第2話:黄金の自治都市・堺と、鉄の船の幻影
越前の朝倉家という「沈みゆく泥舟」を早々に見限った俺と熙子は、旅の途中で駕籠から切り替えた特注のサスペンション馬車に乗り込み、次なる目的地へと向かっていた。
俺の現代知識を注ぎ込み、鋼鉄の板バネ(リーフスプリング)と生ゴムのタイヤを装着したこの馬車は、戦国時代の荒れた悪路を走っているとは思えないほど快適だった。
車内には水鳥の羽毛を詰めたビロードのクッションが敷き詰められ、振動は極限まで殺されている。長旅の疲労など微塵も感じさせない、文字通りの『走る高級宿屋』だ。
「……見えてきたぞ、熙子。あれが日の本で最も金と情報が集まる場所。和泉国の独立自治都市――『堺』だ」
俺が馬車の小窓の御簾を上げると、熙子が「わあ……!」と感嘆の声を漏らし、身を乗り出した。
そこには、俺たちがこれまで見てきた美濃や越前の城下町とは、全く異質の光景が広がっていた。
町の周囲には、戦国大名からの侵略を防ぐための深く広大な『環濠』が張り巡らされ、堅固な櫓が等間隔でそびえ立っている。
武士の支配を受けつけず、豪商たちによる合議制(会合衆)で運営される、黄金の自治都市。のちに西洋の宣教師ルイス・フロイスが「東洋のベニス」と評した、日本最大の商業ハブである。
町の中へ足を踏み入れると、その活気はさらに凄まじいものとなった。
道幅は広く整備され、行き交う人々は皆、色鮮やかで上等な小袖を着ている。至る所から、鉄を打つ甲高い音や、商売の威勢の良い声、そして『ダァン!』という火縄銃の試し撃ちの重低音が絶え間なく響いてくる。
「十兵衛様、あちらの方々……お召し物も、お顔立ちも、我々とは随分と違いますわ!」
熙子が、驚きに目を丸くして指差した先には、フリル付きのシャツにビロードの南蛮外套を羽織った、鼻の高く彫りの深い異国人たちの姿があった。ポルトガルやスペインからやってきた南蛮商人や、宣教師たちだ。
「あれが南蛮人(ヨーロッパ人)だよ。彼らは、俺たちが想像もつかないほど遠い、海の向こうからやって来たんだ」
「あの海の向こうから……。では、あの巨大な船で?」
馬車が港に近づいた時、熙子の視線は、海に浮かぶ一つの巨大な影に釘付けになった。
そこには、日本の木造船(安宅船など)とは明らかに構造が異なる、三本の巨大な帆柱を備えた南蛮船――『キャラック船』が停泊していた。
船体は丸みを帯びて大きく膨らみ、船首と船尾が城のように高くそびえ立っている。船の側面には、真っ黒な大砲の筒がいくつも覗いていた。
「信じられないほど大きな船ですわ……。あれなら、どんな嵐でも沈むことはありませんね」
熙子が感嘆の溜息を漏らすが、俺は冷徹な歴史オタクの目でその船を細部まで観察し、小さく鼻で笑った。
「いや、あれでもまだ小さすぎる。それに、いくら大きく見えても、所詮は『木』を組み合わせただけの脆い箱だ。波に揺られれば船底には水が染み込み、船食い虫に木材をボロボロにされる。何より……あの船は『風』が吹かなければ、ただ海に浮かぶ巨大なゴミにしかならない」
当時の大航海時代を切り拓いた帆船は、確かに人類の歴史を変えた偉大な発明だ。
だが、現代の知識を持つ俺からすれば、風向きと海流に完全に依存し、無風地帯に捕まれば何日も海の上で立ち往生する旧式の乗り物に過ぎない。立ち往生すれば、たちまち水と食料が腐り、船員たちは壊血病に罹って次々と歯茎から血を流して死んでいくのだ。
「風がなければ動けない……。では、風がない時はどうするのですか?」
「死を覚悟して祈りながら、風が吹くのを何日も待つしかない。それが今の南蛮の常識だ。……だが、俺は違う」
俺は、窓の外の南蛮船を見据えたまま、熙子に向かってはっきりと宣言した。
「いずれ俺は、あんな木造りの脆い船ではなく、外壁のすべてが『鋼鉄』でできた、絶対に沈まない船を造る。……風など待たず、船の内部で生み出した力で、自ら海を蹴立てて猛烈な速度で進む、山のように巨大な『鉄の船』だ」
