第十章-1 静かなる対話
外交も終わりに差し掛かった頃だった。エミリオの侍従を名乗る男が、ルークのもとへやって来た。
「王配殿下。エミリオ様が、少し個人的なことで――貴方と二人で話をしたいとおっしゃっております。お受けいただけますでしょうか」
ルークは男を見た。整った礼儀、落ち着いた声音だったが、その表情から意図を読み取ることはできない。ほんのわずか考え、ルークは頷いた。ルークにとっても望むところだ。たとえ罠だと分かっていても、断る理由などない。
「承知した。伺うと伝えてくれ」
侍従は深く一礼し、そのまま静かに去っていく。男の姿が廊下の向こうに消えたあと、ルークはジークハルトと視線を合わせた。語らずとも、互いに理解していた。ただの話し合いで終わるとは思っていない。エミリオが仕掛けてくる――その可能性は高い。
「……帯剣は許されないだろうな」
ジークハルトは小さく頷いた。
「そうだな。忍ばせて持っていくか」
ルークは少し考える。丸腰は避けたいところだ。
「短剣を一つ、服の下に忍ばせておこう」
「剣は……エルンストに預けていこうか。庭園でよかったな。あちらも兵を忍ばせるんだろうが、こちらも隠れて隙を伺うことは出来る」
ルークも、かすかに笑った。
「ああ。ジーク、その辺はお前に任せる」
あとは――護衛をどこまで許されるか。こちらが警戒していることなど、向こうも承知の上だろう。連れてきた近衛は五人。二人は文官たちの元へと残し、もう二名はジークハルトと共に、静かに庭園へと隠れてもらう。ルークはエルンストを連れて行くこととした。やがてジークハルトが言う。
「……さあ、参るとしましょうか、殿下」
ルークは短く頷いた。
昼下がりの庭園は静かだった。ガゼボには、エミリオが待っており、侍従や帝国の近衛兵は周囲に控えている。ルークはエルンストを引き連れ、段を上る。エルンストはその下へと控えた。
「王配殿下、ようこそおいでくださいました」
穏やかな声音だった。
「晩餐の席では、話せないこともありましたので、今日は腹を割ってお話をしたいと思っておりました」
「こちらこそエミリオ殿下と、もっとお話が出来ることを嬉しく思います」
エミリオはわずかに微笑み、席を促した。テーブルには紅茶が置かれる。エミリオは一口、口をつける。
「あなたのご両親のことは、セレナから聞いています」
音をたてずに、ティーカップをテーブルへと置いた。
「あなたのお母上――フロレンス・トレント。素晴らしい方だったそうですね」
風が木々を揺らした。
「帝国に滞在していた期間は短かった。ですが……影響を受けた者は少なくなかったと聞きます」
エミリオの表情は、少し和らいだように見えた。誰か近しいものが、影響を受けたのだろうか。ふいにルークへと視線を向ける。
「王配殿下は、お母上から何を継いだのでしょうか」
ルークは少し考え、静かに答える。
「そうですね。知識、人を深く見ること、尊重すること……ほかにも、言葉にはできないものをたくさん貰い、継がせてもらいました」
そう語るルークの表情は、少し微笑んでいる。エミリオは黙って聞いていた。そして、ふと口を開く。
「……羨ましいですね。母から何かを“受け取った”と、迷いなく言えることが」
その声音は穏やかだったが、どこか寂しげに感じられた。
「そのようにお母上を想い、我が子にも愛情を注いでおられる。――では、お父上には、その感情は向かないのですか?」
少しの間、沈黙が訪れるが、ルークは淡々と答えた。
「私の人生に――父親は存在しません。必要なものはすべて、母から、そして周囲にいた人々や環境からもらいました」
エミリオの表情は変わらない。
「……本当に、そう言い切れるのでしょうか。あなたは最初から守られていた。信じる者がいて、帰る場所があった」
母親にも、周囲にも愛され育ってきた男。認めらることを疑いもしなかったのだろう。
――自分とは違う。常に父親からは兄と比べられ、兄を立てよ、と劣等感を抱かされてきた。母もまた父ばかり見ていた。目の前の男は、満たされているようにエミリオには見えた。
「そのような男が、“父など不要だ”と語るのは――
少々、傲慢に聞こえます」
風が強く吹き抜けた。その言葉を、ルークは黙って受け止めた。だが、その沈黙にはわずかな揺らぎもなかった。
「私には理解できませんよ。血とは、もっと重いものだ。あなたは“望まなくても”与えられてきた。地位も、信頼も、家族も。――そのくせ帝位には興味がないという顔をする」
静かな怒気が滲む。
「……そういう男が、一番信用ならないのです。あなたが“望まない”などという理屈はどうでもいい。周囲が望めば、人は簡単に変わる」
ゆっくり立ち上がる。
「皇帝があなたを認めればどうなりますか。帝国があなたを望めばどうなりますか。……あなたはそれでも、今のままでいられると?」
「それでも……変わらない。俺の帰る場所はひとつだけだ」
「口ではどうとでも言える」
そう言いながら、エミリオは理解してしまった。
ルークの目は――揺るがない。望まぬと言いながら、迷いも葛藤もない。その在り方は、かつて自分が畏れ続けてきた父親と酷似していた。理屈ではない、本能が告げている。――この男は、いずれ誰かの上に立つ。それが帝国であろうとなかろうと関係ない。
「……やはり危険だ。火種は――排除させてもらう」




