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皇国のアリーシャ  作者: 岡井チマ
第三部
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第九章-3 晩餐の水面下で

 

 その夜、正装に着替えたルークたちは、帝国王城の大広間へと案内されていた。白い大理石の床は磨き上げられ、天井には巨大なシャンデリアが幾つも灯っている。柔らかな光が広間を照らし、壁には帝国の歴代皇帝の肖像画が並んでいた。重厚でありながら、どこか威圧するような空気が漂っている。

 帝国の貴族たちはすでに集まり、低い声で言葉を交わしていた。視線が、一斉に皇国の使節団へと向けられる。ルークの装いは、皇国の金糸に濃紺で、落ち着いた色味だ。ルークは周囲を気にする様子もなく、静かに歩みを進める。背後には侍従としてジークハルトが控え、そのさらに後ろには皇国の文官たちが続く。壁際には帝国の近衛兵たちが等間隔に並び、同じく皇国の護衛であるエルンストたちも静かに位置についていた。


 緊張を含んだ空気の中、侍従の声が広間に響く。


「セレスティア皇国王配殿下、ルーク・アリスター・セレスティア様、ご到着」


 ルークの正面に位置するのは、帝国第一皇子――マティアス・フォン・トラキオンだった。堂々とした体躯に短く切りそろえた黒髪、金糸を織り込んだ真紅の正装をまとい、まるで戦場に立つ将のような存在感を放っている。その隣には、艶のある黒髪を揺らす第一皇女セレナ。そして――黒髪を後ろで束ねた細身の男が、第二皇子、エミリオ・フォン・トラキオンだった。彼らは兄妹らしく、皆が金糸を織り込んだ真紅の装いで統一していた。

 衣装の色こそ違うが、並び立つと、同じ黒髪でどことなく似た顔立ちをした4人は、お互い視線を彷徨わせることなく見つめる。周囲の貴族達がざわめきをよそに、マティアスが豪快に笑う。


「よく来たな、皇国の王配殿!」


 広間に響く大きな声が響いた。


「堅苦しい挨拶は抜きだ。今宵は貴国の歓迎の晩餐だ。楽しんでいってくれ」


 ルークは一歩進み、軽く礼を取った。


「お招きに感謝いたします、第一皇子殿下」


 マティアスは満足そうにうなずく。


「よろしい。では席に着こう」


 侍従たちが動き、長い晩餐の卓へと人々が案内されていく。ルークの席は、卓の中央で、正面には――マティアス、そして斜め向かいには、エミリオが座った。

 ルークが椅子に腰を下ろした直後に、静かな声が、向かい側から届く。


「初めまして」


 エミリオだった。柔らかな笑みを向けるが、その瞳はわずかも笑っていない。


「お会いできて光栄です。王配殿下」


 ルークは視線を向け、そして、静かに答えた。


「こちらこそ。――第二皇子殿下」


 その瞬間――晩餐会の空気が、たしかに張り詰めた。

 はじめは取り留めの無い会話が続けられるが、しばらくして、エミリオがふと口を開く。


「そういえば」


 グラスを軽く回しながら、ルークへ視線を向けた。


「皇国の女皇陛下と王配殿下に、皇子がお生まれになったとか。さぞ、可愛らしいのでしょう?」


 周囲の視線が、わずかにルークへ集まる。ルークは落ち着いた様子で答えた。


「そうですね。……可愛いですよ」


 一瞬だけ、ルークの声が穏やかになり、表情が柔らぐ。


「こうして帝国にいる間にも、あの子はどんどん成長しているのでしょう。離れているのが、少し辛いですね」


 ルークを見るエミリオの目がわずかに細められた。


「……やはり親というものは、子が恋しいものなのですね」


 その言葉には、別の意味が含まれていた。セレナの表情が強張る。だが――ルークはただ、穏やかにうなずいた。


「ええ。――何より大切なものです」


 その答えに、エミリオは一瞬だけ言葉を失う。ルークの言葉は、まったく違うところを見ていたからだ。


「そうだな!子は良いものだ」


 突然割って入ったマティアスの声に、周囲の貴族たちがわずかに視線を向けた。マティアスは豪快に笑いながら、杯を掲げる。


「皇子だったな?」


「はい」


 マティアスは満足そうにうなずいた。


「うちは娘だ。まだ小さいがな。城の中を走り回っては、侍女たちを困らせている」


 笑いながら言うその声には、どこか誇らしげな響きがあった。


「娘というのは、なかなか良いものだぞ。父親を簡単に骨抜きにする」


 その言葉に、周囲の貴族たちから小さな笑いが漏れた。マティアスが、娘の前で甘い顔をしているのは、想像に容易い。ルークもわずかに口元を緩める。


「それは……楽しみですね」


 マティアスは満足そうに笑った。


「お前も娘が出来れば、すぐそうなる」


 そして、ちらりとエミリオへ視線を向ける。


「お前もそのうち分かる」


 エミリオは薄く笑ったまま答える。


「さて……どうでしょう。私にはまだ、その予定はありませんので」


 マティアスは肩をすくめた。


「つまらん奴だ」


 そして再びルークへ向き直る。


「まあいい。帝国へ来た以上、今夜は存分に食って飲め」


 豪快に杯を掲げた。


「皇国と帝国の友好に」


 侍従たちが一斉に動き、グラスが満たされる。


 その時だった。ルークの背後で、ジークハルトの視線が一瞬だけグラスへ落ちた。ジークハルトは静かに身を寄せ、低く囁いた。


「……殿下」


 ルークは顔を動かさず、わずかに答える。


「どうした」


 ジークハルトの声はほとんど聞こえないほど小さい。


「念のため、控えた方がいい」


 ルークは一瞬だけグラスを見た。そして――何事もないように、それを手に取った。乾杯の合図が響くが、ルークは杯を傾け、飲んだーーふりをした。


 その様子を、エミリオは静かに見ていた。エミリオはグラスを指先で軽く回しながら、ふと口を開いた。


「王配殿下」


 穏やかな声音で、語りかける。


「皇国は帝国よりも長い歴史を持つと聞きます。古い文献にも、その名は度々現れる。かつては大国であったとも。今はどの国とも距離を置く中立国だ。……時代とは不思議なものですね。かつての大国が静かに時を守り、後から現れた国が覇を競う」


