2026年5月20日 「好き」についの読書感想文 (文章練習)
5月20日
今日は自分の「好き」なものの語り方についての本を読んだ。
読んだ内容を2つに分けて簡単にまとめる。
1つ目は私の「好き」という気持ちや、存在が消えてしまったときにその「好き」を思い出してその時の私を肯定し、「好き」を保存するために言葉はある。
2つ目は私の「好き」を誰かに言葉として伝えるのであれば、相手が私が「好き」なものをどれだけ知っているのか、どう思っているかを知ることが大事であるという内容であった。
1つ目に関しては読みながら、この日記を思い出していた。この日記では私の「好き」なこと、美しいと思ったこと、熱が入ったこと、影響を受けたことを通じて、私の内面を探り、反省をしたり、理想の私を探したりしている。
私にとっての「好き」なものは、自己理解の手掛かりで、私が探し求めている芯となる可能性のあるものだ。
さらに言えば、本に載っていた記憶の保存だけではなく、自己理解や成長日誌のような側面もあるのではないかと思う。
既に私の思いを保存して私を探し続けているのではないかと思うし、記録以上のものになっているように思う。
この保存した記録をたまに読み返すと、「あの頃の私はこんなことを考えていたのか」と思うことが多い。
例えば、4/13の日記を読み返すと、あの頃は語彙を増やそうと、慣れない四字熟語を調べて使おうとしていたことを思い出した。さらに、「GIRLS' LEGEND U」に対する当初の印象とその後の変化を思い出すことができた。
すっかり忘れてしまっていた。
経験を重ねるごとに普段の気づきは失われ、日常に埋もれてしまうというのは日記でも少し触れたかもしれない。
恐らく、たくさんのことを感じなくなってしまっているのだろう。
きっと、その刺激を呼び起こすためにも、この日記の記録は大事なんだろう。
この日記を今後も続けていけるといいなぁ。
2つ目に関しては、相手の考えなどにアンテナを張り続けることができているだろうかと考えた。
きっとできていないというのが答えであると思う。
日常の会話でも人の話をそこまで聞いてはいないのだから。
私は人の話に耳を傾けるのが苦手だ。
相手の話を聞くよりも、自分のことで頭がいっぱいになり、頭の中身を口から吐き出さずにはいられない。
そういったこともあり、私は人の話が頭に残らず、忘れる。
ここで、どうやったら覚えていられるのだろうかと考えた。
すぐに出てきたのは、経験を積むというひどく単調なものであったが、漫然と経験を積むだけではあまり意味がないと感じた。
それでこのざまなのだから。
そうやって考え始めて、数分。
私は「そもそも、覚える必要があるのか」と考え始めた。
基本的に、先の例で挙げたシチュエーションにおいて考えられるのは雑談のようなフランクなコミュニケーションだ。
思い返した時に、忘れてしまうほどの何気ない日常であるはずだ。
雑談はやるべきタスクではないのだ。
だとすれば、覚えることに気を取られてその場を楽しめないのは本末転倒だろう。
全てを覚えようとし過ぎる必要はないのかもしれない。
最後に
私がなぜ日記を書いているのかを改めて考えることができた良い日だった。




