第6話:総理の引退宣言と、受け継がれる泰平のバトン
「あ、明智殿!? いま、何と仰られた!?」
「ですから、大日本帝国内閣総理大臣の職を本日付けで辞し、すべての政務から退くと申し上げたのです。家康殿、耳が遠くなるにはまだ少し早い年齢でしょうに」
俺は悪戯っぽく微笑みながら、最高級のデスクの上に置かれた、分厚い越前和紙に万年筆で記された『辞表』を扇子で指し示した。
「ば、馬鹿な! 冗談ではない! まだまだこの国には、貴方のその底知れず恐るべき頭脳が必要だ!」
普段は我慢強く、喜怒哀楽をめったに表に出さない老練な家康が、珍しく顔を真っ赤にして取り乱し、声を荒らげた。
「鉄道網の全国展開も、重工業の育成も、さらなる医学の発展も、南蛮列強との高度な通商条約の締結も! すべて貴方が描いた未来図であり、貴方の指示なしには一歩も進められん! この徳川家康一人に、この巨大すぎる大日本帝国の政権を丸投げして逃げるおつもりか!」
それも無理はない。本能寺の変からのこの十年間、日本の異常なまでの近代化と超速の経済成長は、すべて俺の脳内にインストールされた【絶対記憶(未来知識チート)】が巨大なエンジンとなって強引に牽引してきたのだから。
彼らにとって俺は、未来を見通す神のような存在であり、絶対に間違えない羅針盤だ。俺という強烈な推進力を失うことに、いくら家康といえど不安と恐怖を覚えるのは当然の反応だった。
だが、俺の決意は微塵も揺るがなかった。
「家康殿。私のこれまでの強引な政策は、あくまで『近代国家としての基礎』に過ぎません。鉄道の仕組みも、法制度の枠組みも、活版印刷も……これからはこの時代に生きる者たちが、自らの頭で考え、血を通わせ、失敗しながら改良し、運用していくべきなのです」
「しかし、まだ道半ば……!」
「それに、外の廊下を見てください。議事堂を走り回る、若き彼らの顔を」
俺が促すと、家康は渋々といった様子で、執務室のすりガラスの向こうへ視線を向けた。
そこには、分厚い書類の束を抱え、熱心に議論を交わしながら足早に行き交う若きエリート官僚たちのシルエットがあった。
大蔵省を束ねる冷徹な実務家・本多正純。
農業・インフラ改革を推進する直江兼続。
外交の最前線で南蛮特使と渡り合う伊達政宗。
国防と近代技術の開発を牽引する真田信繁。
彼らは皆、これからの時代を背負う優秀な若者たちだ。史実では血みどろの戦場で殺し合う運命にあった彼らが、今は同じ国の屋台骨を支えるために、ペンと知恵を武器にして切磋琢磨している。
「彼らのような、情熱と知性を兼ね備えた若き官僚たちが次々と育っている。彼らの新しい発想と、貴方のそのすべてを包み込む老練な調整手腕が組み合わされば、私の未来知識など、もはやこの国には不要です」
俺は、すりガラスの向こうの影を見つめながら、静かに、しかし断固として語った。
「むしろ、私がいつまでも総理大臣の座に居座り続けてすべてを指示していれば、彼らが『自ら考え、決断する力』を奪い、成長の芽を摘むことになる。政治においても技術においても、一個人の能力に依存しすぎる仕組みは、その個人が病で倒れるか消えた瞬間に必ず崩壊する。真の近代国家とは、『誰が総理になっても回る仕組み』を構築して初めて完成するのです」
俺の言葉に、家康はハッと息を呑み、そして深く、深く考え込むように押し黙った。
彼は賢い男だ。俺の言っていることが、国家の百年先を見据えた真理であることを、頭ではすでに理解しているのだ。ただ、その責任の重さに足がすくんでいるだけだ。
俺はゆっくりと立ち上がり、扇子をパチンと閉じて、家康の肩にポンと手を置いた。
「ハハハ、案ずることはありません。貴方なら絶対にやれますよ」
「明智殿……」
「何せ、本来の歴史なら、のちに『二百六十年』も続く絶対的な平和の礎を、たった一人で築き上げるはずだった、大天才なのですからね」
「は? のちに? 二百六十年……? 一体、どういう意味だ?」
突然の予言のような、不可解な言葉に、首を傾げて混乱する家康を置いて、俺は執務室の重厚なマホガニー製の扉へと向かった。
やるべきことは、すべてやり遂げた。
前世の記憶を持ったまま戦国時代に転生し、「三日天下で死ぬ」というバッドエンドの運命に震えながら、死に物狂いで歴史の歯車をへし折ってきた。
あの密約の夜に家康に語った『夢物語』は、すべて現実のものとなった。かつての仲間たちを悲惨な運命から救い出し、身分に縛られず、誰もが腹一杯にご飯を食べられる最高の世界を創り上げた。
ここから先は、歴史のバトンを渡す、究極の世代交代だ。これからの時代は、俺のような未来人という「異物」のチートに頼るのではなく、彼ら自身の手で、自分たちの足で歩んでいくべきなのだ。
「あとは頼みましたよ、第二代大日本帝国内閣総理大臣。……俺はこれから、愛する妻とのんびり余生を過ごすことにします」
呆然と立ち尽くす家康に背を向け、俺は白亜の議事堂を後にした。
議事堂の大階段を下りるその足取りは、この世界で背負い続けてきた「歴史を知る者の重圧」と「国家を創る責任」から完全に解放され、背中に羽が生えたように軽かった。
見上げる帝都の空は、どこまでも高く、そして青く澄み渡っていた。
俺の愛した戦国時代は終わり、俺が創り上げた新しい時代が、今、確かな鼓動を打ち始めている。
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