第26話:短筒と、魔王を撃つ覚悟(改稿版)
「なっ……十兵衛、それは!?」
帰蝶が息を呑み、反射的に一歩後ずさった。
彼女の大きな瞳が、俺の手の中にある異様な物体に釘付けになっている。
俺が懐から取り出したのは、ずしりと重い、鈍い黒光りをする「鉄の塊」だった。
種子島への鉄砲(火縄銃)伝来から、すでに数年の歳月が流れている。堺の商人たちを通じて、美濃の斎藤家にも何丁かの鉄砲が持ち込まれており、帰蝶も遠目からその姿を見たことがあったはずだ。
だが、彼女の知っている鉄砲とは、全長が三尺(約一メートル)を優に超え、屈強な足軽が両手で抱え込まなければ構えることすらできない、長くて重い筒であるはずだった。
しかし、今俺が手にしているのは、着物の懐や帯の間にすっぽりと隠し持てるほどのサイズにまで極限まで小型化された、『短筒(たんづつ・拳銃型の火縄銃)』だったのだ。
「帰蝶様への、私からの『嫁入り道具』です」
俺は静かにそう告げ、黒光りする銃身を指で撫でた。
これを完成させるまでの道のりは、決して平坦なものではなかった。
俺の脳内図書館には、【現代の銃器知識】や【ガンスミスの基礎構造】といったデータが完全に揃っている。だが、知識があるからといって、当時の未熟な技術ですぐに理想のものが作れるわけではない。
通常の火縄銃の銃身をただ短く切るだけでは、爆発の威力が銃身内で十分に加速せず、弾丸がろくに飛ばず殺傷能力が極端に落ちてしまう。かといって、威力を上げるために火薬の量を増やせば、当時の脆い和鉄で作られた銃身では爆発の圧力に耐えきれず、銃身自体が破裂(暴発)し、撃った本人の手や顔が吹き飛んでしまうのだ。
俺は、石見銀山から得た莫大な裏金を惜しげもなく注ぎ込み、堺にいる最高の鉄砲鍛冶たちを秘密裏に集めた。
そして、南蛮の最新の冶金技術を取り入れ、鉄を何度も鍛え直して密度を高め、さらに銃身の根元(火薬が爆発する燃焼室部分)の肉厚を極限まで分厚くするよう指示を出した。
同時に、弾丸の威力低下を防ぐため、俺の『硝石丘』で精製した純度100%の「最高品質の黒色火薬」を用い、弾丸を銃身にピッタリと密着させる「パッチ(油布)」の技術も導入した。
数え切れないほどの暴発実験と失敗の末、莫大な資金と時間を溶かしてようやく完成したのが、この『国産第一号の短筒』である。
至近距離――すなわち部屋の中での対面距離であれば、分厚い南蛮胴の鎧をも容易く貫通し、確実に人間の心臓や脳天をぶち抜く恐るべき殺傷能力を秘めた、この時代における完全な「オーバーテクノロジーの結晶」だった。
「さあ、持ってみてください」
俺は、その短筒を、帰蝶の小さな両手の上にそっと乗せた。
「……重い」
ズシリとした、人の命を容易く奪える『絶対的な物理の暴力』の重みが、彼女の華奢な手に伝わる。
俺は彼女の背後に回り、その手を優しく支えながら、短筒の撃鉄(火挟み)の構造や、火縄のセットの仕方、そして火薬と弾丸を押し込むための「さく杖」の扱い方を、耳元で静かに復習させた。
「火蓋を開け、この引き金を引けば、火のついた火縄が火皿の火薬に落ちて爆発します。……その威力の凄まじさと、撃った時の反動の強さは、先日の山中での試し撃ちで、すでに身体が覚えているはずですね」
「ええ……。あの時、的の丸太が粉々に吹き飛んだ光景は、今でも目に焼き付いているわ。……でも、十兵衛。どうしてこんな恐ろしいものを、私に?」
帰蝶が、震える声で問いかけてくる。
俺は彼女から一歩離れ、庭の飛び石の上に立ち、その瞳を真っ直ぐに見据えた。
「いいですか、帰蝶様。私が織田信長という男を高く評価し、天下を獲る器だと申し上げたのは事実です。ですが……それはあくまで、歴史の動きや彼の行動から導き出した『推測』に過ぎません」
俺は、冷徹な死神のような声で告げた。
「私にとって、織田信長という得体の知れない男の命の価値は、貴女の命の価値の『一万分の一』にも満たない」
俺の口から出たあまりにも極端な言葉に、帰蝶は目を丸くした。
「もし……もしも、織田信長が、貴女の価値を理解できない救いようのない愚か者であり、貴女をただの政略の道具として蔑み、暴力を振るって泣かせるような真似をしたならば。……躊躇う必要は一切ありません」
俺は帰蝶の目を射抜き、はっきりと断言した。
「寝首を掻くか、その筒で心臓を撃ち抜いて魔王を殺し、ただちに美濃へお逃げください」
「十兵衛……!」
帰蝶の肩が、大きく震えた。
彼女の顔が蒼白になるのも無理はない。
織田家の次期当主である信長を殺す。それは単なる殺人ではない。美濃と尾張の「同盟」を完全に破棄し、国と国との絶対的な関係を根底から破壊する行為だ。
