第3話:衛生革命と、死の病からの解放
俺を乗せた黒塗りのサスペンション馬車が、護岸工事によって綺麗に整備された鴨川沿いの広い大通りを通りかかると、朝日に照らされて輝く真新しい巨大な施設群が車窓に飛び込んできた。
空高くそびえ立つ赤レンガの煙突群と、幾何学模様のように規則正しく並ぶ巨大な濾過池の姿。これこそが、帝都の命綱とも言える「近代浄水施設」と「下水処理場」である。
都市の経済が発展し、地方から仕事を求めて人が大量に流入し、人口が爆発的に増加する過程において。国家の指導者が最も恐れるべき最強の敵は、決して他国の強力な軍隊や内乱ではない。
高い城壁をすり抜け、いかなる最新の銃弾や大砲も通じず、音もなく忍び寄って民の命を無差別に刈り取っていく目に見えない悪魔――すなわち『疫病(伝染病)』である。
中世における都市の衛生環境というものは、現代の感覚からすれば文字通り地獄そのものであった。
し尿や生活排水などの汚水は、まともな処理施設もないまま道端の溝や川に直接垂れ流しにされる。人々はその同じ川の水を、少し上流で汲み上げて飲み水や炊事に使っていたのだ。さらに、狭い長屋に密集して暮らす不衛生な環境では、病原菌を媒介するネズミやノミが野放しに繁殖している。
その結果どうなるか。赤痢やコレラ、腸チフスといった恐ろしい消化器系の伝染病が数年おきに定期的に大流行し、一度疫病が発生すれば、身分の貴賤を問わず数万、数十万人の民があっけなく悶え苦しんで死んでいく。史実の江戸時代においても、幕末の「コロリ(コレラ)」の大流行では江戸だけで数十万人が命を落とし、街の至る所が死体の山で埋め尽くされたという悲惨な記録が残っている。
俺は歴史オタクとして、その疫病の恐ろしさと、それがもたらす国家崩壊の危機を骨の髄まで理解していた。
だからこそ、本能寺の変を乗り越え内閣総理大臣の座に就いた直後、俺は国家予算の大部分を真っ先に「上下水道の完全分離」と「近代的な都市インフラの整備」という、途方もない大公共事業に注ぎ込んだのである。
飲料水は、山からの綺麗な湧き水や上流の川の水を巨大な浄水施設に集め、砂と炭の層を何重にも通して物理的に徹底濾過する。さらにごく微量の塩素消毒の概念を応用して浄化し、地下に張り巡らせた密閉された鉄管(水道管)で各地域の共同水栓まで配水する。
一方で、し尿や生活排水を流す下水は、絶対に飲料水の水脈と混ざらないよう、分厚い煉瓦とコンクリートで覆われた巨大な地下暗渠を通って、郊外の下水処理施設へと一極集中で集められる。そこで沈殿・発酵処理を経て完全に無害化され、安全で栄養価の高い肥料として農村へと還元されるという、完璧な循環システムを構築したのだ。
だが、これだけではない。物理的な土木インフラの整備と並行して、俺は強力な「ソフト面での衛生革命」を仕掛けた。
俺の長年の最大のスポンサーであり、今や大日本帝国最強のコングロマリット(複合企業)へと成長した堺の大商人・今井宗久の巨大商会を通じて、大坂湾の沿岸に一大化学プラントを建設したのだ。
南蛮貿易で東南アジアから大量に輸入したヤシ油や、国内で採れる良質な椿油などの植物油脂を原料とし、そこに塩水を電気分解するか、あるいは灰から抽出して精製した苛性ソーダ(水酸化ナトリウム)を反応させる。こうして、高品質な『石鹸』の大量生産ラインを稼働させたのだ。
かつては南蛮の宣教師たちが献上品として持ち込み、王侯貴族しか使えなかった「金と同じ重量で取引されたという魔法の品」を、俺は徹底的な技術革新と大量生産によるコストダウンによって、農民の小銭入れでも買えるほどの安価で全国の津々浦々にまで流通させた。
