第8話:超VIP待遇の逃避行(改稿版)
「……おお、なんという乗り心地じゃ。まるで雲の上に浮かんでいるようではないか」
大和国から北へ向かう闇夜の街道。
その悪路を進む駕籠の中で、覚慶(のちの足利義昭)は感嘆の声を漏らし、敷き詰められた南蛮渡来の柔らかなビロードのクッションを愛おしそうに撫でていた。
本来、戦国時代の駕籠というものは、ただ人が担いで歩くための箱にすぎない。舗装されていない石ころだらけの山道や街道を進めば、その振動は乗っている者の腰や内臓にダイレクトに響き、半日も乗れば全身が激痛に襲われる代物だ。
だが、この駕籠は違う。
俺が堺の南蛮商人から得た知識と、美濃の豊富な資金力を投じて特別に作らせた『サスペンション(板バネ)機構付きのステルス・駕籠』である。
外観こそ質素な漆塗りで目立たないようにカモフラージュしているが、内部は最高級の絹の座布団とクッションで埋め尽くされ、路面の激しい揺れを底面の板バネが完全に吸収する。
暗殺の恐怖で何日も眠れていなかった覚慶は、そのゆりかごのような快適な揺れに身を委ね、出発してわずか一刻(約二時間)ほどで、いびきをかいて深い眠りに落ちてしまった。
俺はその駕籠の隣で愛馬を進めながら、夜空を見上げて冷ややかにほくそ笑んだ。
史実において、この夜の覚慶の逃避行は、文字通り「地獄」だったはずだ。
細川藤孝や一色藤長といった忠臣たちは、追手の目を誤魔化すために、次期将軍となるべき高貴な彼に、ボロボロの農民の衣服を着せ、笠で顔を隠させた。
駕籠を用意する金すらなく、暗い夜道を提灯も持たずに、己の足だけで歩かせたのだ。少しでも物音がすれば三好の追手かと怯え、息を殺して茂みに隠れ、雨が降れば泥水をすすりながらの、決死のサバイバル。
その極限の恐怖と疲労が、彼から「将軍としての誇り」を削り取り、惨めで疑い深いコンプレックスの塊へと変貌させたのだ。
だが、今の彼には、泥や雨粒ひとつ、跳ねることはない。
駕籠の周囲には、俺が破格の報酬で雇い入れた百戦錬磨の傭兵たちが数十名、鉄壁の陣形で付き従っている。さらにその外周の闇の中には、伊賀のトップクラスの忍びたちが放たれ、完璧な索敵を行っている。
もし三好の追手や野盗が近づいてこようものなら、覚慶が目を覚ます前に、音もなく首を刈り取って闇に葬り去る手はずになっていた。
俺の提供する『超VIP待遇の逃避行』の真骨頂は、道中の安全確保だけではない。
最も重要なのは――『宿と食事』の完璧な手配である。
「覚慶様。朝になりました。本日はこちらの宿をご用意いたしました」
翌朝、最初の宿場町に到着するや否や、俺は駕籠の幕を上げ、寝ぼけ眼の覚慶を案内した。
「ここは……随分と立派な旅籠ではないか。他のお客の姿が見えぬが?」
「ええ。貴方様の安全を確保するため、私が事前に『金で宿ごと完全に貸し切り』にしております。他の客は一人たりともおりませんし、宿の者には貴方様の素性を一切知らせておりません。どうぞ、ごゆっくりとお寛ぎください」
「か、貸し切り……!? このような大店を丸ごとだと!?」
覚慶は目を丸くしたが、俺は涼しい顔で彼を一番奥の上座敷へと通した。
「さあ、まずは温かいお湯を張らせております。何日も沐浴できず、さぞお気持ちが悪かったでしょう。存分に汗と恐怖を洗い流してください」
「お、お湯……!」
覚慶の顔が、パァッと明るく輝いた。
逃亡者が温かい風呂に入れるなど、戦国の世では絶対にあり得ない贅沢だ。史実の彼らは、冷たい川の水で顔を洗うのが精一杯だったのだから。
湯浴みを終え、上質な木綿の寝巻きに着替えてさっぱりとした覚慶が部屋に戻ってくると、そこにはすでに、彼の目を疑うような『極上の膳』が並べられていた。
「さあ、お食事をどうぞ。本日は明石の海で獲れた鯛の塩焼きと、柔らかな鴨の肉。それに、丹波の黒豆と、白米の粥でございます。……さらに食後には、南蛮渡来の甘い菓子『かすていら』と、葡萄酒をご用意いたしました」
「こ、これは……なんという……!!」
覚慶は、湯気を立てる膳を前にして、両手をワナワナと震わせた。
彼は幼い頃から仏門に入り、寺で肉や魚を禁じられた質素な「精進料理」ばかりを食べてきた男だ。
その上、ここ数日は暗殺の恐怖で水すらろくに喉を通らなかった。そこへ、現代の栄養学と美食の知識を持つ俺が、堺から直輸入させた最高級の食材と、南蛮の強烈な甘味とアルコールをぶち込んだのである。
「遠慮なさらず、お召し上がりください。貴方様の身体には、今、生きるための活力が何よりも必要なのです」
俺が勧めると、覚慶は震える手で箸を取り、まずは鴨の肉を口に運んだ。
「――っ!!」
その瞬間、覚慶の目から大粒の涙がボロボロとこぼれ落ちた。
「う……美味い……! なんと美味いのだ……! 寺の汁物とは全く違う、この肉の深い味わい……! 鯛の身の柔らかなこと……!」
