第18話:迫り来る見目定めの病(疱瘡)と、歴史の暗雲(改稿版)
稲葉山城の密室で、俺と斎藤道三が悪魔の契約を交わし、「石見の銀」と「硝石(火薬)」の極秘プロジェクトが動き出してから、数年の歳月が流れた。
俺の描いた計画は、完璧に、それも予想を遥かに上回る凄まじい速度と規模で成功を収めていた。
堺の豪商を隠れ蓑にして展開した『灰吹法』の精錬システムは、石見銀山から莫大な銀を産出し、道三の裏金として美濃の財政を桁違いに潤している。
さらに、領内の深い山中に極秘裏に建設した巨大な『硝石丘』もフル稼働し、タダ同然の廃棄物から純度の高い硝石(火薬)が文字通り無尽蔵に生み出され続けていた。
俺の明智家内での地位、そして道三の『裏の腹心』としての権力は、すでに誰にも脅かされないほど強固なものとなっていた。
同時に、俺の最愛の少女――妻木熙子との関係も、この上なく良好だった。
あの日、俺が膝の怪我を治療して以来、俺たちは頻繁に文を取り交わし、時には共に馬で野を駆け、季節の花を愛でて過ごしてきた。
数年前の幼く可憐だった少女は、今や息を呑むほどに美しい、一人のたおやかな女性へと成長を遂げつつある。近いうちに妻木家へ正式な婚約を申し入れる手はずも整っており、俺の人生はまさに順風満帆の絶頂にあるかに見えた。
すべてが俺の描いた盤面通りに進んでいる。そう確信していた矢先のことだった。
「殿! 一大事にございます!」
ある春の夕暮れ時。俺の執務室に、血相を変えた家臣が転がり込むようにして駆け込んできた。その顔は異常なほど青ざめ、額には脂汗が浮かんでいる。
戦の報告か、あるいは斎藤義龍の謀反の兆候か。俺は筆を置き、冷静に問い返した。
「慌てるな。何があった?」
「隣の村で……『見目定め(みめさだめ)の病』が出たとの報告が! すでに数人が高熱で倒れ、道三様の命により、村は街道ごと完全に封鎖されたとのことです!」
その言葉を聞いた瞬間。
俺は、全身の血液が一瞬にして氷に変わったかのような、凄まじい悪寒を感じた。
「見目定めの病」、あるいは「悪瘡」。現代の病名で言えば――『天然痘(疱瘡・ほうそう)』だ。
それは、この時代において、他国の軍勢の侵略よりも遥かに恐れられている、最悪の不治の伝染病である。
致死率は極めて高く、感染すれば四十度を超える高熱に襲われ、全身に痛みを伴うおびただしい水疱(発疹)が現れ、のたうち回りながら次々と命を落としていく。
そして何より恐ろしいのは、運良く生き残ったとしても、全身、特に顔面に酷い水疱の痕が残り、二度と元の顔には戻らなくなることだ。
見目(容姿)を無慈悲に奪い去る、悪魔のような伝染病。
それゆえに、この時代の人々はそれを「見目定めの病」と呼び、恐れ戦いていたのだ。
俺の脳内にある『絶対記憶の大図書館』が、俺の意志とは無関係に、容赦なく無慈悲な史実のデータを弾き出し、目の前にホログラムのように展開させた。
(検索クエリ――『妻木熙子』『天然痘』『身代わり伝説』)
史実において、妻木熙子はまさにこの婚約話が持ち上がっていた時期に、運悪く疱瘡(天然痘)を患ってしまう。
命こそ取り留めたものの、彼女のその白磁のように美しかった顔には、一生消えない痛々しい痕が残ってしまった。
『こんな醜い顔になってしまっては、立派な十兵衛様(光秀)の隣に立つことなどできない』
彼女は鏡を見て絶望し、自分の顔を呪い、血の涙を流して婚約の辞退を申し出る。
そして妻木家は、窮余の策として、熙子と顔立ちが瓜二つだった「妹」を、身代わりとして光秀に嫁がせようとしたのだ。
