2026年8月26日 読めないメモー忘却の思い (文章練習)
8月26日
朝、思いついたことをメモしていた。
しかし、いざ読み返すとメモの内容を読むことができない。字が汚いのだ。
メモをしているときはただ、何となく手を動かしていただけだった。
夜になって日記を書く時に、「あのとき思いついたことは何だっただろうか」とメモに目を落とすと正にミミズが這ったような文字という表現がふさわしいものになっており、意味を見出すことができなかった。
字の汚さは私は幼少のころからずっと抱えてきたものである。
中学生ぐらいの頃かにはそれがコンプレックスになり、綺麗な字が書けるようになろうと練習した時期もあった。
しかし、当時の私は今みたいにできなかったときの振り返りをしてできるようにするというわけでもなく、ただできなかったで終わっていた。
今思えば、それも年相応故のものだったのだろう。
振り返ってみれば、あの頃の試みは少しもったいなかったようにも感じる。
ただ全てが無駄になったわけではない。
早く書こうとするから汚くなるだけであり、少し時間をかけて書けば私以外の人が見ても「読める字だよ?」というコメントを貰える程度には綺麗な字を書けている。
ただ、メモを取りたいときは後でやらなければいけないことや、その時の瞬間的な感情を残しておきたいときである。だからこそスピードが求められ、結果として字が乱れる。
本当は今日の日記も、朝に書き留めたメモをもとに書くつもりだった。
けれど、読めない文字を前にしてはどうしようもなく、こうして別のことを書いている。
私にとってこれは少しもったいないことである。
人が覚えておけることには限りがあり、エビングハウスの忘却曲線の話でもあるように記憶は時間とともに薄れていく。
故にこそ日記という手段は経験の記録という側面もあるように思う。読めない文字を記録することは、思い出せなくなるということであり、経験の損失でもある。
こうして、日記を書き続けたことで、少しでも感じたことなどを残せるようにしたいという思いは以前より強くなった。
差し当たっては、普段から字を綺麗に書くことを心掛けたいが、あいにくとずっと綺麗に書くことを意識できるほど私の注意力は超人的でもない。
だからまずは、クロスワードを書くときだけでも、一文字一文字を丁寧に書くことを意識してみようと思う。地力が付けば、急いでメモを取る場面でも、今よりは読める字を書けるようになるはずだ。
経験を失わないための第一歩として、字を丁寧に書くという小さな目標を立てることができた今日は良い日であった。
(メモ:2026/8/26 22:34 現在のスマホ使用時間=約2時間26分 *前日比約17分減)




