第62話:第一夜。解禁された『直接搾取』の衝撃
山奥の温泉別荘。
地獄の露天風呂からどうにか生還した日高清春は、自室に駆け込むなり、分厚い木製の扉にガチャリと鍵をかけ、さらにはつっかえ棒までして物理的な完全密室を作り上げた。
「……はぁっ、はぁっ……助かった……」
清春は、畳の上に敷かれたフカフカの布団に倒れ込み、天井を見上げた。
温泉での五等分による『衛生管理(強制洗体)』は、完全に清春の体力と精神力を削り取っていた。全身の毛穴という毛穴から立ち昇る硫黄の香りと、五人の美少女たちの甘い香水の匂いが混ざり合い、自分の身体でありながら自分のものではないような感覚に陥っている。
「……寝よう。とにかく、寝て体力を回復させないと、明日の地獄が持たない……っ」
清春は、電気を消し、布団の奥深くまで潜り込んで目を閉じた。
協定の第3条。夕食の時に結衣たちが話していた『夜の添い寝当番』という恐ろしい言葉が脳裏をよぎったが、この部屋は完全に施錠されている。いくら彼女たちでも、鍵の掛かった扉を物理的に破壊して入ってくれば、さすがに大きな音がして別荘の管理人に怒られるはずだ。
事なかれ主義の少年の、希望的観測。
だが、彼は忘れていた。彼女たちの中に『人間』の常識が通用しないバケモノ(半妖)が複数混じっていることを。
――カチャ、リ。
深夜零時。
静寂に包まれた部屋に、微かな、しかし決定的な金属音が響いた。
(……え?)
布団の中で、清春はピクッと身を固くした。
ギィィ……と、蝶番が軋む音を立てて、鍵の掛かっていたはずの扉がゆっくりと開く。
『……マスター。扉の鍵穴に、極細の「見えない粘糸」が侵入し、内側から強制的にロックを解除しました。……第一シフトの獣たちが、侵入します』
ポケットに入れたままのスマホから、シキの無機質で楽しげな音声が、清春の脳内だけで響く。
土蜘蛛の半妖である八束綾の糸。物理的な鍵など、彼女の異能の前ではただの飾りに過ぎなかったのだ。
「……キヨっち、寝てるっしょ?」
「……うん。すやすや眠ってる……。かわいい、清春くん……」
闇の中で、猫宮珠希と八束綾のヒソヒソ声が聞こえた。
清春は恐怖のあまり、心臓が爆発しそうになるのを必死に抑え、完璧な『狸寝入り』を決め込んだ。
ここで起きて「何してるんだ!」とツッコミを入れれば、それを合図に彼女たちの理性が決壊し、完全に食い殺されるという本能的な直感が働いたからだ。
「……じゃあ、協定通り、前半の三時間はあたしと八束さんのターンだね。……あーもう、お風呂で我慢しすぎて、あたし発情期爆発しそうなんだけど!」
ガサッ、と。
布団がめくられ、清春の隣に、熱を持った柔らかい何かが潜り込んできた。
「ひゃぅっ……キヨっちのお布団の中、キヨっちの匂いが充満してて、ヤバい……っ。脳みそ溶けそうっしょ……っ!」
珠希だった。彼女は薄いネグリジェ姿のまま、清春の胸板にピタリとすがりつき、「にゃぁぁ……ごろごろ……っ」と喉を鳴らし始めた。
彼女の豊かな胸の感触と、獣のような熱い吐息が、清春の素肌に直接伝わってくる。
「……ダメだよ、猫宮さん。抜け駆けは。……清春くんは、逃げないように私がちゃんと『固定』するから……」
続いて、逆側の布団に綾が潜り込んできた。
同時に、清春の両手首と両足首に、フワリとした、しかし絶対に切れない『見えない糸』が巻き付けられた。
(縛られたァァァッ!?)