さらに言えば、同盟を結んだ実の父親である「斎藤道三の顔に泥を塗り、彼の戦略をすべてぶち壊す」ことと同義である。マムシの道三がそれを許すはずがない。美濃へ逃げ帰ったとしても、怒り狂った道三によって、同盟破棄の責任を取らされて処刑される可能性すらあるのだ。
「貴女が織田家の当主を殺したとなれば、間違いなく尾張と美濃の間で血みどろの大戦になります。尾張の軍勢は、復讐のために総力を挙げて美濃へ攻め込んでくるでしょうし、道三様も黙ってはいないでしょう」
俺は、一歩も引かずに、淡々と事実を述べる。
「……ですが、構いません」
俺は、扇子をパチンと閉じ、狂気すら孕んだ笑みを浮かべた。
「その時は、この明智十兵衛光秀が、道三様にどう思われようとも、持てるすべての財力と知略を尽くして美濃の全軍を動かします。尾張の国を焦土に変え、焼け野原にしてでも、追っ手から貴女を必ず守り抜いてみせます。私の命に代えても、絶対にです」
政略結婚の道具として使い捨てられるのが当たり前の、この狂った戦国時代において。
一介の家臣の身分である男が、一人の姫君に向かって「お前が泣くくらいなら、国を一つ滅ぼしてでもお前を守る」「お前の父親(主君)に背いてでもお前を守る」と、本気で断言したのだ。
自分の家名や国の存亡よりも、身内(妹分)の命と尊厳を何よりも重んじる。それは、戦国の武士としては完全に失格であり、狂気の沙汰である。
だが、現代日本の価値観を根底に持ち、一度「身内を絶対に守り抜く」と決意した俺にとっては、当然のロジックだった。
俺が歴史改変を行うのは、歴史を美しくなぞるためではない。俺の大切な人間たちが、理不尽に踏みにじられることなく、笑って暮らせる世界を作るためなのだから。
俺の狂気すら孕んだ、絶対的な守護の誓い。
それを聞いた帰蝶は、しばらくの間、手の中の冷たく重い短筒と、俺の真剣な顔を交互に見つめていた。
その瞳の奥で揺れていた「人質として送られる女の迷いと不安」、そして「未知の暴君に対する恐怖」が、みるみるうちに完全に消え去っていくのがわかった。
彼女の精神が、俺の言葉によって強固な鎧を纏い、戦国の女としての完全な脱皮を果たしたのだ。
「自分の命の主導権は、自分で握る」という絶対的な安心感と自負。
それこそが、俺が彼女に贈りたかった真の「嫁入り道具」だった。
やがて、彼女はフッと美しく、そしてどこか凄みのある魔性の笑みをこぼした。
「ふふっ……あははは! 十兵衛は、本当に恐ろしい男ね。マムシと呼ばれる私の父上よりも、ずっとずっと恐ろしくて、狂っていて……そして、誰よりも優しいわ」
帰蝶は、渡された短筒を愛おしそうに撫でると、懐の奥深くへとしっかりと仕舞い込んだ。
そして、覚悟を決めたように凛と背筋を伸ばし、南の空――尾張の方角を真っ直ぐに見据えた。
その横顔は、もはや悲劇に怯えるか弱い姫君のものではない。
見惚れるほど気高く、野心に満ちた、すでに「魔王の妻」にして「最強のエージェント」としての風格を漂わせていた。
「分かったわ。あなたがそこまで高く評価する男なら、私のすべてを懸けて、彼が本物の天才かどうかを見定めてやりましょう。……もし合格なら、私が彼の隣で、尾張を裏から完全に牛耳ってあげるわ。不合格なら、この短筒の餌食よ」
「ええ。頼りにしていますよ、最高の私のエージェント」
俺が恭しく頭を下げると、帰蝶はほんの一瞬だけ、マムシの娘でも魔王の妻でもない、昔からの幼なじみのような、少女らしい儚い表情を見せた。
「……十兵衛。尾張に行っても、私への文は絶対に欠かさないでね。……私の大事な、兄のような貴方」
「ええ、必ず。月に一度は、商人に扮した忍びに暗号文を届けさせましょう」
俺が固く約束すると、帰蝶は満開の桜のような、満足そうな微笑みを浮かべた。
そして、きびすを返し、尾張へ向かうための輿入れの支度へと戻っていった。その足取りには、もう一切の迷いや恐怖はなかった。
(頼んだぞ、帰蝶。……本能寺の変というバッドエンドを完全に回避するためには、信長の内側に、俺の息のかかった最強の『ストッパー』が必要不可欠だからな)
史実という巨大な濁流の向きが、俺の仕掛けた手回しによって、また一つ大きく変わり始めた。
歴史オタクの緻密な計算と、国を滅ぼしてでも身内を守るという狂気的な愛情が交差する中、戦国の盤面は次なるフェーズへと移行していくのだった。
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