2026年6月18日 集中できない読書、極論への飛躍 (文章練習)
6月18日
今日は本を読んでいたら思考が飛んだという話をしようと思う。
一応最初に述べておくと、今日読んだ本には後半の内容のような極論は書かれてはいない。
あくまで思考が飛んだという話だ。
帰宅してから、なんとなくクリティカルシンキングの本を開いた。
例にもれず読んだのは今回も数ページだけである。
読みかけの本が増えてきたように思う。いい加減消費していかないといけない。
今日読んだのはクリティカルシンキングのメリットと、クリティカルシンキングの起源というところまでである。正直本題には全くと言っていいほど入っていない。
さらに言えば、起源の内容に至っては疲労によりあまり頭に入っていない。
私の集中力的にメリットの内容がなんとなく頭に残っている程度だ。
多少メモは取っていたものの、後半の起源についてはヴィルヘルム何某の名前しかメモしていないことを見るとその時点で限界であったのだろう。
故に今日は起源については一度置いておくことにする。
本の冒頭で述べられていた、この考え方の重要性についてだけ考えてみようと思う。
冒頭箇所で特に、頭に残っていたのが、人は理性よりも感情を優先して意思決定を行うことが往々にして存在するということである。その身近な例は衝動買いや、言い争いであるらしい。
そういった個人的な問題は、クリティカルシンキングの思考を身につけることによって解決につながる可能性があるという話であった。
先日衝動買いをしそうになったこともあり、非常に耳が痛い話であり印象に残り、メモに書いていたのかもしれない。
しかし、先の身近な問題の例を曲解すると、感情による判断が問題を起こし、理性による判断を取ることができれば世の中うまくいっているという風にもなると思った。
その考え方はどこかのギンガ団のボスの思想を彷彿させた。
もしやあのボスはロジカルシンキングの塊だったのだろうかと思考が連想ゲームのごとく広がっていくとともにおかしさが込み上げてきて口角が上がっていた。
あくまでも本の中で書かれていたのは先のボスのような感情を排した世界を作るといったようなものではなく、問題解決の手段の一つを提示しているに過ぎない。
この本はもっとモチベーションが高い時に読むべきであった。
思考があちこちに行ってしまう。
集中できなかったが、読むという行動そのものが自分を支えているのだと感じた。
今日は本の内容について純粋に考えることができたわけではないが、それでも習慣を続けることができた。そういう意味では今日は良い日であったのかもしれない。
今日は思考が飛んだという程度の話で。実際には本で後半の内容のような極論は書かれていません。