清春は内心で絶叫した。ベッドの四隅に見えない糸で四肢を固定され、完全に『大の字』に張り付けられた状態だ。
「……ふふっ。これで、清春くんはどこにも行けない。……ねえ、猫宮さん。協定の追加ルール、覚えてるよね? 『合意のない行為は禁止だけど、寝汗の舐め取りは合法』……」
「当然っしょ! キヨっちのエキス(妖力)、たっぷり吸わせてもらうからね!」
珠希の舌が、ペロリ、と。
清春の胸筋に浮いた寝汗を、直接舐め取った。
「っ……!!」
清春の身体が、ビクンッ!と跳ねる。
ザラリとした猫の舌の感触。それが、胸の谷間から首筋へと、ゆっくりと、しかし貪欲に這い上がってくる。
「んちゅ……れろぉ……っ。はぁっ、しょっぱくて、でもすっごく甘い……っ。キヨっちの汗、最高……っ!」
「……私にも、頂戴……。清春くんの、匂い……っ」
綾は、清春のうなじに顔を埋め、ズォォォォォォッ!!と肺の限界まで匂いを吸引しながら、彼の耳たぶを甘噛みしてきた。
右から化け猫の舌、左から土蜘蛛の吐息と愛撫。
極上のフェティシズムと、身動きが取れないという恐怖が入り混じり、清春の理性は限界ギリギリの綱渡りを強いられていた。
『……マスター。心拍数150を突破。見事なまでの拘束プレイと寝汗の搾取ですね。……R15のボーダーライン上で反復横跳びをする彼女たちのテクニック、学習データとして保存しておきます』
(保存するな! 助けろポンコツAI!)
◆
永遠とも思える三時間が経過し、第一シフトが終了した。
珠希と綾が名残惜しそうに部屋を出て行くと、すぐさま扉が開き、第二シフトの二人が闇に紛れて侵入してきた。
水無月結衣と、波澄澪である。
「……寝てるわね。無防備な顔。……バカな幼馴染」
結衣の声には、普段の冷たい氷の響きは一切なく、ドロドロに溶けきった情念だけが詰まっていた。
「水無月さん。私は清春様の神聖な『吐息』を回収いたします。あなたはご自由にどうぞ」
「ええ、言われなくてもそうするわ」
ガサゴソと、結衣が清春の脱ぎ捨てた衣服を入れたカゴを漁る音がした。
(……結衣の奴、また俺の服を……)
清春が薄目を開けて様子を窺うと、月明かりに照らされた結衣の姿が見えた。
彼女は、清春が今日着ていた『Tシャツ』と『靴下』を両手に持ち、それを自らの顔面にグルグルと巻き付けて、完全に変態ストーカーの完全体へと変貌していた。
「すぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅっ!!!! んんんっ! はぁっ、はぁっ……最高……っ! キヨくんの1日分の汗と皮脂が凝縮された、極上のヴィンテージ……っ! あぁぁっ、脳みそが溶けちゃうぅぅぅっ!!」
結衣は、顔面にTシャツを巻き付けたまま、畳の上をのたうち回って恍惚の喘ぎ声を上げている。
一方、澪は清春の枕元に正座し、清春の顔の真上に自らの顔を近づけた。
その距離、わずか数ミリ。唇が触れ合うギリギリの距離で、澪はピタリと動きを止めた。
「……すぅぅぅぅぅっ。……あぁっ、清春様のお口から吐き出される、神聖なる二酸化炭素……っ。これが、私の肺を満たしていく……っ」
清春が「ふぅっ」と息を吐くたびに、澪が「すぅっ」とそれを寸分違わず吸い込む。
究極の間接キス、あるいは『肺の共有』とでも呼ぶべき、狂信的な儀式。
清春は、目の前に澪の美しくも狂気に満ちた顔がある恐怖と、彼女の吐息が自分の唇に直接かかり続けるくすぐったさで、息が詰まりそうだった。
(……やばい、息が……っ。でも、ここで呼吸を乱したら、起きてるのがバレる……!)
清春は、極限の酸欠状態のまま、ただひたすらに耐え続けた。
衣服を貪るツンデレストーカーと、吐息を吸い尽くす狂信の半妖。
密室は、完全に彼女たちの合法的な狂気の狩り場と化していた。
◆
そして、空が白み始めた明け方。
第三シフトとして、最後の一人が部屋に滑り込んできた。
生徒会長・御子柴天音である。
「……交代だ。お前たちは出て行け」
「……チッ。いいところだったのに」
「清春様、また後で……」
結衣と澪が部屋を去り、ついに天音との一対一の空間になった。
清春は、あの厳格で誇り高き生徒会長なら、さすがにそこまで狂ったことはしないだろうと、微かな希望を抱いていた。
だが、その希望は一瞬で打ち砕かれた。
天音は、清春の顔の方には向かわず、なぜか布団の『足元』の方へと潜り込んでいったのだ。
(……え? 先輩、何してるんだ?)
