ゴート・ジェン攻略作戦
ウィークへの接触にて大きく失敗してしまったヘリン。だが、それでもまだ諦めてはいなかった。
今、彼女はゴート・ジェンの後をひっそりと追っている。
(絶対に諦めるわけにはいきませんっ……!これで失敗したら、魔王様やミュラー様からどんな罰を受けることか……)
サキュバスの中でも決して地位の高くないヘリンにとって、この任務はあまりにも責任重大だった。
そんなことを考えていると、ターゲットであるジェンは公園のベンチへ腰を下ろし、ぼんやりと空を眺め始めた。
(今です……!)
ヘリンは小さく拳を握った。
(ウィーク攻略の時は、少し距離を詰めすぎました……。今回はもっとドラマチックな出会いを演出する作戦でいきます!)
どう仕掛けるべきか考えていると、ちょうど近くを歩いている男が目に入った。
先ほどジェンに絡んでいた男――ビビタル・パワードだ。
(……これです!)
その姿を見た瞬間、ヘリンの頭の中で作戦が組み上がる。
まずパワードを怒らせ、自分へ絡ませる。そこへジェンが助けに入る。お礼としてお茶に誘い、親密になる。そして――なんやかんやあって勇者パーティーの推薦を辞退してもらう。
(完璧ですっ!)
ヘリンの中では、計画は完璧に出来上がっていた。
そう考えるや否やヘリンは鞄から水筒を取り出し、蓋を開けたままパワードへ近づいていく。
「あっ!」
わざとらしくぶつかる。
中の水が勢いよくパワードの服へとかかった。
「ご、ごめんなさい!」
頭を下げながら、内心ではほくそ笑む。
(さっき見た限り、この人は無抵抗な相手に平気で魔法を撃ち込むような理性の欠片もない人間です。こんな無礼を受ければ、間違いなく激怒して絡んでくるでしょう……!)
ニヤけそうになる口元を必死に押さえながら、パワードの反応を待つ。
――だが。
「ん? ああ、気にすんな。俺もぶつかって悪かったな」
「……えっ?」
返ってきたのは、先ほどの粗暴な態度が嘘だったかのような、ごく当たり前の返事だった。
そう言うと、パワードは何事もなかったかのように歩き去ろうとする。
(な、なんでですか!?)
焦ったヘリンは、次の手に出た。
「おっと、手が滑りました!」
そう叫ぶと、水筒を思い切り放り投げる。
ゴンッ!
水筒は見事にパワードの後頭部へ命中した。
(さすがにこれは怒りますよね!?)
今度こそ魔法が飛んでくるかもしれないと身構える。しかし。
「……痛ぇなぁ。気を付けろよ」
それだけ言うと、パワードは再び歩き出した。
ゆっくりと遠ざかっていくパワードの背中を、ヘリンは呆然と見つめた。
「――もう~っ!!なんで何もしないんですかぁっ!? 胸ぐらを掴むとか!いきなり魔法を撃つとか!そいう事をやってきて然るべきでしょう!?」
そして、ついに我慢できなくなり叫んだ。
「はぁ!?そんなことするわけないだろ!」
あまりにも理不尽な言いがかりに、パワードは思わず声を上げた。
「なんでそんなに常識があるんですか!?そんなものあなたの辞書にはないはずでしょう!?」
「勝手に決めつけてんじゃねえよ!」
必死に抗議するパワードは、どう見てもまともな人間だった。
――少なくとも、この場で一番おかしいのはヘリンの方である。
「だってだって!さっき見たんですもん!Z級の少年に喧嘩を売っていきなり魔法まで撃ってたじゃないですか!あの時の闘志はどこへ行ったんですか!?」
ヘリンだって、何の根拠もなくパワードを野蛮な人間だと決めつけたわけではない。実際にその目で見た出来事があったからこその判断だった。
「ああ……見られてたのか」
パワードは気まずそうに頭をかく。
「別に、俺だって誰彼構わずあんなことするわけじゃねぇよ。アイツは昔から特別ムカつく奴なんだ」
「それにアイツは――」
そこまで言いかけたパワードは、不意に視線を横へ向ける。
その先には、ベンチに座るジェンの姿があった。
「あ」
ジェンを見つけた途端、パワードの口元がにやりと歪む。
「……まあ、そういうことだ。喧嘩がしたいなら、他を当たってくれ」
そう言い残すと、ヘリンのことなど忘れたかのようにジェンのもとへ歩いていく。
「よぉぉぉぉぉ~!!ジェンじゃねぇかぁ~!また会ったなぁ!こんなところで間抜けなツラして何してやがんだよぉ?」
先ほどまでの理性的な態度が嘘のように、今度はチンピラそのものな口調でジェンへ絡み始めた。
ジェンは困ったような笑みを浮かべながら対応している。
「一体なんなんですか……。この街の男の人はなんでみんなジェンさんが関わるとおかしくなっちゃうんですか……?」
ヘリンは呆れたようにため息をつく。
巻き込まれないように少し距離を取ろうと、一歩後ろへ下がった――その時だった。
ドンッ。
「いたっ……。あっ、ご、ごめんなさ――」
謝りながら振り返ったヘリンの目の前には、スキンヘッドに鋭い眼光をした大柄な男が立っていた。
その両脇には、いかにも柄の悪そうな男が二人。
「おい姉ちゃん。ロックさんにぶつかるとは、いい度胸してるじゃねぇか」
「この方が誰だか分かってんのかぁ?」
二人の取り巻きが威圧するように詰め寄る。
一方、ぶつかった本人――ロックは何も言わず、じっとヘリンを見下ろしていた。やがて、ゆっくりと自分のズボンを指差す。
「あっ……」
そこには、蓋を開けっぱなしだった水筒の水で濡れた跡が、くっきりと残っていた。
「――お前、タダで帰れるとは思うなよ」
ロックがヘリンの胸ぐらを乱暴に掴み上げる。
同時に、取り巻きの二人も逃げ道を塞ぐように回り込んだ。
形だけ見れば、その状況はもともとヘリンが思い描いていた展開そのものだった。
だが、決定的に違うことが一つだけある。
(思ってたより、ずっと怖い人たちですっ……!)
三人とも体格が良く、立っているだけで威圧感がある。これでは、もし本当に喧嘩になった場合、ヘリン一人では対処しきれない。
まして、自分を「史上最弱のZ級」だと思い込んでいるジェンが、こんな相手に立ち向かってくれるとは思えなかった。
「へへっ……よく見りゃ、結構いい女じゃねぇか。ロックさん。この後、コイツをどっか連れ込んで遊びませんか?」
「ずりぃぞ! 俺も混ぜてくださいよ!」
取り巻きの二人は下卑た笑みを浮かべ、性に飢えた瞳でヘリンをいやらしく見つめる。
「……好きにしろ。だが、その前に落とし前だけはきっちりつけてもらう」
ドゴッ。
「うっ……!」
重い衝撃が腹部に突き刺さる。
ロックの拳が、容赦なくヘリンの腹へめり込んでいた。
(まずい……!)
ヘリンの表情から余裕が消える。こうなってしまっては、任務どころではない。
サキュバスである彼女は、魔族の中でも戦闘向きではない。まともに戦えば勝ち目は薄い。
(ど、どうすれば……)
焦りが胸を支配した、その時だった。
「……やめろよ」
低く、それでいて震えを押し殺したような声が響く。
ヘリンが振り返る。そこには、少し怯えた表情を浮かべながらも、一歩前へ踏み出したゴート・ジェンの姿があった。




