第5話 ルソン沖の砲声。ついに追いついた巨大黒船『NOBU号』
天正十年(1582年)、盛夏。
マカオの港で南蛮総督ドミンゴを完全屈服させ、潤沢な補給物資と「専属の補給基地」という利権をもぎ取った羽柴秀吉の装甲蒸気船団は、さらに南シナ海を南下していた。
焼け付くような赤道直下の太陽が、黒鉄の船体を容赦なく照らしつける。
彼らが現在差し掛かっているのは、大小無数の島々が連なる「ルソン(フィリピン)」の近海である。明智光秀が託した未来の世界地図によれば、この地帯は『太陽の沈まない国』と称される大帝国スペインが総督府を置き、極東における最重要の植民地として支配している海域であった。
「あーあ、退屈だぜ。マカオじゃ結局、大筒をぶっ放しただけで白豚どもが震え上がっちまいやがった。俺の大身槍の出番が全くねえじゃねえか」
甲板の陰で、加藤清正が不満げに愛槍の穂先を布で磨いていた。
「違いねえ。船酔いが治ったと思ったら、今度は戦がねえ。俺の体ん中で燻ってるこの力が、暴れさせろって泣いてるぜ」
福島正則も退屈そうに甲板に寝転がり、ギラギラとした太陽を睨みつけている。彼らのような生粋の武辺者にとって、平和な航海ほど退屈なものはないのだ。
「馬鹿者どもめ。戦がないならそれに越したことはないだろうが」
その横で、黒田官兵衛が日陰に置いた椅子に深く腰掛け、胃のあたりをさすりながら渋面を作っていた。
「ここはすでにスペインの縄張り。下手に海賊や討伐艦隊に目をつけられれば、面倒なことになる。明智殿の予定では、我々は無用な戦闘を避け、まずは速やかに上様と合流することが最優先とされているのだ。私の胃腸の平穏のためにも、どうかこのまま静かに……」
官兵衛の切実な願いが天に届こうとした、その時である。
ズドドォォォォォォォォォォンッ!!!!!
突如として、はるか南方の水平線の彼方から、腹の底を激しく揺さぶるような重低音が響き渡った。
それは、南蛮船が積んでいる滑腔砲の「パァン!」という乾いた破裂音ではない。空気を切り裂き、海を震わせる、あの悪魔のような『ライフル砲』の轟音であった。
「……! なんだ!? 今の音は!」
清正と正則が跳ね起き、槍を構える。
「……始まったか。やれやれ、私の胃腸の平穏は一瞬で崩れ去ったようだ」
官兵衛が深くため息をつきながら立ち上がった時、船長室から猛烈な勢いで秀吉が飛び出してきた。
「おおおおっ!! 聞こえたかお主ら! あの砲声! 間違いない、上様じゃ! わしらの魔王が、この先の海で大暴れしておられるぞ!!」
秀吉の顔には、隠しきれない歓喜と極上の野心の笑みが浮かんでいた。
彼は光秀から託された『ガリレオ式望遠鏡』を眼帯のように目に当て、砲声のする南方の水平線を食い入るように覗き込んだ。
レンズの向こう側、陽炎が揺れるルソン沖の海域に、信じられない光景が広がっていた。
「見えた……見えたぞ! 十……いや、十五隻の大艦隊じゃ! 帆に赤と金の十字を描いた巨大なガレオン船団が、一隻の黒い船を取り囲んでおる!」
秀吉の言葉に、甲板の武将たちが色めき立つ。
「間違いない! あれは上様の乗られた『NOBU号』じゃ!!」
***
同じ頃。ルソン沖の海戦の最前線では、スペイン帝国・フィリピン総督府から派遣された討伐艦隊の提督、カルロス・デ・ベラスコが、旗艦の甲板で怒り狂っていた。
「撃て! 撃てェッ! あの忌まわしい悪魔の船を、ルソンの海の底へ沈めろ!!」
カルロス提督の絶叫とともに、十五隻のスペイン・ガレオン船の側面に並んだ大砲が一斉に火を噴いた。
彼らが相手にしているのは、数週間前に突如としてこの海域に現れ、スペインの商船を次々と拿捕しては積み荷を奪っていく、国籍不明の黒い巨船であった。
風を孕む帆を持たず、黒煙を吐き出しながら海を疾走するその異様な姿に、スペインの船乗りたちは「海の悪魔」と恐れおののいた。だが、誇り高き無敵艦隊の末端を担うカルロス提督にとって、未知の船にルソンの制海権を脅かされることなど、帝国の威信にかけて絶対に許されることではなかった。
「全弾命中!! やりました、提督!」
副官が歓喜の声を上げた。
数十発の巨大な鉄球が、白波を立てて突進してくる黒船の側面に、次々とクリーンヒットしたのだ。
木造船であれば、船体はひしゃげ、マストは折れ、たちまち海の藻屑となるはずの飽和攻撃である。
だが、次の瞬間。カルロス提督の目に映ったのは、この世の理を根底から覆すような、信じられない光景であった。
ガァンッ!! カァァァンッ!!
