2026年5月4日 昨日のフィードバック 動物園に行った (文章練習)
5月4日
昨日からスクワットを始めた。
もともとランニングをしているのに筋肉痛になったのは意外だった。
本当になぜだろうか。
普段のランニングの負荷が不足していたのだろうか、それとも使う筋肉が違うのか。
それでも3月の終わりから始めたランニングや、たまにの筋トレ、そしてプロテインなどの食生活で2キロ体重が増加した。
もともとBMIが低く、やせ過ぎであった私からしたら結果が出ているようで一定の満足感を得ている。
やはり、数字として見える結果はモチベーションに繋がる。
正直、外見上の違いは分からない。
でも2キロという数値として結果が現れているのだろう。
まさか脂肪がついて太っただけとかではないと思いたい。
さて、昨日述べていた笑顔であるが、想像以上に難しい。こんなに難しいとは思ってもいなかったが、
まず、少しでも面白いという風に認識できるほど感受性が鈍っている。感情が動きにくいのだ。
ネガティブなほうにはこんなにも感情が動くことを自覚できるのに。
今日は、やや距離はあるが、動物園に行った。
一番最初に思ったのが心がそんなに動かないという話だ。動物を見た時に「動物だな」で終わってしまい、何を感じ取るべきか分からなかった。
動物全体として、動きが少なく、じっとしており鳴き声も聞くこともなかった。
小学生の頃に行った動物園はもっといろんなことを感じたのだろうか。
何か、感じるものがないかと探していたが、
動物を見ているときの私はまさしく当事者意識がなくYouTubeをぼんやり眺めているときのような、受動的な感覚だった。
昼を食べながら何を楽しめばいいのか考えていると、先日書いた回転寿司の日記内容を思い出した。
「そうだリアルのいいところはライブ感があったことだ」というように。
このライブ感が楽しめるのではと考えてからは、匂いや音、周りの人の反応に注意を向けた。
視覚で動物のみを見て得られるものは昼を食べる前の私を思えば明らかだろうから。
すると動物の鳴き声の真似をして口をパクパクさせる子供を見て、
ほほえましさに自然と口角が上がった。
私の感じ取ろうとする視野が狭くなっていたのだと思う。
なぜ私は、ここまで考えないと心が動かなくなってしまったのだろうか。
経験を重ねて、物珍しいものではなくなり、ありふれたものになったからだろうか。
余談ではあるが、私の訪れた動物園は何年も前に行った頃よりも動物の存在感が薄れているように感じた。
その分、キッチンカーが立ち並び飲食スペースが拡充されたように思う。私の勘違いだろうか。
入場料しかお金の回収が見込めず、維持費の掛かる動物よりもテナント料などで稼ぐことができる飲食に比重を高めているのだろうかと思った。それとも、GW故にキッチンカーの出店を増やしているだけだろうか。
正直、どちらがメインかわからなくなりそうで一抹の寂しさを覚えた。
特に真新しい鮮やかな色のキッチンカーの真向かいに、遠目にも汚れが見える檻を見ると
古びた檻の中の動物と、鮮やかなキッチンカーの賑わいの対比が胸に刺さった。
漫然と眺めているだけでは何も感じられない。意識を向けて初めて、心は動く。そのことを学んだ今日は、良い日であった。