「……鉄の船、ですか? ふふっ、十兵衛様は本当に、夢のようなお話をなされるのですね。鉄の塊が海に浮くなんて、誰も信じませんわ」
「お前も信じないか?」
「いいえ。十兵衛様なら、本当に造ってしまわれそうですわ」
熙子は、コロコロと鈴を転がすように笑い、俺の腕にそっと身を寄せた。
彼女にはまだ、俺の語るオーバーテクノロジーの全貌が『ただの惚気や冗談』のように聞こえているのだろう。
だが、俺は本気だ。
その途方もない夢(チート兵器)を現実の物にするためには、莫大な資本と、日本中の最先端の技術力が絶対に不可欠となる。
俺が、この堺にやってきた最大の目的。
それは、俺の頭の中にある未来の知識を、現実の鉄や金に変換するための、最強の「手足」を手に入れることだった。
「さあ、着いたぞ」
馬車が静かに停車したのは、堺の中心部にある、ひときわ広大で豪奢な屋敷の前だった。
高い塀に囲まれ、屈強な用心棒たちが目を光らせているその場所は、堺の自治組織『会合衆』の筆頭格に名を連ね、のちに織田信長の天下布武を経済面で支えることになる巨大な豪商――『今井宗久』の本拠地である。
案内された静かな茶室。
床の間には名のある掛け軸が飾られ、ほのかに香木の上品な香りが漂っている。
「……お初にお目にかかります。私が、今井商会の主、今井宗久にございます」
上質な絹の着物を纏い、落ち着いた所作で深く頭を下げたのは、剃髪した初老の男だった。
その目は、一見すれば穏やかな茶人のそれに見える。だが、伏せられた瞳の奥底には、相手の『価値』と『弱点』を一瞬で値踏みする、底知れぬ商人の鋭い光が隠されていた。
宗久は、顔を上げ、正面に座る俺の姿を見た瞬間――微かに、だが明確に驚きの色を浮かべ、わずかに目を丸くした。
(ほう。この若造が……例の『美濃の黒幕』だとでも言うのか?)
宗久の心中を、俺は手に取るように読み取っていた。
それもそのはずだ。数年前から、宗久の元には堺のダミー商人を通じて、『灰吹法』という魔法のような銀の精錬技術の緻密な図面と、それを実行するための莫大な工作資金が送られ続けていたのだ。
宗久は、その謎の「匿名のパトロン(出資者)」の正体が、よほど年季の入った恐るべき老獪な大名か、異国の知識を持つ熟練の南蛮商人だろうと推測していたはずだ。
それが、よもやこれほど若い、二十代前半の端正な顔立ちをした武士だとは、想像もしていなかったのだろう。
「挨拶は不要だ、宗久殿。長旅で疲れている。単刀直入に本題に入ろう」
俺は、茶を出そうとする宗久の動きを手で制し、あえて尊大な態度で口を開いた。
「私が美濃から手配した『灰吹法』による石見銀山の採掘と精錬は、予定通り進んでいるな?」
俺の問いに、宗久は即座に商人の顔に戻り、再び深く頭を下げた。
「ははっ。明智様の御明察通り、石見からの銀の産出量は、従来の露天掘りの数十倍という、恐ろしい数字に跳ね上がっております。得られた莫大な銀は、ご指示通り複数のダミーの問屋を経由し、完全に足のつかない形で美濃の斎藤道三様の元へ送金しております」
宗久の声には、隠しきれない興奮と、俺に対する畏敬の念が混じっていた。
「それにしても、あの鉛を用いた不純物の分離術……あのような神仏の御業のごとき精錬の知識を、明智様は一体どこで……」
「私の頭の中だ。……そして、まだまだ底は尽きていない」
俺が扇子をパチンと鳴らし、不敵に笑うと、宗久はゴクリと息を呑んだ。
「今日、私が自らこの堺へ出向いたのは、過去の成果を褒め合うためではない。……今井商会と私の、今後の『取引の形』を根底から変えるためだ」
俺の言葉に、宗久の目がスッと細められた。
ここからが、現代の知識チートを持った歴史オタクと、戦国屈指の天才商人による、主導権を懸けたヒリヒリとするような知略戦の幕開けだった。
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