2026年9月2日 休むとは何かの話 (文章練習)
9月2日
今日はどう休めば回復したと実感できるのかについて考えた話
昨日は日記を投稿した後、ランニングに出かけることもなく、寝転がっていた。
最初はスマホでも眺めようと思っていたが、それはそれで目が疲れるのではないかと考え、結局何をすることもなく、寝転がって、天井を眺めた。
それでも、昨日は本を読んで、少し勉強をしていたこともあり1日を休息に使ったという感覚は薄く、十分以上に休めたという感覚はない。
ただ、多少意識的に休んだからか、昨日ほどの無気力感はない。
全回復したという感覚もないが、回復したことは実感できた。
1日だけではあるが、こうして効果が出た以上、完全に回復してどこまで高いパフォーマンスを出すことができるのか知りたくなり、回復に努めたくなった。
しかし、いざ休息を取ろうとしたとき、昨日のような何もせずにただ天井や外の景色を眺めること以外はスマホを使って時間を潰すことしか思いつかない。
確かに、頭を使わずに脳死で眺めるだけであれば休息といえるかもしれない。
とはいえ、スマホを使う以上、光を伴ってたくさんの情報に晒される頭や目は疲れることは想像に難くない。もっと言えば、交感神経がどうのこうのして夜眠りが浅くなるというのを何かで読んだ。
デジタルデトックスという概念がこの世界に存在するようにスマホの使い過ぎは良くなく休息を求めるのであれば遠ざけなければいけない要素の一つであるように思う。
だが、そうやって休息時にやることを排除していくと、何をすればよいのかわからなくなる。
思いつくのはせいぜい、温かいお茶を飲みながら、昨日のようにぼーっと外の景色や天井を眺めること程度。
そういう時間も嫌いではないが、さすがに何時間もできるほど楽しみを見いだせているわけではないのだ。
やりたいことをやるのが良いのかもしれないが、スマホを触ったり、ランニングをしたりすることは心の休息になるのかもしれないが肉体面では疲労になる。
結局、何かしら行動を起こせば何かしら消耗することになる。
そうである以上、本当の意味での休むということは難しいのかもしれない。
結局良い塩梅を探すしかないのか、やりたいことをやって精神を回復して、速めに寝る方が良いのかわからない。
これまで、だらだら過ごすこともあったが、スマホやらで疲労はして来ただのろう。そうしたことから本当の意味での休息はどうしたら取れるのだろうかと疑問が残った。
今日、考えてみても答えは出なかった。
だが、休むという行為を軽く考えていたことだけは分かった。
休息とは何もしないことなのか、好きなことをすることなのか、それとも別の何かなのか。まだ答えは分からない。ただ、この疑問自体が今の私には必要なものなのかもしれないと思えた今日は良い日であった。
(メモ:2026/9/2 19:56 現在のスマホ使用時間=約2時間2分 *前日比約40分減)
エナドリをキメたからか眠くない。
zone派