だが、いくら石鹸や綺麗な水道を用意しても、人々に「それを使う習慣」がなければ宝の持ち腐れである。
当時は「目に見えない極小の虫(細菌やウイルス)が病気を引き起こす」という近代医学の概念など、誰も理解できない時代だ。病は「悪い気(瘴気)」や「神仏の祟り」によってもたらされると信じられていた。
そこで俺は、活版印刷による日刊のかわら版や、全国に設置した寺子屋の教育カリキュラムを通じて、衛生観念の徹底的な啓蒙活動を「国家の最重要課題」として行った。
『外から帰宅した時、そして食事の前には、必ず石鹸で手を洗い、塩水でうがいをすること。これは病の邪鬼を祓う、国が定めた清めの儀式である』
『生水は絶対にそのまま飲んではならない。必ず一度火にかけて沸騰させる『煮沸消毒』を行ってから、白湯かお茶にして飲むこと。生水には悪鬼が潜んでいる』
『赤子のへその緒を切る刃物や、傷口を縫う針は、必ず火で赤くなるまで炙って『消毒』してから用いること』
現代人にとっては当たり前すぎる常識だが、当時の人々にとっては魔法の呪文か、奇妙な新しい宗教儀式のようなものだった。「なぜそんな面倒なことをしなければならないのか」と反発する者も多かった。
だが、俺は「これを守らぬ者は、国が定めた医療機関での治療を後回しにする」「手を洗わぬ不浄な者は、役所や大店への出入りを禁ずる」と強権的な脅しをかけつつ、粘り強く教育し続けた。
寺子屋で学んだ子供たちが新しい習慣を身につけ、家に帰って親に「石鹸を使わないと病気になるよ!」と教えるというサイクルが回るにつれ、石鹸での手洗いと煮沸消毒は、急速に民衆の当たり前の生活の一部として定着していったのである。
これらの「公衆衛生革命」がもたらした成果は、文字通り目覚ましいものだった。
汚染された水から広がる恐ろしい消化器系の感染症――赤痢やコレラ、腸チフスなどの発生率は、わずか数年で劇的に激減した。
さらに、医師や産婆たちに出産時の煮沸消毒と石鹸による手洗いが義務付けられたことで、これまで死の宣告に等しかった破傷風や産褥熱による乳幼児と母親の死亡率は、信じられないほどの急激な右肩下がりを見せた。健康な労働力が確保され、子供たちが元気に育つことで、たった十年の間に、大日本帝国の人々の平均寿命は十歳以上も驚異的な伸びを見せたのである。
武力で他国の領土を理不尽に侵略し、兵士の血と引き換えに富を奪い合うのではなく。
法と経済、そして科学と公衆衛生の力で、自国民の命を豊かに育み、内側から国力を爆発的に増強する。これこそが、真の覇権国家の在り方なのだ。
南蛮から日本を訪れ、この国の変貌ぶりを目の当たりにしたイエズス会の宣教師ルイス・フロイスは、糞尿が道端に投げ捨てられ悪臭が漂い、ペストの恐怖に怯えるパリやロンドンといった母国ヨーロッパの大都市と比較し、その驚愕の光景を本国への報告書にこう書き残している。
『極東の島国には、神の奇跡としか思えぬ光景が広がっている。彼らの指導者である大宰相・アケチは、武力ではなく、圧倒的な知恵と異常なまでの清潔さへの執着によって国を治めている。この帝都は、ヨーロッパのどの巨大都市よりも美しく、疫病の影すら落ちない黄金の都へと変貌を遂げた。……私はこの類を見ない平和と繁栄の時代を、畏敬の念を込めて”パックス・ジャポニカ(日本の永遠の平和)”と呼んで称えたい』と。
俺の乗った馬車は、巨大な浄水施設の横を通り過ぎる。窓から吹き込む風には、もはや中世特有のドブの臭いや血の匂いは一切混じっていない。
ただ、清潔な水と、人々の活気ある体温の匂いだけが、優しく帝都の朝を包み込んでいた。
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