第23話:詰んでいる盤面と、マムシの畏怖(改稿版)
「……それだけではありません。まだあります」
西美濃三人衆が多重債務で完全に首根っこを掴まれている事実に絶句する道三に対し、俺は休むことなく、さらに冷酷な追撃の言葉を浴びせかけた。
「戦において最も重要なのは、兵の数でも、武将の個人の勇猛さでも、陣形の美しさでもありません。兵を動かすための血液――『兵站』です」
俺は、現代戦における絶対的な常識を、容赦なくこの戦国時代に叩きつける。
「義龍様が挙兵に備えて、水面下で兵糧米を調達しようとしている商人たち。彼らにもすでに手を回し、美濃および周辺諸国の市場にある米の『買い占め』と『売り惜しみ』を極秘に行わせ、価格を意図的に、異常なまでに釣り上げておきました」
「米の相場を、お主が意図的に操作したというのか?」
道三が、信じられないものを見るような目で俺を見た。
「ええ。現在の美濃の市場では、米一石あたりの値段が通常の五倍以上に跳ね上がっています。もちろん、民が飢えないように、私の息のかかった村や三人衆の領地には適正価格で裏から流していますが、義龍様の息のかかった問屋には一粒も回らない仕組みにしてあります。……つまり、いざ戦を起こして数千の兵を集めようにも、義龍様の陣営には、彼らに食わせる飯がただの一粒も存在しないのです。高い金を出して買おうと思っても、もはや彼らの軍資金では手が出せません」
「…………」
「さらに、兵站だけではありません。彼らが密かに集めていた槍の柄や、火縄銃の火薬といった武具類。これらの流通経路にも細工をし、すべて『いざという時にへし折れる虫食いの不良木材』や、『湿気って火のつかない粗悪な火薬』を、それとなく掴ませてあります」
戦とは、戦場で刀を交える瞬間に始まるのではない。
準備の段階で、すでに勝敗は完全に決しているものなのだ。古代中国の兵法家・孫子も『戦わずして人の兵を屈するは善の善なる者なり』と説いているではないか。
俺は現代の経済戦と情報戦の手法を用いて、その孫子の兵法を極限まで冷徹に実践したのだ。
俺は冷めたお茶を一口飲み、喉を潤してから、静かに、そして残酷な結論を口にした。
「血を流すまでもない。義龍様は明日、いざ挙兵の狼煙を上げようと意気揚々と出陣した瞬間に……味方だと思っていた三人衆は誰一人として集まらず、集めた兵は空腹で動けず、武器は使い物にならないという現実に直面します。ご自身が最初から完全に『詰んでいる』盤面の上で、裸の王様として無様に踊らされていたことに気づくでしょう」
静寂が、春の陽射しが差し込む奥座敷を、重く、息苦しいほどに包み込んだ。
道三は、呆然とした顔で俺の顔と、恐るべき真実が記された帳簿を交互に見つめていた。
刃を一度も交えず、槍の穂先すら向けず、一滴の血も流さずに、己の主君の嫡男であり屈強な武将である男の謀反を、戦う前に完全に無力化してのけたのだ。
やがて、道三は大きく息を吐き出し、うつむいたまま肩を揺らし始めた。
ククッ、という低い声は、やがて抑えきれない大笑いへと変わった。
「……くっ……ふふふ……はははは! 恐ろしい、本当に恐ろしい男よ……!」
腹を抱えて笑う道三の目には、確かな「畏怖」が浮かんでいた。
謀略の限りを尽くし、油売りから美濃一国を掠め取った戦国の怪物・マムシですら、俺の未来の知識と、資本主義の暴力とも言える徹底した経済支配には、完全に屈服するしかなかったのだ。
同時に、道三の笑い声の中には、ほんのわずかながら「安堵」の色が混じっているのを、俺は聞き逃さなかった。
冷酷無比な男とはいえ、やはり我が子は我が子。できれば自分の手で実の息子を殺すような真似はしたくなかったのだろう。俺が「戦わずに鎮圧する」道を用意したことで、道三は親殺し・子殺しの業を背負わずに済んだのだ。
「……道三様。義龍様の命までは取りませぬ。史実……いえ、本来ならば血を分けた身内で、美濃を二分する凄惨な殺し合いをする運命だったのです。彼には、己の武力が通用しない新しい時代の到来と、何もできない己の無力さを悟らせた後、美濃から遠く離れた寺で、一生静かに隠居していただきましょう。……これで、後顧の憂いは完全に絶たれました。美濃の全権は、引き続き貴方様がお握りください」
これで、道三が死に、明智一族が没落するはずだった「長良川の戦い」という史実の巨大なバッドエンドのフラグは、完全に、そして跡形もなく消滅した。
俺の歴史改変の第一段階は、見事に完了したのだ。
「よかろう。すべてお前の筋書き通りにしてやる。いや、せざるを得まい」
道三は興奮冷めやらぬ瞳で俺を真っ直ぐに見据えた。もはやそこには、主君と家臣の壁を越えた、対等の共犯者としての強固な絆があった。
「だが十兵衛、お主の果てしない野望は、美濃一国の平定や、この老いぼれの命を救うことだけではあるまい。この美濃に蓄えられた巨大な富と権力を使って、次は何をする気だ?」
俺はゆっくりと立ち上がり、縁側から窓の外――南の空を見つめた。
その先にあるのは、豊かな濃尾平野の向こうに広がる尾張国(愛知県)。
「次は、最強の『同盟』を結びます。尾張の『大うつけ』と呼ばれ、周囲の古い武将たちから侮られている若き虎……織田信長。彼と強固な同盟を結び、この戦国の盤面を中央からひっくり返すために、道三様のご息女・帰蝶様を利用させていただきます」
「……うつけの三郎(信長)だと?」
道三が怪訝な顔をした。
「あのような、奇抜な格好をして町で栗や餅を食い歩いているような馬鹿のどこが虎だというのだ。帰蝶を嫁がせて和睦を結ぶ話はたしかに出ているが、あれはあくまで尾張を内側から食い破るための布石に過ぎんぞ」
「いいえ。彼は決して馬鹿ではありません。あの狂人のような振る舞いは、周囲を油断させるための完璧な擬態です。彼は古い常識を嫌い、合理性のみを追求する、底知れぬ巨大な器を持った天才です」
俺の脳内にある未来のデータが、織田信長という男の恐るべき実績を証明している。
いずれ彼は、桶狭間で今川義元を討ち、楽市楽座で経済を回し、鉄砲を大量運用して天下布武を掲げることになる。
「あの破壊の魔王を、私がプロデュースします。彼が暴走しないよう、私が美濃の富と情報網を使って完璧なロジスティクスを提供し、彼の天下取りを『私がコントロールする』のです」
歴史の歯車を、美濃という地方から、天下を動かす中央へと向けて一気に加速させる時が来た。
俺の脳裏にはすでに、あの「尾張の魔王」をどう手懐け、どうやって共に覇道を歩み、そして本能寺の変という悲劇を回避するかの完璧なシナリオが構築されつつあった。
果てしない野望と狂気を秘めた俺の言葉に、道三はしばらく呆然としていたが、やがて腹の底から、底知れぬほど楽しそうに、そして嬉しそうに笑い声を上げた。
「ふははは! 天下の魔王をコントロールする、か! 面白い、お前という男は本当に底が知れん! やってみせよ、十兵衛! このマムシが、地獄の底までお前の野望に付き合ってやろうではないか!」
美濃の権力を握る二人の悪党の哄笑が、春の陽射しに包まれた稲葉山城に、いつまでも響き渡っていた。
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