差し出した。
「見せてみろ。貴様のその『未来を見通す目』とやらが、この先の俺の天下布武に、どのような危機が迫り、それをどう潰すというのかを。……もしそれがただのハッタリであれば、今ここで貴様を斬り捨て、将軍だけを奪い取ってやる」
「ご安心を。ハッタリなどという安いものは、持ち合わせておりません」
俺は涼しい顔で一礼し、懐に手を入れた。
そして、上質な和紙でできた一通の巻物を、ゆっくりと取り出した。
史実の悲惨な運命を回避し、魔王を世界の覇者へとプロデュースするための最強のカード。
俺の脳内にインストールされた【絶対記憶(歴史データ)】を完全に言語化した、悪魔の予言書。
「私が上様にお持ちした、一つ目の最高の手土産。……これからの上様の歩む道に必ず立ちはだかる、『未来の裏切り者リスト』にございます」
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