第5話:十三年の雌伏と、次なる神輿(改稿版)
和泉国・堺に拠点を構えてから、実に『十三年』の歳月が流れた。
時は永禄8年(1565年)。
俺と熙子は、すっかり見知った顔となった豪商・今井宗久の案内で、堺の港に立ち並ぶ南蛮商人たちの巨大な倉庫群を視察していた。
この十三年間、俺は宗久と共に莫大な資金を投じ、秘密工房での基礎研究や日本の職人たちの技術育成に、途方もない時間と労力を注ぎ込んできた。未来の設計図を現実の兵器にするためには、職人の手という土台を育てる『途方もない年月』が絶対に必要だったからだ。
「十兵衛様、ご覧ください! こちらのガラスの器、光に透かすとまるで虹のように色が変わりますわ。それに、この甘い香りのする石の塊(石鹸)も、なんとも不思議な手触りです」
南蛮船からもたらされた最新の珍品の数々に、二十代半ばになり大人の女性の美しさを増した熙子は、出会った頃と変わらず目を輝かせ、少女のように顔を綻ばせている。
ビロードの織物、精巧な装飾が施された懐中時計、異国の香辛料、そして『薬』。
「明智様。南蛮人は鉄砲だけでなく、こうした珍しい薬や医療の知識も次々と持ち込んでおります。我々の持つ灰吹銀の力をもってすれば、彼らの持つ秘薬や最新の技術を、根こそぎ買い占めることも可能でございますが」
宗久が、恭しく俺に問いかけてくる。
だが、俺はガラスの器を手に取り、ふっと息を吐いて首を横に振った。
「これまでの方針通り、買い占めるだけでは駄目だ、宗久殿」
「……と、仰いますと?」
「金で買っただけの技術は、金が尽きればそこで終わる。あるいは、南蛮本国でさらに新しい技術が生まれれば、我々は常に『遅れた旧式の兵器』を高い金で買わされ続けるだけの、永遠の搾取の対象にされる」
俺の脳内にある歴史データが、それを証明している。
大航海時代の白人列強たちは、圧倒的な武力と技術の差を見せつけ、有色人種の国々を次々と植民地にしてきた。日本がその毒牙から逃れられたのは、奇跡的な地理的要因と、鉄砲を驚異的な速度で「国産化」し、世界最大の銃保有国になったからに過ぎない。
「私は、南蛮の技術を『買う』ことには興味がない。私が欲しいのは、その技術を『解析し、盗み、自国でさらに発展させるための土壌』だ。この十三年やってきたことを、さらに加速させる」
俺は、南蛮人の倉庫群から視線を外し、堺の町にひしめく日本の職人たちの長屋の方角を指差した。
「宗久殿。堺の港に建設した『秘密工房』をさらに拡張しろ。そして、日の本中から腕利きの職人たちを、これまで以上に金に糸目をつけずに集め続けるのだ。鉄を打つ『鍛冶師』、青銅を型に流し込む『鋳物師』、火薬の『薬師』、そして計算と図面を引く『算術師』たちをな」
「いいか、宗久殿。俺が作るべきは、ただの未来の兵器じゃない。……その兵器を、自分たちの手で生み出し、修理し、さらに進化させることができる『人間の群れ』だ」
俺の言葉に、宗久は深く頷いた。
「技術は、一人の天才が設計図を引いただけで完成するものではない。百人の、いや千人の名もなき職人たちが十三年かけて知恵を出し合い、失敗を繰り返し、技術を継承することで、ようやくこの国に『根付く』土台ができたのだ。……だからこそ、日本の職人たちに南蛮の技術を徹底的に分解・吸収させ、我々独自の近代工業を立ち上げる」
俺は扇子をピチンと閉じ、宗久に力強く命じた。
「引き続き、南蛮の技師たちを大金で雇い、日本の職人たちの『教師』とせよ。そして、彼らが失敗しても絶対に罰するな。失敗はデータだ。十分な給金と腹一杯の飯、そして最高の環境を与え、彼らの技術を限界まで引き上げるのだ」
「……ははっ!! 恐れ入りましてございます。明智様のその百年先を見据えたお言葉、この宗久の胸に深く突き刺さりました」
宗久は、もはや商人としての損得勘定を超え、真の国家改造のビジョンに魂を震わせながら、深く平伏した。
「十兵衛様……」