 そして、静かにルークを見る。


「王配殿下は、どう思われますか?国主は、国を存続させることを使命とするのか、それとも――再び、大きくなることを望むものなのでしょうか」


 広間の空気が、静かに張り詰めた。それは国の話のようでいて――ルーク自身に投げかける問いだった。


 ルークは、目を伏せてしばらく答えなかった。やがて、静かに口を開く。


「……さあ。歴史はあくまで歴史でしかない。そこに生きるものをどう守るか」


 エミリオを見据える。


「それだけで十分ではないでしょうか。少なくとも――私は、そう思って女皇に仕えています」


 ルークの言葉のあと、卓には短い沈黙が落ちた。その空気を、マティアスが笑い飛ばした。


「ははっ!そのへんでもういい!難しい話は俺の頭には入らん」


 周囲の貴族たちが小さく笑うが、マティアスは気にした様子もなく続けた。


「昔は大国だっただの、今は小国だの……そんなもの今はどうだっていい」


 興味のない様子で手を振る。マティアスは一瞬ルークへと、視線を向けたが、すぐに侍従へ向き直る。


「ほら、料理が冷めるぞ!せっかくの帝国の宴だ。食え!」

 張り詰めていた空気が、ふっと緩んだ。


 晩餐がひとしきり進み、夜も更けてきた頃。皇国の使節団は退席の挨拶をすることになった。ルークは椅子を引き、静かに立ち上がる。


「今宵は、見事な宴をありがとうございました」


 マティアスは豪快に笑った。


「こちらこそ、楽しい時間であった!」


 ルークもわずかに笑みを返す。そして使節団は、広間を後にした。ジークハルトがふと振り返ると、マティアスが、こちらを見ていた。先ほどまでの豪快な笑みはなく、一瞬獣のような鋭い光が宿る。それは、戦場の男の目だった。次の瞬間には、もう消えている。マティアスは再び杯を掲げ、貴族たちと笑っていた。

 ジークハルトは、歩きながら小さく呟く。


「……あの男、食えないな」


「分かっている」


 ルークは前を向いたまま答えた。さすがは帝国の第一皇子と言ったところか。




 晩餐が終わり、皇子と皇女ら3人は、ルークたち使節が去った扉を見つめていた。マティアスが椅子の背にもたれ、大きく息を吐く。


「さて……さすがは兄上、といったところか」


 セレナがマティアスへと、視線を向ける。


「あら。マティアスお兄様が、そこまでお認めになるとは思いませんでした」


 マティアスは肩をすくめ、ガシガシとか頭をかく。


「ああ。年齢だけなら兄にあたるんだろう?それに……確かに父上によく似ている」


 その言葉に、空気が一瞬だけ変わった。エミリオがゆっくりとマティアスを睨んだ。


「……冗談はやめてください。」


 だが、マティアスはくくっと笑う。


「冗談なものか。血ってのは、妙なところで出るもんだ。なにも姿形だけでは無い。静かに見えて、よく周りを見ている。抑えていたのだろうが、ちらちらと敵意を飛ばしていたな」


「あの男の存在は脅威です。皇国で王配として確固たる地位を築き、すでに世継ぎも残した。

 それでいて帝位を望まぬと言いながら、あれほどの覇気を隠しもしない」


 唇の端に笑みを浮かべているが、その目は冷えている。


「仮に父上があの男をご覧になれば、どう思われるか。――考えるまでもありません」


 マティアスはちらりと弟を見る。


「恐れているのか?」


「恐れてなどいません」


 即座に否定するが、その声はわずかに硬かった。


「ただ……危険だと言っているだけです。帝国の外にいながら、帝国を揺るがし得る存在。そんなものを放置しておく理由がありません」


 セレナは二人を見比べながら、静かに言った。


「エミリオお兄様、あまりかの方を怒らせない方がよろしいかと……」


 声を抑えつつ、エミリオに忠告する。


「皇国で王配として立場を築き、女皇や臣下らの信頼も得ている。女皇に礼を欠こうとされた者を静かに圧で排除されておりましたわ。皇国を、家族を背負って来られているのです」


 エミリオは答えない。マティアスが横から口を挟む。


「なんぞ企んでるのは顔を見りゃ分かる。だが、やるなら徹底的にやれ」


 軽い調子にみえるが、その目は笑っていなかった。


「中途半端は、一番つまらん」


 セレナはわずかに首を傾けた。


「マティアスお兄様、煽らないでください。かの方のこと、お認めではなかったのですか?」


「面白いとは思うさ。――だが、エミリオに討たれる程度の男なら、それまでだ」


 エミリオがゆっくり立ち上がる。


「……ふん」


 背を向けながら言う。


「次は、失敗しませんよ」



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