「……は……?」
カルロスは、己の目を疑った。
直撃したはずの鉄球が、黒船の鈍く光る装甲の表面で『火花を散らして跳ね返された』のである。
それはまるで、無敵の巨大な甲冑に小石を投げつけたかのような、圧倒的で残酷なほどの強度差であった。
黒船の鋼鉄のボディには、へこみ一つ、傷一つ付いていない。
明智光秀の【絶対記憶】から引き出された近代冶金技術。それによって鍛え上げられた分厚い鋼鉄の装甲板は、当時のヨーロッパの滑腔砲による初速の遅い丸い鉄球など、何百発受けようが致命傷にはなり得ないのだ。
「ば、馬鹿な……!? 弾かれただと!? 鉄球が、船体に弾き返されただとぉ!?」
カルロス提督の顔から血の気が引き、膝がガクガクと震え始めた。
「あんなもの、船ではない……! 海に浮かぶ、動く城塞ではないか!!」
絶望に染まるスペイン艦隊の真正面で、無傷の黒船――『NOBU号』が、ゆっくりとその巨大な砲塔を旋回させた。
そして、三本の煙突からモクモクと立ち上る黒煙の向こう側から、破壊の魔王の哄笑が、海風に乗って響き渡ったような気がした。
ズドォォォォォォォォォォンッ!!!!!
NOBU号の搭載するライフル砲が火を噴いた。
放たれた光秀特製の『榴散弾』は、空気を切り裂く甲高い音を立てて飛翔し、カルロス提督の旗艦のすぐ隣を進んでいた巨大なガレオン船のド真ん中に着弾した。
ドゴォォォォォォンッ!!!
「ギャアアアアッ!?」
すさまじい爆発音とともに、ガレオン船の分厚いオーク材の船体が内部から木っ端微塵に吹き飛んだ。
折れたマストが宙を舞い、炎に包まれたスペイン兵たちが次々と海へ投げ出される。
「ひぃぃっ……!!」
「て、提督! 逃げましょう! あれは我々の手におえる相手ではありません!!」
パニックに陥った副官が泣き叫ぶ。大航海時代を謳歌し、有色人種を未開の野蛮人と見下してきた彼らのちっぽけなプライドは、たった一発のオーバースペックな近代兵器の前に、粉々に打ち砕かれたのである。
「う、撃ち返せ……! 逃げるな! スペイン帝国の誇りを見せろ!!」
カルロスが半狂乱になって叫ぶが、NOBU号の砲撃は止まらない。
無機質で正確な十字砲火のごとき連射が、スペイン艦隊の陣形を次々と食い破り、美しい海を瞬く間に炎と死の地獄絵図へと変えていった。
***
「……なんという無茶苦茶な戦い方じゃ。単艦で十五隻の南蛮船の群れに突っ込むなど、常軌を逸しておる。あの魔王は、自分が海に沈むかもしれないという恐怖を持っておらんのか」
遠くからその一方的な蹂躙劇を望遠鏡で眺めながら、官兵衛は驚きの表情を浮かべていた。
「恐怖などあるはずがありません。上様と明智殿の知略を甘く見ないことです」
横に立つ石田三成が、冷徹な声で帳簿を開いたまま言った。
「あのNOBU号に施された鋼鉄の装甲の硬度と、敵の旧式大砲の運動エネルギーを計算すれば、被弾による損害確率は事実上ゼロです。上様は自らの命を危険に晒しているのではなく、ただ『絶対に傷つかない絶対安全圏』から、純粋な破壊の遊戯を楽しんでおられるだけに過ぎません」
三成は眼鏡を中指で押し上げ、フッと冷たく笑った。
「あれは戦ではなく、ただの『害虫駆除』です」
「ガハハハハ!! 違いねえ! まったく、上様は相変わらず無茶ばかりしおって!」
秀吉は甲板のへりに足をかけ、腹の底から愉快そうに笑い声を上げた。
「だがな! いくら装甲が分厚いとはいえ、十五隻の南蛮船を一人占めにするとはずるいではないか! わしらも大坂からわざわざ海を渡ってきたのだ、少しは獲物を分けてもらわんとな!」
秀吉は振り返り、麾下の荒くれ者たちに向けて白檀の扇子を鋭く突きつけた。
「聞け、野郎ども! あそこでお暴れになっているのは、わしらが命を預けた第六天魔王・織田信長様じゃ! これより全速前進し、南蛮船のケツに食らいつけ! 上様に美味しいところを全部持っていかれる前に、極東からやってきたわしらの恐ろしさを、あの白豚どもにたっぷりと味わわせてやるのじゃ!!」
「「「うおおおおおおおおっ!!!」」」
清正、正則をはじめとする山崎の生き残りの精鋭たちが、堰を切ったように狂喜の雄叫びを上げた。
「待ってたぜこの時をよォ!! やっべえ、血が滾ってきやがった!!」
「大筒の準備を急げ! 上様への手土産に、敵の旗艦をぶっ飛ばしてやる!!」
ボーォォォォォォォォォッ!!!
