2026年4月17日 日記(久しぶりのネガティブ回) (文章練習)
4月17日
今日の朝はぼーっと、朝の空気を感じながら緑茶をすすっていた。本当は読書の予定を入れていたが、まだ慣れない、コミュニティでの活動と、昨日張り切ってしまったランニングの疲れが出たのだろう。最初の数ページを読んで集中困難を自覚した私はストレッチも読書もやめてぼーっとすることにした。
正直、理由をつけて怠惰の正当化をしただけに過ぎず移動中は自己嫌悪で潰れそうではあった。しかし、夕方以降の交流会では自分の余裕を残したまま他者との関わりを行えたという点では、心の余裕や豊かさにつながったのだろう。
つまり、朝のゆっくりした時間は夕方の交流会の英気を養うためのひと時であった。
いつか、朝の予定をこなしたうえで、人付き合いの余裕を持ちたいものである。
そんな今日は、休み時間に何度も昼寝をしていた。正直眠くて仕方がなく、休み中に寝ないと、講義中に寝てしまいそうになるからだ。
休み時間に、自分の眠気の解消を優先したことで講義中に寝ることが無かった。
未だに小学生並みの不安を抱える私は他の人たちが他者と積極的に交流している姿をみると私ももっと話しかけに行かなければいけないかなと思ってしまう。要は、他人と同じものを望んでしまい、他者と同じでなければ不安に思ってしまうのだろう。自分と他人は違うことを理解しているはずなのに。
多分こういうのを、自分がないと形容されるのだろう。自分の中の軸や自分らしさの欠如といえるかもしれないが。
きっと、こうして日記で自分と向き合い、ランニングや、今日できなかった朝の読書やストレッチを続けて他の人と関わっていく中で自分らしさというのは見つかるのだろう。今の私には経験が足りないし、自信につながるほど物事を続けたわけでもない。
今は足りないものを補って、自分を作っている途中なのだろう。
果たしてせっかちな私がその積み重ねに耐えられるかという継続への懐疑は残るが。
朝の自己嫌悪と折り合いをつけ、自分と向き合うことのできた今日は良い日だった。
のどが痛い




