2026年8月5日 リアルよりゲームの方が面白いバグ (文章練習)
8月5日
ランニングから戻りシャワーを浴びていた時に、ふと思ったことがある。
最近、帰宅後の私の生活は刺激が少ないと感じたのだ。
晴れていて体調が悪くなければランニングに出かける。日記を書く。本を読んだり、勉強をしたり、スマホを眺める。そして余裕があればストレッチや筋トレを追加で行う。
雨が降っていれば、ランニングのコマンドが封じられ、だらだら過ごすか、読書や筋トレなどの選択肢の中から選択することになる。
一人暮らしをする前よりかは遥かに行動選択のコマンド数が増えたと認識している。
各行動に集中できているときは熱中して退屈さとかを感じない。
しかし、それでも同じことの繰り返しは単調さが増して、ふとした時に若干の退屈さを感じてしまう。
同じような道を走って、同じようなものを食べて、同じような事を考え、同じような事を書いて寝るということを繰り返している。
そして、この日記を書いている最中に、以前も同じような退屈さについて日記に書いた気がして、妙なデジャブを覚えた。
再度繰り返すが、同じことの繰り返しは退屈さを感じてしまう。
まだ昔やっていたDSなどの方が同じような単調な作業でも楽しく感じられたような気がする。
ゲームはすぐに報酬が得られるから快楽物質が出て楽しく感じる等という有名な話があるように前提が違うもので比較をすることに大した意味はないのかもしれない。それでもふと感じた物足らなさは本物で、ゲームをプレイしていた方が幸福度の高い時間の使い方になるのではないかと思ってしまう。
勿論、今日ふとそう思ったように、明日になればまた違う発見で楽しくなるかもしれないといったように、いい加減な話かもしれない。
だが、一度そう感じる以上はまたそう思うこともあるだろう。
そういったことを考えながら思ったのが、やはり私は即物的な性質があるということ。
ゲームのように、努力に対する結果がすぐに目に見えるものを求めているのかもしれない。
だからこそ、退屈さを感じてしまったのではないかと思う。
例えば、ランニングで考える。
以前は、前回と比べて同じ時間でどこまで走ることができたかを気にしていたが、最近では時間内をただ走るというやり方に変わっていた。
要は自分の成長や、努力の結果を実感できないような仕組みに変わっていた。
改めて、以前のように自分の成長を理解できるようにするように仕組みを作るべきだと感じた。
具体的には、ランニングしている時に聞く曲に対して、この音楽が終わるまでにどれだけ走れたかを意識すれば、前回との比較も行いやすくなるのではないかと思う。
退屈さの正体が単なる飽きではなく、成長を実感しづらくなっていたことにあると気付けた今日は良い日であった。




