第15話(最終話):パックス・ジャポニカの夜明け、そして世界旅行へ
それから、一年の歳月が流れた。
翌、文禄二年(1593年)の春。
かつての泥臭い商業港から、石積みの護岸と巨大なクレーンが立ち並ぶ近代的な港湾施設へと美しく変貌を遂げた、大日本帝国・大坂の港。
その広大な防波堤の奥、うららかな春の太陽の光を浴びてキラキラと輝く海の上に、一隻の途方もなく美しい船が停泊していた。
木造船のような無骨さはない。極限まで水の抵抗を減らすべく、流線型に研ぎ澄まされた漆黒の鋼鉄の船体。天に向かって誇らしげにそびえる二本の巨大な煙突。そして、船尾の海中に隠された次世代の最強の推進器、スクリュープロペラ。
俺(明智光秀)が莫大な私財と数年の歳月をかけ、日本の持てる近代技術のすべてを注ぎ込んで完成させた、世界初にして最高峰の外洋航行用・スクリュー式蒸気客船――その名も『麒麟号』である。
かつて、戦乱の世を終わらせる平和の象徴として語り継がれてきた幻の霊獣の名は、今、大日本帝国の技術力の結晶として、この海に実在していた。
「……まさか、政務の合間を縫って、これほど途方もない化け物船を極秘裏に造り上げておられたとはな。まったく、貴方という人は、どこまで我々の常識をぶち壊せば気が済むのだ、大御所殿」
港の特等席で、呆れたように、しかし心の底からの感嘆の溜息を漏らしたのは、第二代大日本帝国内閣総理大臣――徳川家康である。
今日は『麒麟号』の処女航海であり、俺たち夫婦の世界周遊旅行への旅立ちの日だ。俺は「極秘裏に出航する」と伝えておいたのだが、どこから聞きつけたのか、家康をはじめとする内閣の主要メンバーたちが、わざわざ政務の時間を割いて大坂港まで見送りに駆けつけてきていた。
「大御所なんて、老いぼれた呼び方はやめてくださいよ、総理。俺はただの、旅行好きで少しばかり技術に口うるさい隠居オタクですよ」
俺が最高級のウールで仕立てられた南蛮風のフロックコート(洋装)の襟を正しながら苦笑すると、家康の背後に控えていた若きエリート官僚たち――大蔵省の本多正純、農業・インフラを担う直江兼続、外交の伊達政宗、そして国防を担う真田信繁たちが、一斉に深々と頭を下げた。
「明智前総理! 貴方様が血反吐を吐いて敷いてくださったこの国のレール、我らが命に代えても守り抜き、さらに発展させてみせます! どうか、何の憂いもなく、外の世界を存分に楽しんでいらしてください!」
普段は冷徹な本多正純が、眼鏡の奥の目を熱く潤ませながら、声を張り上げる。
「あの方たち(信長・秀吉)が新大陸で好き放題に暴れ回っているせいで、こちらの外交は連日てんてこ舞いですがね。総理が向こうに行かれたら、少しは自重するようにガツンと言ってやってくださいよ」
伊達政宗が、冗談めかして笑う。
「言っても聞く耳を持つような連中なら、とっくに日本で大人しくしているさ。……彼らの暴走の尻拭いを含めて、この国の後始末は、君たち優秀な若い世代に任せたよ。存分にやってくれ」
俺は、頼もしい彼らの顔を一人一人見渡し、心からの信頼を込めて頷いた。
もはや、俺がこの国を心配する必要は微塵もない。
彼らは俺の残した【絶対記憶】の知識をただ盲目になぞるのではなく、自分たちの頭で考え、議論し、この日本の未来を切り拓く力を持っている。歴史のバトンは、完全に、そして美しく次の世代へと引き継がれたのだ。
「十兵衛様。そろそろ、出航のお時間のようですわ」
背後から、俺の腕をそっと引く者がいた。
振り返ると、そこには、日本の伝統的な美しい西陣織の着物と、南蛮の貴婦人が着るような動きやすいドレスの意匠を見事に融合させた、特注の和洋折衷の旅装に身を包んだ熙子が立っていた。
海風にふわりと揺れる、ほんのりと銀糸が混じる品格ある髪と、深い慈愛に満ちた柔らかな笑顔。歳を重ねてなお深みを増したその気高い美しさは、これからの穏やかな時代――パックス・ジャポニカの夜明けを象徴しているかのように、俺の心を強く惹きつけてやまなかった。
「ああ。行こうか、熙子」
俺は優しく熙子の手を取り、家康たちに向かって軽く片手を上げて、麒麟号の真新しいタラップを軽やかに上っていった。
ボォォォォォォォォォッ!!!
