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2026年6月24日 まんじゅう美味い (文章練習) 

6月24日


帰りに芋を使ったまんじゅうを買った。

何となくではあったが、今日は線香を焚いた部屋でお茶請けのまんじゅうをかじりながら、紅茶をすすりたい気分だったのだ。


家に帰り、その通りに環境を整えてお茶をすすりながら追加で本を開くことにした。

まんじゅうの素朴な甘さと本の面白さに時間の密度が上がり時間の流れがゆっくりに感じられて、とても贅沢な時間となったように思う。


きっと毎日同じことをやると飽きてしまうのだろうし、たまにの贅沢としてやるのがちょうどいい塩梅であるのだろう。


この出費は

無駄遣いといえば否定することはできないし、衝動買いではあると思う。

しかし、その後の時間の価値を思えば悪くない出費であった。


そうして読んでいた本の内容についても少し触れておこうと思う。


読んでいたのは、教育についての話である。

あいにくと、紅茶を飲み終えたぐらいから内容がつまらなく感じ、そこで本を閉じてしまったのでたくさん読むことはできなかった。


しかし、読んだ中で印象に残ったことを2つピックアップすると、「これまでの教育は受動的な姿勢を求めることが多く、自身で考える能力が育たないこと」と、「こちらからすべてを教えないことが相手に知るという意欲を持たせることに繋がること」である。


前者については本の中でも多少語られていた話ではあるが、そういった受動的な教育のみで自発的な思考については育てる土壌ができていないのに加齢と共に考えての言動などが求められることに理不尽さを感じざるを得ない。


もっと切迫した状況であれば人は自然と考えるようになるのかもしれない。例え、考えを持つにしても、考えに結びつけるための自身の経験や知識が必要であることを思えば受動的な学びというものの必要性については安易に否定することができない。


ここで現代教育でもそのようになっているのかが気になり、数分程度調べてみると現代教育は受け身を脱却し、自身の考え等の思考力を鍛える方向にシフトしつつあるという内容を目にした。


他にも、様々な内容が変わりつつあるらしい。しかし、それに子供はついていけるのだろうか。

自分の考えを話せる人は良いが、話しにくい人などにとっては苦痛でしかないのではないだろうかとも思う。

次に2つ目の内容の話に移る。

後者については、只の不親切にもなりかねないものであると思う。

最初にすべてを教えずに、相手が聞くあるいは失敗した後にこうすればいいということだろう。

確かに、最初から最低限しか教えられないと理解した上では、成功する方法について模索するかもしれないし、より質問をしようとして、相手から情報を引き出そうとするのかもしれない。

そういう意味では理解できるし、理にかなっているようにも感じる。

しかし、そうやってすべて終わった後に「こうすればよかった。」、「これがダメだよね」などといわれることを想像すると、その人は私の為に黙っていたというよりも、言ってくれてもよいのではなかろうかと八つ当たりに近い思考をしてしまう可能性が否めない。


そういう思考をしていることを考えると、私自身、まだ「まず自分で考える」よりも「先に答えを知りたい」という感覚が残っているのかもしれない。


何が良いのかについては答えは出ないのだろうし、これからその答え自体が時代と共に変わっていくのだろう。


まんじゅうを食べながら、のんびりとした時間を過ごし、本に集中することができた今日は良い日であった。

眠い。読み返してみると読みにくい文章だ。特に後半

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