彼はもはや、将軍の弟としての作法も忘れ、泣きながら貪るように肉と魚を口に放り込んだ。
そして、食後に供された『かすていら』の、卵と砂糖が織りなす暴力的なまでの甘さと、葡萄酒の芳醇な香りが、精進料理で薄味に慣れきっていた彼の味覚を完全に破壊し、贅沢の沼へと叩き落とした。
「甘い……! 口の中でとろけるようじゃ! この赤い酒も、飲むと身体の芯から温まり、血の巡りが良くなるのが分かる! 恐怖が、不安が……すべて溶けていくようじゃ……!」
ほろ酔い加減になり、頬を真っ赤に染めた覚慶は、満ち足りた吐息を漏らしながら、俺を神仏でも見るような目で仰ぎ見た。
「十兵衛よ……お前は魔法使いか何かか? 何から何まで至れり尽くせりではないか。なぜ一介の浪人の身で、これほど神がかった手配ができるのだ?」
「すべては、貴方様を再び天下の将軍として、京の都へお連れするための準備にすぎません」
俺は恭しく頭を下げ、へりくだった態度で微笑んだ。
「私がこれだけの贅沢をご用意するのは、貴方様に『惨めな思い』をさせないためです。次期将軍たるお方が、貧しさに身を縮め、他人に頭を下げるようなことがあってはなりません。……私のことは、金に糸目をつけない『便利な小間使い』と思っていただければ結構です」
「便利な小間使いなどと……! お前は私の命の恩人であり、最高の忠臣じゃ! お前がいれば、私は何も恐れることはない!」
覚慶は上機嫌で葡萄酒の杯を干し、ふかふかの布団へと倒れ込んだ。
(よし。完璧だ)
俺は、いびきをかいて眠り始めた覚慶を見下ろし、内心でガッツポーズを決めた。
これで彼は、自立して困難を乗り越える気力すら失い、完全に「俺が提供する金と快適な環境」に依存するだけの存在に成り下がった。
俺の意図した通り、彼を徹底的に甘やかし、骨抜きにして『都合の良い金ピカの神輿』に改造する洗脳作業は、順調に進んでいる。
それから数日後。
俺たちは、追手の影すら一度も見ることなく、汗ひとつかかないまま、目的地の越前国(福井県)へと到着した。
史実の悲惨な放浪とは似ても似つかない、何一つ不自由のない豪華旅行の終着点である。
越前の朝倉義景の領内にある安全な寺院(安養寺)に落ち着くと、ここでも俺の『資本主義の暴力』が遺憾なく発揮されていた。
俺は事前に、堺の商人ルートを通じて寺の住職に莫大な寄進(裏金)を済ませていたのだ。そのため、住職は覚慶を最高級の賓客として迎え入れ、何から何まで俺の指示通りに動く完璧な「接待の舞台」が整っていた。
ここまでの道中で、栄養価の高い美味いものを食べ、恐怖から解放されて十分な睡眠をとった覚慶の顔色は、見違えるほど血色が良くなっていた。
痩せこけていた頬には程よく肉がつき、寺に幽閉されていた頃の怯えた面影は、もはやどこにもない。
そして吉日。
彼はこの寺で長く伸ばしていた髪を整え、還俗(げんぞく=僧侶から俗人に戻ること)の儀式を行い、ついに名を『足利義昭』と改めた。
「十兵衛……お前には、何と礼を言ってよいか分からぬ」
儀式を終え、上等な武家の着物を身にまとった義昭は、真新しい銅鏡に映る健康的な己の姿を見つめた後、俺の両手を固く握りしめた。
「お前の手配の見事さ、まるで極楽浄土の夢を見ているようであった。お前がいなければ、私は今頃、野垂れ死にしていたであろう。お前は私の、最大の恩人じゃ」
「もったいなきお言葉にございます、義昭様」
俺が深く頭を下げた、その直後だった。
「……だが」
義昭はふと視線を落とし、先ほどまでの高揚感が嘘のように、肩をすぼめて卑屈な笑みを浮かべた。
「私は次期将軍と名乗りはしたが……今は領地もなければ、家臣もいない。一文無しの流浪の身じゃ。これほどの歓待と忠義をお前から受けながら、お前に与える『恩賞(金品や領地)』が何一つない……。本当に、不甲斐ない主で、すまぬな……」
来た。これだ。
これこそが、史実において彼を苦しめ続けた「自分には実力も金もない」という強烈な『負い目』と『コンプレックス』の吐露である。
自分が何も持っていないからこそ、助けてくれた者たちが「いずれ自分を見限り、利用するだけ利用して捨てるのではないか」と疑心暗鬼に陥り、周囲を疑い続けるトラブルメーカーへと歪んでいく、その最大の原因。
史実の細川藤孝たちは、貧乏な幕臣であったため、この義昭のコンプレックスを埋めてやることができなかった。
だが、今の俺は違う。俺の懐には、このコンプレックスを跡形もなく吹き飛ばす、最強の【解決策】が唸りを上げているのだから。
俺は待ってましたとばかりに、心の中で高らかに哄笑を上げながら、顔には極上の忠臣の笑みを貼り付けて、ゆっくりと口を開いた。
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