秀吉艦隊の同型艦三隻が、天地を震わせるような巨大な汽笛を一斉に鳴らした。
石炭が猛烈な勢いでくべられ、蒸気機関のピストンが限界まで唸りを上げる。外輪が激しく白波を立て、黒鉄の巨船たちは猛スピードでルソン沖の戦場へと突入していった。
***
「て、提督ゥゥッ!! 後方から、新たな船団が接近してきます!!」
マストの上の見張りが、恐怖で声を裏返らせながら叫んだ。
「なんだと!? 味方の援軍か!?」
カルロス提督が藁にもすがる思いで背後を振り返る。
だが、そこに迫っていたのは、スペインの誇るガレオン船などではない。
今まさに自分たちを蹂躙している「あの悪魔の黒船」と全く同じ姿をした、帆を持たぬ巨大な装甲蒸気船が『三隻』、猛烈な速度でこちらに向かって突進してきていたのである。
「ば……馬鹿な……!! あ、あの化け物が、もう三隻もいるだとぉぉっ!?」
カルロス提督の精神は、ここで完全に崩壊した。
極東の海に、これほどまでに圧倒的な軍事力を持った未知の勢力が存在していたなど、本国の国王フェリペ二世はおろか、教皇すら知るまい。
彼らは今、ヨーロッパの常識が一切通用しない「理外の怪物たち」によって、完全に挟み撃ちにされたのだ。
「ぶっ放せェッ!! 上様への挨拶代わりじゃああ!!」
秀吉の号令とともに、後方から接近した三隻の艦載砲が一斉に火を噴いた。
容赦のない榴散弾の雨が降り注ぎ、逃げ場を失ったスペイン艦隊は、前からの信長の砲撃と後ろからの秀吉の砲撃の板挟みとなり、次々と海の藻屑と消えていく。
大航海時代を支配する白人列強の誇り高き艦隊が、極東からやってきた「バグのような怪物たち」によって、文字通り赤子の手をひねるように粉砕された瞬間であった。
***
やがて、ルソン沖に立ち込めていた硝煙がゆっくりと晴れていく。
海面に浮かんでいるのは、粉々に砕け散ったスペイン・ガレオン船の残骸と、降伏を示す白旗を振りながら海でもがく哀れな南蛮兵たちの姿だけであった。
夕陽に赤く染まる海の上で、蒸気機関の音だけを響かせながら、二つの巨大な黒鉄の船がゆっくりと近づいていく。
一隻は、破壊の魔王・織田信長が座乗する『NOBU号』。
もう一隻は、天下の黄金の軍師・羽柴秀吉が座乗する同型艦。
「……殿。いよいよですね」
官兵衛が、緊張のあまり再び胃薬を飲み込みながら呟いた。
「ああ。長かったわい。山崎の地獄からここまで……本当に長かった」
秀吉は甲板の最前列に立ち、己の野心のすべてを捧げた「あの男」の乗る船の輪郭が、少しずつ鮮明になっていくのを、まばたき一つせずに見つめていた。
二隻の船の距離が縮まり、ついに数十メートルの距離で並び立った。
NOBU号の重厚な装甲に覆われた甲板。その最前列で、豪奢な南蛮のビロードのマントを羽織り、不敵な笑みを浮かべてこちらを見下ろしている男の姿があった。
死してなお天下を恐怖で支配し続けた、第六天魔王。
「お待たせいたしました、上様!!」
秀吉は、ありったけの忠誠と極上の歓喜を込めて、ルソンの海に響き渡る声で叫んだ。
極東の小さな島国を追い出された規格外の怪物たちが、世界の海という新たな盤面で、ついに運命の合流を果たしたのである。
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