俺たちが甲板に上がり、出航の合図を送った瞬間。腹の底まで響き渡るような、重厚で巨大な汽笛の音が、大坂の港に鳴り響いた。
船底の巨大なボイラーで、上質な石炭が猛烈な勢いで燃やされ、蒸気機関のピストンが力強く唸りを上げる。海中の奥深くに取り付けられた鋼鉄のスクリュープロペラが回転し、海水を白く激しく掻き立てると、漆黒の鋼鉄船は、帆船の時代では考えられないような滑らかさと圧倒的な推進力で、ゆっくりと岸壁を離れ始めた。
「明智殿! 御武運を!! またいつか、この日の本で酒を飲み交わしましょうぞ!!」
家康が総理としての威厳も忘れ、防波堤の端まで歩み寄って大きく手を振っている。正純たち若き官僚たちも、ちぎれんばかりに帽子を振り、俺たちの門出を祝してくれていた。
「みんな、達者でな! 日本の未来は任せたぞ!!」
俺と熙子は甲板の最前列の特等席に並んで立ち、遠ざかっていく大坂の港と、日本列島の美しい緑の山々を、いつまでも、笑顔で見つめ続けていた。
やがて、陸地の影が水平線の彼方に完全に溶け、視界のすべてが、果てしなく広がる青い空と、キラキラと輝く大海原だけになった頃。
俺は海風を全身に浴びながら、そっと目を閉じた。
前世で理不尽な事故によって命を散らし、この戦国時代に転生してからの、長く、そして短かった数十年の歳月が、走馬灯のように脳裏を駆け巡る。
『三日天下の敗北者』として秀吉に討たれ、一族もろとも滅び去るという絶望的な運命。
その残酷なバッドエンドから逃れるために、俺は必死に足掻いた。己の脳内にある【絶対記憶】というチート知識をフル稼働させ、時には冷酷な策士となり、時には強欲な商人となって、戦国のルールそのものを根底から破壊してきた。
マムシの道三を騙して莫大な資金を引き出し、破壊の魔王・信長と結託して天下への道を最短距離で駆け抜け、最大の脅威であった天才・秀吉の心を、近代兵器の暴力で完膚なきまでにへし折った。
紆余曲折はあったが、俺はついに歴史の歯車を完全にねじ曲げ、この平和な世界を創り上げたのだ。
すべては、隣で微笑む、この最愛の妻と歩む未来を守るため。
そして今、俺の目の前には、誰も無意味な血を流さない、誰もが笑って明日を信じられる新しい時代が広がっている。
魔王も、野猿も、かつての敵も味方も、誰一人として悲惨な死を遂げることなく、それぞれの場所で己の人生を謳歌しているのだ。
「……勝ったな。俺の、完全勝利だ」
俺はゆっくりと目を開き、誰に聞こえるでもなく、誇らしげに呟いた。
歴史の強制力という見えない巨大な敵との、数十年にわたる闘い。俺はついに、この運命のデスゲームを『全員生存のハッピーエンド』でクリアしたのだ。
「十兵衛様? 何か仰いましたか?」
熙子が、海風で乱れた髪を直しながら、不思議そうにこちらを見上げる。
その瞳には、かつて俺が恐れた極貧の疲労や病の影は一切ない。あるのは、これから始まる途方もない大冒険への、純粋な期待と喜びだけだ。
「いや、なんでもないよ」
俺は優しく微笑み、彼女の肩をしっかりと抱き寄せた。
「さあ、行こうか、熙子。あの魔王や野猿が、新大陸でどれだけ無茶苦茶をやっているのか、特等席で見物しに行こう」
「はいっ! どんな世界が待っているのか、本当に楽しみですわね、十兵衛様!」
高く澄み渡る、どこまでも青い空の下。
最強のチート頭脳を持つ歴史オタクと、最愛の妻を乗せた『麒麟号』は、まだ見ぬ世界の果て、最高のハッピーエンドのその先へと向かって、白い波しぶきを力強く上げながら、真っ直ぐに進んでいくのだった。
(『明智光秀:歴史改変録 ~逆行転生した歴史オタク、三日天下を永遠の覇権へ~』 完)
【本編完結のご挨拶と、新章スタートのお知らせ】
本日『明智光秀:歴史改変録』本編が完結いたしました。
最後までお付き合いいただき、心より感謝申し上げます。
ですが、物語はまだ終わりません。
予告しておりました通り、明後日より番外編【世界進出編】が始動します!
光秀総理のバックアップを受け、信長・秀吉・三成・官兵衛らがチート戦艦で世界を蹂躙する、本編と同等ボリュームの「第2部」です。
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