しかし、史実の光秀は、祝言の席でそれが身代わりであることを一目で見破る。
そして、『私が愛しているのは熙子殿の美しい顔(見目)ではなく、その美しい心だ』と告げ、疱瘡の痕が残る熙子を、周囲の反対を押し切って正室として迎え入れた――。
後世の歴史家や小説家たちは、これを「光秀の生真面目さと深い愛情を示す、戦国屈指の美談」として、もてはやし、好んで語り継いでいる。
「……ふざけるな」
俺は、握りしめていた筆を、バキッと真っ二つにへし折った。
愛する女が高熱と病の苦しみにのたうち回り、生死の境を彷徨い、鏡を見て絶望し、自分の顔を呪って一生癒えない心の傷を負うことの、一体どこが美談だというのだ。
史実の光秀は、医学の知識がなかったから、そうやって彼女の心の傷ごと受け入れるしかなかったのだろう。
だが、今の俺は違う。俺は、歴史オタクであり、現代科学の知識を持つチート転生者だ。
「……絶対に、そんな運命は辿らせない。俺が、歴史の死神を叩き潰してやる」
俺は即座に立ち上がり、行動を開始した。
天然痘に対抗するために必要なのは、神仏への祈祷でも、護符でも、迷信でもない。
現代医学における絶対的な盾――『牛痘』だ。
天然痘ウイルスと同じ「ポックスウイルス科」に属する、牛の感染症である牛痘。
この牛痘ウイルスを人間の体内に接種すると、人間にとってはごく軽い発熱と水疱ができる程度の極めて軽い症状で済む。しかし、それによって体内の免疫システムが活性化し、本物の恐ろしい『天然痘』に対する完全な免疫(抗体)を安全に獲得することができるのだ。
のちに、18世紀末にイギリスの医師エドワード・ジェンナーが確立し、人類が天然痘という悪魔を地球上から完全に根絶するに至った、かの有名な『種痘法』の原理である。
この戦国時代において、天然痘のワクチンを作る唯一の、そして確実な方法。
それは、牛痘に感染している牛を探し出し、その水疱から膿を採取することだ。
「皆の者、聞け!!」
俺の腹の底から響く凄まじい大音声に、家臣たちがビクッと肩を震わせた。
「今すぐ、美濃、尾張、近江のあらゆる村へ、手の空いている者すべてを馬で走らせろ! 乳牛、農耕牛を問わず、乳房や皮膚に『水疱(出来物)』ができている牛を探し出せ! 金はいくらでも出す! 見つけた者には、百貫でも千貫でも、言い値で恩賞を取らす!」
「は? う、牛の病気でございますか……? 殿、今はそれよりも、見目定めの病の祈祷師を……」
家臣たちは俺の突飛な命令に戸惑い、顔を見合わせた。
無理もない。人間が恐ろしい病で死にかけている時に、なぜ大金をはたいて「病気の牛」を探さなければならないのか、彼らの常識では絶対に理解できないのだ。
だが、俺は道三の裏の腹心として蓄え込んだ莫大な資金の入った千両箱を蹴り開け、黄金の山を彼らの目の前にバラ撒き、有無を言わさぬ力技で彼らを動かした。
「いいから行け!! これは美濃を、そして俺の最も大切なものを守るための、絶対に負けられない戦いだ! 一刻の猶予もない、ただちに探し出せ!!」
俺の狂気すら孕んだ剣幕と、目の前に積まれた莫大な黄金に、家臣たちは弾かれたように「は、ははっ!!」と平伏し、雪崩を打って屋敷を飛び出していった。
俺は血眼になって、歴史の強制力という名の見えない死神に、そしてあの悪趣味な「美談」という名の悲劇のシナリオに、真っ向から戦いを挑んだのだった。
待っていろ、熙子。
お前のその美しい笑顔も、命も、俺が持てるすべてのチートを使って、絶対に守り抜いてみせる。
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