モゾモゾと、布団の足元で何かが蠢く。
そして。
「……はむっ。んちゅ……れろぉ……っ」
「っ!?」
清春の右足の親指が、生温かく、湿った『何か』に包み込まれた。
「……あぁっ、ご主人様の御御足……っ。一晩中布団の中で蒸れて、極上の匂いに仕上がっている……っ。美味しい、美味しいです、ご主人様……っ」
天音だった。
学園の風紀を司る絶対的権力者であり、怪異を激しく憎んでいた誇り高き退魔師は今。
布団の中で、清春の足の指を自らの口に含み、よだれを垂らしながら執拗に舐め回すという、究極のドM忠犬ムーブを炸裂させていたのである。
(ひぃぃぃぃぃぃっ!? 御子柴先輩!? あんた何やってんだよォォォッ!!)
清春は、足先から伝わってくる生々しい舌の感触と、天音の狂気に満ちた卑猥な喘ぎ声に、声なき悲鳴を上げた。
「……んちゅ、じゅるる……っ。ご主人様、寝ている間に……私のような汚らわしい雌犬の顔を、この足で思い切り踏みつけてください……っ。そして、どうか私にも……極上の妖力を……っ」
天音は、清春の足の裏に自分の頬を擦り付けながら、恍惚とした涙を流して身悶えしている。
彼女の魂に刻み込まれた『絶対隷属印』は、彼女の理性を「清春に虐げられ、匂いを与えられること至上の悦びとする」ように、完全に、そして残酷に書き換えてしまっていたのだ。
『……マスター。被写体「御子柴天音」、足舐めによる服従の快感で、心拍数が危険域に到達しました。……もはや彼女は、退魔師ではなく、ただの「匂いに飢えた変態」です』
(分かってるよ! でも、足の指舐められてる状態で、どうやって狸寝入りを貫けっていうんだよ!!)
右足の指を天音の口内に入れられたまま、清春は全身の筋肉を硬直させ、ただひたすらに朝日が昇るのを待ち続けた。
◆
翌朝。
鳥のさえずりと共に、爽やかな山の朝が訪れた。
「「「「「キヨくん(キヨっち/清春くん/清春様/日高)! 朝よ!」」」」」
大広間に、五人の美少女たちの明るい声が響き渡る。
彼女たちは皆、一晩中清春の極上の妖力を直接肌や粘膜から吸い上げ続けたため、異常なほどに肌ツヤが良く、生命力に満ち溢れ、神々しいほどの美しさを放っていた。
一方、その中心に座る日高清春は。
「……おはよう……」
両目の下には真っ黒なクマができ、頬はこけ、まるで十年間砂漠を彷徨ったかのような、完全に生気を失ったミイラのような顔をしていた。
「どうしたのキヨくん? 全然眠れなかったの? バカね、環境が変わったからって緊張しすぎよ」
結衣が、何食わぬ顔で白々しく笑う。
(お前らのせいだろォォォォッ!!!)
清春は、心の中で血の涙を流しながら叫んだ。
化け猫の寝汗舐め、土蜘蛛の糸拘束、幼馴染の衣服吸引、人魚の吐息共有、そして退魔師の足指舐め。
協定の追加条項によって解禁された『直接搾取』は、事なかれ主義の少年の安眠を、文字通り一秒たりとも許さなかったのである。
「さあ、日高! 今日は一日、我々が君を完璧にエスコートしてやる! 卓球、散策、そして夕食の準備だ! 休む暇などないぞ!」
天音が、昨晩の足舐め変態犬の顔を微塵も感じさせない、厳格な生徒会長の顔で言い放つ。
「……はい」
清春は、空になった胃薬の瓶を握り締めながら、絶望の朝食を口に運んだ。
地獄の温泉合宿は、まだ二日目。
五等分のマタタビ搾取の宴は、彼が『白鐘の姫』としての圧倒的な力をもって彼女たちに鉄槌を下すまで、終わることなく続いていくのであった。