傍らでそのやり取りを聞いていた熙子が、尊敬と、底知れぬ愛おしさを込めた瞳で俺を見つめていた。
「十兵衛様の思い描く世界は、本当に誰も見たことのない、でも……誰もが自分の手で物を作り、笑顔で暮らせる、とても温かい世界なのですね」
「俺はただ、自分の都合のいいように世界を塗り替えたいだけの、身勝手な歴史オタクさ。だが……お前が生きる世界を、野蛮で退屈なままにしておくつもりはない」
熙子はポッと頬を染め、嬉しそうに俺の手を握り返してくれた。
さて。十三年という雌伏の歳月をかけ、堺での「経済」と「技術(兵站)」の基盤作りは、これで完璧に軌道に乗った。
灰吹法の銀で資金を潤し、石炭(黒い石)の利権を握り、秘密工房で職人の群れを育てる。
いずれ織田信長が天下布武の旗を掲げて上洛してきた時、俺は彼に「絶対的なロジスティクスと近代兵器の束」をプレゼントし、彼を俺のプロデュースの盤上から絶対に逃げられないようにするのだ。
(だが、その前に……信長を『正当な天下人』として中央に迎え入れるための、もう一つの重要なピースが必要だ)
その日の夕刻。
堺の屋敷の奥座敷で寛いでいた俺の元へ、京へ放っていた伊賀忍の一人が、音もなく縁側に姿を現した。
「申し上げます。……京の都にて政変が勃発いたしました。三好三人衆と松永久秀の手により、第十三代将軍・足利義輝様が暗殺されたとのこと。そして……」
忍びは、俺が事前に予測していた通りの報告を口にした。
「次期将軍となるべき血筋であられる義輝様の実弟、興福寺一乗院の『覚慶』様——のちの足利義昭様が、松永・三好方の手によって大和国(奈良)にて軟禁状態に置かれたとのことにございます。暗殺されるのも時間の問題かと……」
俺の口角が、自然と冷酷な弧を描いた。
歴史が、俺の『絶対記憶』のデータ通りに、そして俺の都合の良いように動き始めたのだ。
「ご苦労。……いよいよだな」
戦国の世を治めるには、圧倒的な武力と経済力が必要だ。だが、それだけでは「ただの成り上がりの強盗」として、周囲の古い権威を持つ大名たちから一斉に叩かれる。
信長という規格外の天才を、抵抗なく中央の玉座に座らせるためには、誰もがひれ伏す「古い権威」の殻を被せる必要があるのだ。
それが、室町幕府という『大義名分』。
そして、そのトップである将軍・足利義昭という『次なる神輿』である。
「熙子、支度をしてくれ。俺たちはこれより、大和国・一乗院へと向かう」
俺が立ち上がりながら告げると、熙子は不思議そうに首を傾げた。
「大和国へ? それから、どうなさるのですか?」
「幽閉されている次期将軍を救出する。そして彼を、沈みゆく泥舟である越前の朝倉義景の元へ一時的に連れて行き、そこで完全に囲い込む」
史実における明智光秀は、越前で命からがら逃げてきた足利義昭と出会い、彼を奉じて織田信長に引き合わせることで、歴史の表舞台へと躍り出た。
史実の光秀は、義昭の使い走りのような立場で泥臭く奔走した。だが、莫大な資金と未来の知識を持つ俺は違う。
俺は、幽閉された一乗院から彼を『札束の暴力』でスマートに救出し、そのまま次期将軍の『最大のスポンサー(パトロン)』となり、彼を俺の手のひらの上で転がし、完全に飼い慣らすのだ。
「あの世間知らずの公方様(将軍)に、私の圧倒的な資本と未来の知識の差を見せつけ、私が居なければ飯も食えない身体に調教してやる」
俺の腹の底から湧き上がる悪党のような笑みに、熙子は呆れたように溜息をつきながらも、「また十兵衛様の悪い癖が出ましたわね」と、楽しそうに笑ってくれた。
歴史の裏側を支配するための経済・技術インフラの構築を終えた明智光秀は、ついに天下を動かす最大のジョーカー(足利義昭)を手に入れるべく、暗殺の危機が迫る大和国へとその歩みを進めたのである。
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